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人生は勘違いした方がおもろい


導入
・人の事をよくネガティブに評価する(恥ずかしい、情けない、ダサい)
・人にできるだけ迷惑をかけたくない
という人は、人生を楽しみづらいんじゃないかな。


本題
生きていると、恥ずかしいなって思う人がいるよね。


例えばそう、
肩で風を切りながら歩いてる人、
自分の事かっこよくないのに、自惚れてるナルシスト、
何の努力もしてないのに言うことが一丁前な人とか。


人に迷惑はかけていないけど、
こういう人を見てて恥ずかしいなーって思ってしまう。


”こんな人にならないでおこう。”





生きていると、ダセーなって人いるよね。

僕は幼稚園の時から繊細で、色んな些細な一言や行動で傷ついてきた。
何で人間ってこうなんだろうって失望もしてきた。
だから人よりも「自分はこういうことをしない人になろう」って思う回数が多かった。


例えば小学校の時にずっと思ってたのは、
消しかすは絶対にゴミ箱に捨てること。
トイレのスリッパは並べてから立ち去ること。


意地でもやり続けようって決めていた。
幼いながら、周りの小学生が授業終わりに、消しカスを何の躊躇もなく教室の床に捨てていくのが我慢できなかったから。

幼いながら、周りの小学生が自分のトイレをし終わった後に、次の人のスリッパの履きやすさを一切考えず、遊びに向かっていく姿が我慢できなかったから。


”せめて自分は、周りに迷惑をかけないでいよう。
せめて自分は、いつでも人に優しくあれるようになろう。
せめて自分は、自惚れないでいよう”


高校生までの僕は、
人に迷惑をかけてる人、人のことを気遣えない人、人に優しくできない人、倫理観から外れてる人、誰かをいじりながら場を盛り上げる人、自惚れてる人、自分いけてると思ってる人、自信満々な人、みんなダサいと思っていた。


”こんな人に絶対になりたくない”



でも、そうやって勝手に理想に縛られて人生楽しめてない、
お前(過去の自分)が一番ダサいよ。




誰に言われるまでもなく、勝手に自分を縛り付けて勝手に自分の言動を制限して、勝手に楽しくなくなってるのは、紛れもなく自分のせい。


恥ずかしい人、ダサい人になりたくない?


そうやって自分の欲を満たすことから逃げて、人を楽しませることから逃げて、誰とも関わりを持たないようにしようとしてるのが、一番ダサい。
人間らしくない。
(楽しくはないけど、正しく生きてる気がする?
じゃあ周りの人を見て羨ましがるのはやめなよ。
本当は楽しみたいんじゃないの?)


そもそも人は、迷惑を無意識にでもかけて生きている存在だ。
生きてるだけで、生活してるだけで、コミュニケーションをとってるだけで、知らない間に誰かを傷つけている時もあるだろう。

そんなのは、自分だけじゃなくて地球人の全員が、そう。


その中で多くの人はどう生きてるのかっていうと、
迷惑をかける事を承知で、自分の欲を満たすとか、理想の自分に近づくとか、場を盛り上げようとしてる。


その結果、人を傷つける時もあるけど、
そっちの方がよっぽど人間らしい。


人は自分の事を自惚れて生きていく。
人は人に迷惑をかけながら生きていく。
人は欲を満たしながら生きていく。
その分、人を楽しませながら生きていくもんだ。


もう、人のことを恥ずかしいと思うのは辞めよう。
恥ずかしいと思った分だけ、自分の事を制限している。

もう、人に迷惑をかけることを気にするのは辞めよう。
もう迷惑はかけてるんだから、どうやったら喜んで貰えるかを考えよう。


たとえ周りから見て自分には才能がなかったとしても「あれ、私いけるんじゃね?」と根拠のない自信を持って走り出せる方が、人生楽しいでしょ。

たとえ全然顔がカッコよくなかったとしても「あれ、俺イケメンじゃね?」と自信持ってた方が、人生楽しいでしょ。


自信持って、人に迷惑かけながら生きていこーよ
勘違いした方が人生楽しいんだから。




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