大学時代の部活を振り返って①

現早稲田大学ア式蹴球部監督の外池さんからいただいた質問がとても興味深く、またTwitterでは伝えきれないと思ったので当時を思い出しながらnoteにまとめます。
↓外池さんのツイート

僕は大学4年になった最初のミーティングでみんなの前で
「日本一になると人生が変わるから、絶対なろう。」
とだけ伝えたのを覚えています。

僕は高校2年生のとき、初めて全国優勝をしてそこから一気に世界が拡がり、人生が変わりました。
(小学生のフジパンカップでも優勝したから初めてじゃなかったかも笑)
自分の中の何かが変わったのか、それとも周りからの見られ方が変わっただけなのか、どっちもなのか、、とにかく見れる範囲が拡がり、視座が高くなった高校生活でした。

特に僕は2年のときと、3年の夏に日本一になったので、進路の面でも有利になって。そうじゃなかったら早稲田に行こうとすら思えなかったとおもう。
後輩も毎年のように早稲田に入るようになったし、流経→早稲田のラインを作れたことも良かった。

だから、日本一になると自分の人生も変わるし、後輩の人生も変わるから、大学でもまた日本一になりたいと心から思っていた。

1.チームマネジメントとプロセスと視座

当時の監督の古賀さんが、「WASEDA the first」というスローガンを掲げ、早稲田の男たる者、常に1番ではなくてはならない。2番には何の価値もない。と言うことを徹底して打ち出してくれたからやりやすかった。
そもそも僕は何も役職のない、ただのレギュラーの4年だったので、チームマネジメントをしていたのかといったら多分そんなにしてないなかった(笑)
ただ、役職はなくても役割はある。試合に出続けている4年かつ、日本一を経験している。という僕だからこそできることがあった。
大前提として、"日本一になるための練習"という攻略本みたいなものはもちろん存在しない。
あくまで日本一は結果であって、結果が出た時に初めて、あぁ、あの日々は間違ってなかったんだ。という究極の結果論。

新チームから300日間以上、正しいのか、正しくないのか分からない問いに対して、仮定を立て、実行し続けなければならない。
結構地獄。
僕の代は優秀な選手が多く、浦和ユースやFC東京ユースなどで日本一を経験したメンバーがいたから、それぞれが「日本一のチームてこうだよね」「こう在るべきだよね」というのを口にしないにしても持っていた。
おそらく、それはそれぞれ微妙に違う部分もあると思うけど、本質の部分はほとんど同じだったような気がする。
まさに視座が揃っている状態。
見ているのもの高さが一緒だと、これほど心地いいものはない。
日本一になる"資格"のあるチームを無理矢理一言で表現するとすれば、
圧倒的にディテールに拘れる集団なのかなぁと。

例えばピッチ内では全員の緊張感、プライド。球際の激しさや、ゴール前の攻防、クロスの質、勝ちへの拘り、色々あるけど全てを細部まで気にできているか?
まだまだこんなんじゃ日本一になれない。と自分の限界を打ち破れるのか?そんなことを毎秒考えなきゃならない。それは監督、コーチ、学生スタッフ、トレーナーもピッチに関わる人全てがそう。
試合で怪我してピッチから選手が出たとき、イエスなのかノーなのかトレーナーは瞬時に判断しなきゃならないし、マネジャーは出す水の温度、タイミングにも拘る。もしかしたらマーカーひとつ置く位置ですら気を使わないといけないかもしれない。

ピッチ外では、日本一の集団として在るべき姿なのか?と常に注意しなきゃならい。
日本一の集団は、周りから見られる立場、嫌でも注目をされる。その時にやっぱりこいつらはスゲーな。違うな。と思われないようだったら全てを見直したほうがいいかもしれない。
ほんとか嘘か分からないけど、むかーしの早稲田はグラウンドの白線に桜の花びら1枚でも落ちていたら、後輩はブチギレられて、走らされたらしい。さすがに、、って思うかもだけど本質は捉えている気がする。

全員の一つひとつの行動が、勝利に直結すると思って自分のできることを全うする。
言うのは簡単だけど、やるのは難しい。特に全員が同じ方向を向かっていくのは難しい。どうしても、自分事として考えられない人も出てくる。
多分僕たちの時も後輩の中には何人かいたと思う。ただそれすらをも飲み込むような志し、勢いはマイナスを目立たなくさせることができる。
特に4年生には、全員を巻き込んで、この人達を男にさせたい!と思わせられなきゃ、日本一は夢物語で終わってしまう。

-つづく-

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