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雑記:気楽に生きたい話

大抵のことは、自分で決めることができる。
それがいい判断かよくない判断かは後から分かることも多いので、結果については割愛するとして、とにかく大抵は自分の意思で行動している。
ただ時々、他者の肯定を得られないと決断できないことがある。

例えば「働きすぎだと分かっていて、休んだ方がよいが、自分の意思では休むのが怖い」時、私は大抵、仲のいい母に「休んでいい?」とLINEする。
おおむね母は返信が早いので、「いいよ」と返す。
これは母が私の仕事の主導権を握っているとかではなく、「いいよ」と許可を得ないと私が決断できないのを分かっているので、こういう言い方をしている。私が「休みたい。おゆるしを」と書けば、母は「ゆるす」と神の役を務めてくれる。

自分軸だけで生きられれば楽なものだし、立派である。
ただまあ人間なので、そんなに強くもなく、たまに強い個体もいるけれども、おおかたの人類は強くなかったり弱かったりする。
問題は軸の取り方のバランスのような気がしていて、全選択が他人軸だといくらなんでも生きづらいし自分の為にならない。そして周りも大抵の場合は困ってしまう。
自分軸を自分なりに持って、たまに他人に背中を押していただく、多分そのくらいが気楽でちょうどよい。

私は幼少期、他者の意見に引きずられることがあった。
私の小学校は小さなもので、わずか1クラス、席替え以外は変わりのないメンツで6年間過ごした。席が隣になった子を好きになることが多かった。ただ、1年生の頃に好きになった子が、最も好きだった。初恋だったと思う。
彼をA君とする。
1年生の頃が一番仲が良く、年が上がるごとに私はだんだん内気なキャラクターになっていき、あまり周りと話さなくなった。A君は時々、私を見かけると一言二言話しかけてくれた。当時流行っていたトランプの「スピード」というゲームを、放課後(だったかどうかは忘れたが)の教室で二人でやった時、私は緊張した。そして勝った。私は「スピード」がめちゃくちゃ強かった。
勝敗は別にいいのだが、そんな感じで一人で過ごす私を時々視界に入れてくれるA君には感謝していたし、好きかと言われると1年生のころほど燃え上がる恋愛感情はなかったが、人間としては間違いなくとても好きだった。

前置きが長くなったが、B君という子が別にいた。
私は当時、同級生と書道教室に通っており、そこにはB君のお姉さんもいた。多分1学年上くらいだ。
お姉さんは少し吊り目で、肌が白く、気が強く(多分)て個人的には好きな感じの女の子だった。弟のB君も顔は似ていた。B君は背が高く、眼鏡をかけていた。
B君の家は医者の家系だった。
どれくらい親同士の付き合いがあったかは知らない。B君とはたまに話すくらいで、好きになったことはない。それなのにおかしなことになった。ある日、好きな子はいないのか、みたいな雑談を家でしていたとき(仲がいいとこういうことになるのでよくない)母がぽろっと言った一言がある。
「B君とかはどうなの?」
B君とかいいんじゃない?という意味に聴こえた。医者の子だし。彼も多分医者の道に行く。
それを聞いてから、小学校を卒業するにあたって、私はなぜかA君かB君かどちらかを選んでラブレターを出す決断をしてしまった。
どちらに渡したかはこの流れだともう分かると思う。
私はB君にラブレターを渡した。
好きでもないのに。

その後、B君から定期的に家電に電話が来るようになった。付き合っているので当たり前だ。だが、やはり本当は好きではなかったので、すぐつらくなってきた。
そうしたら母が言う。
「嫌やったら無理せんときや」
そしてまた私は、その言葉に背を押されて「やっぱり友達に戻りたい」とB君に告げることになった。B君は「そっかーわかった」みたいな感じだった。彼がどう感じたかはわからない。

なんかもういろいろめちゃくちゃになってしまって、私はそれからしばらく、「A君に好きだと言うか、あるいは誰にも好きだなどと言わなければよかった」と落ち込んだ。
母のせいだとは思っていない。私が影響を受けやすかっただけだ。もしこの記事を母が読んだら、母は申し訳なく思うかもしれないが、こんな会話普通にあるし、当時の私は自分軸が弱すぎたのだった。子どもだからかなのか、性格によるものかは今となってはどっちでもいいし、どっちもだったのかもしれないが、まあそういうこともあった。

時は飛んで、30代になった。

小学校の頃の同級生たちのグループLINEに呼ばれた(経緯は色々長いので割愛するが、誘ってくれたのはCちゃん)。その中には性格が悪くてヤなやつもいたし、まあでも時効と言えば時効であるし、はたまた時効なんか人生に存在しない気もするが、とりあえず興味本位で入った。その中にはA君もいたので、その点においては懐かしかった。

やがて私は、コロナ禍で地元がギスギスしている話題で埋め尽くされるそのLINEグループがいやになって抜けたのだが、A君に個別でLINEを送らせてもらった。ちょっとキモいかもしれないが、関わることももうないかもしれないので、相手には悪いけどキモがられてもいいかと思った。
「小学校の時、実はA君のことが好きだった、ありがとう」と送った。
ありがとうの意味は自分でもよくわからないが、色々気にかけてもらったし、かといってそれをつらつら書き連ねても長くなるので、なんとなく「いい思い出をありがとう」みたいなノリで送った。
A君からは「そうだったの!気づかなかった、ありがとう」と返事が来た。
1年生の時にはあんなに仲良くしていたが、まあもう昔のことであるから忘れているんだろう。
それ以降、A君と連絡は取っていないし、LINEのやりとりもしないのでフレンドの情報も消したかもしれない。
ま、言えてよかったかもな、と思っている。
当時の私は、言えなかったので。

人生はこういうことの繰り返しだなと思う。
あの時決めきれなかったなとか、冷静じゃなかったなとか、周りの意見に左右されたなとか、自分の意見がわからないなとか、いろいろ後悔と反省がある。そして後から「あの時は実は」と伝える機会が現れたりする。

歳を重ねるごとに成長していくのもミリ単位で、なかなか自分はかっこいい人間にはなれないが、それでもそういうものだと思って無理なく気楽に生きていきたい。
なんか、うまくまとまらない。

余談だがB君はその後やはり医者になる。
しかし成人式でCちゃんがB君に会う機会があったらしく、垢抜けたCちゃんを見てB君は開口一番、「おまえ整形した?」と言ったらしい。こいつは一体なんなんだろう。彼の性格からしてポジティブな意味のセリフではない。早く別れてよかった。一体なんなんだ。

おわり。

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