敵はそこじゃない。

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Your lack of imagination becomes an enemy. In other words, my own weakness is the enemy.

「敵はそこじゃない。」

では、どこにいるのだろうか?
そもそも存在しているのだろうか?
〝敵だ!〟と感じる感情はどこからきているのだろうか?
おそらく、それは〝怒り〟からだろう。
喜怒哀楽的に悲しさ、虚しさ、絶望を越えていった先の怒だ。
静から動、ブルーゾーンからレッドゾーン。


仕事で理解し合えない相手に出会った時、悔しさから怒りが湧く。
心の中で殺戮を起こす。
何度も何度もいろんな方法で殺戮を起こす。
そしていつしか、殺戮しきって忘れていく。
時間が経つと、殺戮しきった自分を諌め、相手に対して謝罪の念を覚え、赦しを乞うくらいまで、自分の理性のアンバランスさを責める。
きっと、これが仏教の三毒煩悩であったり、キリストの言う隣人愛なのだろう。
敵は、どこにいたのだろうか?
敵だと思っていた相手に、最後は赦しを乞うことから、怒りの矛先を向けた相手は、確実に敵ではない。
仏教で言えば、輪廻転生の地かもしれない。


でも、僕の解釈は違う。
敵はいつも見えない何か。
「敵は自分の中にいる。むしろ、それは自分そのものだ」
そう思うことで、時間よりも早く僕は相手に赦しを乞うまでのスピードを得ることができる。
「敵はどこにもいないのだ。自分の想像力不足が敵となる。つまりは自分自身の弱さが敵だ。」
想像力不足は、自分の知識と経験値不足、そして優しさが不足していることからくる。


「相手の立場になって考える。」
相手そのものになって考えてみる。
最初から、その一言が言いたかっただけ。
すべて解決できる糸口になるから。
贖罪は決して、悪いことではない。

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