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【父の日】北海道のお父さんを調べてみた

こんにちは。飯坂涼平です。

今回は、父の日にちなんで『北海道のお父さん』を調べてみましたので紹介します。

北海道開拓の父
皆さんは『北海道開拓の父』と呼ばれている方をご存知でしょうか?
その方の名前は『島義勇(しまよしたけ)』と言います。
島氏は現在も残る札幌の街造りを計画した先人として歴史に名を刻んでいます。

島 義勇
1882年に佐賀藩士島市郎右衛門の長男として佐賀城下の街に産まれ、幼少期は藩校『弘道館』で学びました。23歳で卒業後、35歳の時に藩主鍋島直正の命を受け、当時はまだ未開拓であった蝦夷地への探検に出発しました。約2年にわたり探検を続け『入北記』に残しました。
明治新政府が台頭し、鍋島直正が蝦夷開拓督務に就任すると、義勇は経歴を買われ開拓使判官に就任しました。北海道開拓の街づくりを任され、札幌を中心とした街づくりを進めるも、予算による衝突が起き、志半ばにして解任を余儀なくされました。その後は1854年義勇が53歳の時に佐賀の役が起き、鹿児島で捕縛され人生の幕を閉じました。

義勇が目指した街づくり
現在の札幌の街並みにも残る碁盤の目と呼ばれる構造は義勇が京都の街並みを模して日本一の街づくりを北海道神宮。しかし、1年分の予算を厳冬の影響で約3か月で使い果たしてしまいました。

義勇の功績を称えて
更地だった北の大地を今もなお受け継がれる街並みをつくり出した功績を称え、義勇に関する石碑や石像が札幌に残されています。
・札幌市役所の銅像
札幌市役所庁舎一階市民ロビー東側(過去コーナー)に設置された高さ2.5メートル、台座を含めると4メートルに及ぶ大きな銅像が設置されています。
・北海道神宮
装束を身につけた島義勇の銅像は没後100年の1974年に、札幌の礎を築き神社の創建に果たした島の役割をたたえて建立されました。

北海道神宮と円山公園
島が社殿を設けることを計画し、開拓三神をお祀りしました。それが現在の北海道神宮に繋がっています。北海道神宮には北海道を代表するお菓子メーカーの六花亭が休憩所を作成しました。そこで販売されている『判官さま』は小さなそば粉の入ったお餅菓子が販売されています。そのお菓子こそが島に因んだ『判官さま』で、この休憩所と円山店だけで求めることのできる隠れた一品なのです。
義勇の死を悼み、翌明治8年、近隣から集めた桜の苗木を150本も神社の参道に植えました。現在も神宮近辺は桜の名所になっています。

最後に
皆さまも、北海道に訪れる際は彼の功績を思い出してみてください。

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