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親友と20年ぶりのラーメン屋に行った話

茨城県の牛久市に、山岡家というラーメン屋があった。
 
地元から車で30分ほど。国道沿いの坂の上に鎮座するその店は、近隣市町村の若者なら誰でも知っている、地域のちょっとした名店だった。
  
もう20年ほど前だ。時間と車の免許しかなかった暇な大学生の夜。毎日、何をするわけでもなく仲間と集まった。夜中になると、誰かが山岡家にでも行こうと言い始める。深夜の、それも30分もかけて辿り着くラーメン屋は、もっと充実した時間の使い方があるのではないかと思いながらも、手段も目的も持てていなかった自分たちにとって、今日一日何をしたかという問いに対する逃げ道でもあったかもしれない。
 
それくらい、うまかった。駐車場に停めた瞬間、公害ではないかと思えるほどに鼻をつんざく豚骨の匂いは、二口目をすするまで鼻の奥から消えることなく、しかし三口目からは、黄金のスープのコクとして変換され、脳と胃袋に蓄積されていくのだ。
 
時間があって、目的がなかったからこそできたことだったのかもしれない。社会人になってしばらく経つと、30分もドライブしてラーメンを食べにいくことはしなくなった。たまに地元に帰れば、駅前の居酒屋を選ぶ。
  
時を同じくして、山岡家はフランチャイズ展開を加速していく。大学生当時は牛久店の存在こそが唯一無二だと疑っていなかったが、社史を見ると90年代初期からすでに拡大路線を取っている。
 
次々にできる明らかなチェーン店っぽいそれらに、何度か行ったことはある。しかし本家を愛してやまない自分たちとしては、認めたくない何かがあった。暖簾を売っただけに違いないとか、量販化のためにレシピを変えているはずとか、とにかく牛久の山岡家とは違うもの、直接的には関わりのないものだと、信じて疑わなかった。
  
記憶はどんどん美化されて、あの日の牛久の山岡家は神格化され、そのまま20年もの時間が経った。だから正確に言うと今でも牛久の山岡家は一号店として「ある」のだが、自分たちの中では「あった」になる。
  
***
  
昨年末、親友が妻を亡くした。結婚してまだ3ヶ月。付き合っている期間を含めれば10年以上、精神的に不安定な彼女にずっと寄り添い、慎重に時計の針を進め、ようやく籍を入れた矢先だった。彼女は、自ら命を絶ってしまった。
  
親友とは小学校時代からの仲だ。少年から青年、そして若い大人になっていく過程における、いわゆる多感な時期は常に一緒にいた。それぞれが社会に出て新たな世界を作っていく中で、当時のように頻繁に会うことはなくなったが、いつ、どんなタイミングで顔を合わせても、すぐにあの日に戻れる、そういう関係だ。
 
自ら発見し、泣き叫びながら電話をかけてきたときのあいつとのやり取りは、いまも脳裏にこびりついている。辛いことなどまだ何も知らない、ただ純粋に一緒に遊んでいた頃のあいつの顔が浮かんだ。抱きしめて、背中をさすってあげたくて仕方がなかった。かけられる言葉は何もない。お前はよくやったよとか、きっと彼女は、とか、そういった外野の言葉は、無償の愛と壮絶な最期で閉じられた二人の十年間を前にすれば、すべて嘘になる。
  
本当の理由は本人にも分からないのかもしれない、と親友は言う。寄り添った十年の中で何度も危険なタイミングはあった。だから、自ら命を絶つという選択が「変わらなかった」という言い方かもしれない。変わらなかった、変えられなかった。その十字架が、あいつを暗闇の中から逃そうとせず、毎日、毎日涙を落とさせる。
   
20年前だったら、と想像する。何をするでもなく、こういう時こそただひたすらに一緒にいたはずだ。ずっと隣にいて、バカ話をして、一瞬でも悲しみが和らぐ時間を作ろうとするだろう。
 
でもいまは違う。家族がいたり、仕事があったり、住む場所が変わっていたり。それぞれが大人になったこと、それぞれが人生という時間を重ねたこと、それが楽しいことばかりではないことを実感する。
 
「山岡家に行ってみないか」
 
導かれるように、と言ったら大げさか。でもなぜここで出てきたのか、よく分からない。一緒にいてあげたい、なにか理由がほしい、なんでもいいから共通の目的はないか。そんな思いを持ちながらやり取りする中で、山岡家は20年ぶりに、突然オレたちの前に現れた。
 
伝説のように記憶に刷り込まれたその味は、今も変わらないのか。チェーン展開して味が落ちたとか騒いでいたけど、それは本当なのか。そういえばもう何年も行ってないよね、久しぶりに食ってみたいね、確かめにいってみようぜ、確かめなきゃいけない気がする、わかる、それいいね、悪くないね。二人で行くと決めた瞬間、少しだけ、フッと軽くなった気がした。
  
***
 
地元の駅で待ち合わせる。そこから30分。当時よく通った裏道だとか、他のうまかったラーメン屋だとか、そういえばあの子何してるだとか、そんな話ばかりをしながら車を走らせた。
 
そろそろじゃない? 国道沿いの坂の上。うおー、あったね。山岡家はあった。少し改装してきれいになっている。儲けたねきっと。駐車場を降りても、あの豚骨の匂いは飛び込んでこない。きっと技術の進歩だわ。あいつは何枚も写真を撮っている。
 
いつも中盛にほうれんそうをトッピングしてたよね。そう言いながら、ラーメン中盛とほうれんそうだ。
 
カウンターに横並びで座る。
 
めちゃくちゃに、うまかった。うまいと感じた。食べてすぐ、昔の味を忘れていることに気がついた。あれだけ神格化しておいて、確かめに行ってやるなんて言っておいて、よく分からなかった。でもそんなことはもうどうでもよかった。
 
隣のあいつの顔は見ていない。あいつもオレの顔を見ていない。うまいわ、うん、悪くないわ。独り言のような言葉だけが何度も往復した。違う言葉を発していたら、涙が出てしまいそうな気もして、あの日と同じように、黙々と。友と男二人で食べるラーメンなんて、そもそもそんなもんだ。
 
「"こんな状況”でもなければ、来なかったよな」
 
帰りの車中。行きの会話とは違って、面と向かってはなるべく話さなかった「その話題」に、ほんの少しだけ寄っていく。
 
いやー、なんかさー。少しせきを切ったような感じで、あいつが言う。

今日行こうぜって連絡したときも、駅でお前にピックアップしてもらったときも、行きの車中も、常に頭の中に彼女がいた。だけど、なんか山岡家のラーメン食ってる間は、出てこなかったわ。

ラーメンでかよ!お前怒られるぞ。そんなふうにおどけて返しながら、「いいじゃん。また来るか」と言った。
 
もっと充実した時間の使い方があるのではないかと思いながらも、手段も目的も持てていなかった自分たちにとって、今日一日何をしたかという問いに対する逃げ道でもあったあの日が、あってよかったと思った。

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