生産性に関する不安

9月20日金曜日、晴れ

同僚のプルリクエストを見る。「とりあえず動くようになっています」という状態で出されたのではないか、と感じてしまう。

自分が日本語で書いた文章を、僕はあまり推敲しない(すこし立ち止まって、前後の2、3と比べてリズムを直したりする程度)。ひょっとすると同僚氏がプルリクエストで出しているのも、そんな感覚なのかもしれない。

プログラムに関しては、これは僕のこだわりなんだけれどかなり推敲して……と、書き出したけれどこれは嘘だ。最初の小さな状態では「全体」の見通しがよくなるようがんばる。けれど次第に目が届かなくなり息が切れて「ま、いっか」としてしまうことが、ある。

まあいい。

自分にはどうしたって甘くなるし、繰り返していれば見えなくなることって、ある。(おなじ刺激を繰り返して受けると、その入力は飽和して感じられなくなる。例えば右手にもった鉛筆で左腕を押したとする。最初はちくっと痛みを感じる。けれど右手の力を変えずしばらくじっとしていると痛みは感じ取れなくなる)

不安なのは、ずっと指摘を続けていることで(そしてマージされず足踏みを続けていることで)同僚氏がメンタルをやられていないか? ってことだ。いまさらだけどプルリクエストの上でコメントをつけるのでなく、そろそろペアで作業したほうがよいのだろう。

自分が見えることを伝え、気をつけてほしいことを伝えているつもり。だけれど、それが伝わるのかどうか。
そして伝わっていたとして相手がそれを尊重してくれるかは、別のこと。
ところで、でも。相手が僕にそれを伝えてくれることはほとんどない。空回りしているんだろうか?

私物ならいい。けれど未来の同僚たちが読み書きする仕事は、できる限りぴっちりタイトでスマートなコードにしておきたい。たとえそれが同僚の書いたものでも容赦してはいけない、気がしている。

けれど、行きすぎなのかなあ?

無駄もあるけれど、そこそこ動いているようにみえるものを、それとなーく組み合わせて動いているように見せること。
自然界の生き物の仕組みなんてそんなものらしいし、工学的、いや工業的な態度ってのもそんな感じでゆるくやらないとダメなのかもしれない。

生産性という観点で評価すると、僕の課すハードルが高いせいでオーケーが出ず、ゼロ、という状態。足踏みだ。
はっきり言えるのは、この足踏みはまずい。それだけは言える。

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