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戦時下の日常
戦争の中の日常を淡々と描くことで、そのコントラストの残酷さ、人間の強さ、弱さ、すずさんの健気さが余計に際立たされている「この世界の片隅に」で、ふと思い出してしまうシーンがある。
空襲警報がなって、庭の防空壕に身を寄せ合い、B29が去っていくとやおら外に顔を出し、さてさて、といった感じで周作が仕事に向かうシーンだ(たぶん)。
コロナはもはやウイルスとの「戦争」という言葉も聞かれるが、周作のあの所作を思い出すと、なるほどこういうことなのかもしれないと思う。
1年やそこらでワクチンは完成しないと言われる。緊急事態宣言(または海外におけるロックダウン)で一時的に感染者数の山をなだらかになっても、ウイルスはこの世界に在り続け、それは根絶に向けた打ち手とは言えない。
1年、2年あるいは5年間、ずっと巣ごもりしているわけにはいけない。それは本当に人間社会の死を意味する。とすると、どこかで落としどころ、ウイルスとの付き合い方を見つけていかなければならず、アフターコロナは残念ながらまだ遠い将来の夢で、人々はウィズコロナの中で社会をまわしていくことになる。
そして、人間は慣れの生き物だ。
あの時の周作のように、一定の外出自粛、ソーシャルディスタンスを自然に取り入れながら、じゃあ今日は久しぶりに出社してくるわ、ちょっと感染が拡大しつつあるからしばらく巣ごもりするわ、というのを無感情に、自然に受け入れる形でやっていくことになるのかもしれない。
戦時下の日常。少しずつ今の生活に順応しつつある自分に気がついた時、戦争や災害は常に日々の営みの延長にあるのだと、改めて思った次第だ。
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