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インターネット的な翻訳者:BANKSY

BANKSY
イギリス、ブリストルに生まれロンドンを中心に活躍するアーティストで正体について諸説はあるが、今だに謎の多い覆面アーティスト。

BANKSYの認知を確実なものにしたサザビーズオークションでの「シュレッダー事件」は、もう3年も前のことらしい。
時間が経つ速さに驚かされるが、その謎に包まれたプロフィールは?どんな作品があるの?のようなものを書いても少し検索すれば有象無象転がっているし、自分自身も退屈であるからストリートアートの歴史と文脈に沿ってBANKSYというアーティストを考えたい。

大きな流れとして

1. 1. ストリートとは
2. ストリートアートの歴史
3. 翻訳者としてBANKSY

の3章の構成で進める。


1章では、ストリートアートへの解釈、それに基づき2章ではストリートアーティストの流れについて軽く触れた上で、3章で本題であるBANKSYの面白さはどこにあるのか考えていく。


1. ストリートの流儀/ 下層からの転覆

アーティストにとって一番の名誉とは。


必ずしも全員が一致するわけではないが、きっと美術館に自分の制作した作品が収容・展示されることだろう。
美術館という権威のある場所においては、それが例えどんなものであってもアートであり、素晴らしいものとして取り扱われることになる。
しかしそんな素晴らしい場所、美術館も収容される作家およびそれを選ぶ学芸員もかつてはほとんどが白人であった。
たとえ、どれだけ素晴らしい作品を作り上げてもヨーロッパ、白人中心の評価システムの中では、そこから溢れる要素、例えば黒人や性的マイノリティなどは中心に対して周辺として虐げられていた。そんな権威主義的でアカデミックな場としての美術館へのアンチテーゼとして、アーティストたちは路上を作品制作の場に選んだ。


ストリートでは上手い人だけが元のグラフィックに上書きできるという暗黙のルールが存在し、極めて実力主義的。そこには政治的・経済的な拮抗関係は無い。
ゆえに人種のるつぼニューヨークでは大いにストリートアートが盛り上がりを見せた。ストリートでは権力の上層・下層の分断がなく、下層に所属する人々であっても都市は自分たちの存在に介入させるキャンバスとして機能した。
アーティストたちは本来、公であるはずの都市と自らを公と私の二項対立では無く、「超私的」に平穏な公の転倒を試みた。描くとは、都市に私を投げつけ、私のテリトリーの拡張の証としてのマーキングなのだ。積み上げられた超私的な都市の落書きたちは「ストリートアート」という名前の文化を作り上げ、権威によって築かれた窮屈な場に風穴を開けていった。


2.ストリートアートの歴史


ストリートアートの歴史はキース・へリングによって1980年代のニューヨークでスタートする。キース・ヘリングは地下鉄に即興的なリズミカルな線で構成されたグラッフィクを描き注目を集める。彼自身、ゲイでAIDSによって天誅したこともあり、セクシャリティ、人種問題といったセンシティブな問題を主題としてメッセージ性の強い作品を都市に残した。ポップなキャラクターにシリアスな問題を託す作風はBANKSYとも共通している。

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前ZOZOTOWN社長・前澤氏が120億で購入したことで知られるジャン・ミシェル=バスキアは本人はそう呼ばれたことを嫌ったそうだが「ブラック・ピカソ」と呼ばれ、黒人アーティストで初めてアート界で評価された人物。

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一見落書きのように見える作風であるが、幼少期から母に連れられ美術館に行ったり、ダヴィンチの画集や手術の際に母から送られた解剖学の本を読んでいたこともあり優れたデッサン技術と人体への鋭い洞察が見られる。白人中心のアート界へのカウンターとして、ハンク・アーロン(メジャーリーガー)やモハメド・アリ(ボクサー)を始め彼にとってスターであった複数の黒人を描いた。他にもジャズやヒップホップ、人種差別や奴隷制といった、彼自身のアイデンティティを持ってアート=白人のものというステレオタイプを内部から破壊していった。


そして90年代、都市の広告をアイコニックなキャラクターと××マークでボムし始めたのが、DIORやUNIQLOなどファッションとのコラボレーションも注目されるKAWSである。

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ストリートアートの流儀としてうまい人のみが既存のペインティングに上書きできるという暗黙のルールが存在することを書いたが、KAWSは広告という街に溢れるグラフィックを標的に価値の上書きを図った。キャラクターの目に描かれる××のマークは民主的な誰でも分かる否定のマークであり、大量消費へのカウンターとしても読み取れる。
著名なストリートアーティストである彼ら3人の共通点は単なる同胞意識や街を汚すタギングではなく、政治や経済、諸差別への強烈なメッセージが込められている。そして2000年代このストリートアートの文脈の中で、BANKSYが登場する。


3.翻訳者:バンクシー

ストリートアーティストたちにとってストリートに描くことは、最も自分のメッセージをダイレクトに伝える手段であって目的ではなかったように見える。しかし、BANKSYにとってメッセージと場所が密接にリンクしている。

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例えば、この『花束を投げる青年』も紛争が絶えないイスラエルとパレスチナの境界線にある分離壁に描かれている。分離壁のパレスチナ側に描かれたこの絵は、武力優勢のイスラエルに対してパレスチナは手榴弾などアナログな方法で応戦していたことを受け、手榴弾の代わりに花束をイスラエル側に投げ込む青年を描き平和への希望を描いている。


これがイスラエル側の分離壁に描かれていたら、もっと極端に渋谷の雑居ビルの壁面に描かれていたらどうだろう。本来のメッセージ性は薄れるのは間違いない。このことからも分かるように、BANKSYの作品はその土地、その壁、その時といった諸要素をグラフィックを媒介として1対1で翻訳しているゆえに、要素が変化すると誤訳、つまり作品が内包していたメッセージ性が変化してしまう。


それを証明するようにBANKSYは「ペストコントロール」という自分の作品の真贋を証明する審査機関を自身で運営しているが、元にあった場所から剥がされたものは贋作として評価する。「その時その場所にあること」が作品の重要なオリジナリティを担保しており、描いたもの単体では必要条件であって、必要十分条件ではないのだ(エディション品のように販売を目的としたものはこの限りではない)。


それはわかった上で、ではBANKSYは結局何がすごいのだろうか。
彼の作品において重要な点、それは「わかりやすい」ことがある。
共通認識であると思うが、現代アートは難しい。
アートは前の時代の否定をすること、つまりオルタナティブであることで自分自身をより高みに位置付ける。この高みというのは、たいてい既存のアートを脱構築した上でアートの解釈の枠組みを広げる行為である。
ゆえに、ぶっきらぼうに言うとどんどん難しくなっていくのだ。


これもアートだ。これもアートだ。と範囲が常に変化する中でアートとは何か、どこまでがアートの範囲なのかの混乱がもたらされるのは当然で、たとえ線引きを試みたところで現在進行形で変化しているから徒労に終わる。元々アートでは無かったものをしめしめとアートの文脈に引きずりこんでいるのだから。


アートのパターンを絵画と彫刻としか教わっていない人にとって、ギャラリーで食事を振る舞うという行為はまさかアートとは見えないだろう。これはれっきとしたリレーショナルアートという分野の一つで、彫刻をつくるように「コミュニケーションを作る」というアートなのだ。


それはさておいて、このように書いていると、アートはより特権的なところに向かって行っているように見えて、実はより世俗的になっている。マルセルデュシャンがアーティストが自ら作る必要性を否定し、ピカソが「うまく」描く必要性を否定したように、アートは絵がうまくかける人と、お金を持っている人だけのものである時代は終わった。
それに現代アートは鑑賞者も「自分の考え」という筆を持つことを許され、作品の創造者としてアクティブに参加する半ば義務の権利がある。今日、鑑賞者など存在せず、すべからく全員がアーティストとの共同創造者である。

ただし、全く意味不明の作品の前では自身が共同制作者である実感は生まれ得ない。いかに自らが共同創作者であると感じる鑑賞者を産むことができるのか、BANKSYはここが秀逸なのだ。

BANKSYの作品を見て、誰でも平均点60点くらいの理解をすることはそう難しくない。

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この絵だってコロナウイルスと奮闘する医療従事者という与条件さえあれば言わんとする大枠を掴むことができる。
アカデミックの分脈で、いかにアートという特権的なシステムのなかで評価されるのかアーティストは躍起していたが、BANKSYは違う。彼の作品の性質上、誰でもみて、理解して、自分なりの考えを持ち発信することが「理想的」な世界を目指す上で重要になる。そのために彼は世の中に存在する複雑な問題を「わかりやすく」かつ「キャッチー」に翻訳する。

「分かる」ということは、世界を変えるための第一歩を作品を見たその人だけに留めない。人間が他人に何かを進めるとき、自分がわからないものを勧めたりはしない。自分がある程度の範囲で良さを理解し、その素晴らしさを表現できると確信した上でようやく誰かに進めるというステップが生まれる。ビジネスに置き換えて見ても、自分が商品について何も理解していないのに、他人に営業なんてできるはずがない。

4Gから5Gへ時代はどんどん加速している。インターネットのWEBページの離脱率は3秒で決まるという。今日、人間は直感的にこのコンテンツは見る価値があるのか、ということを即座に判断している。分からないものは論外だ。すぐにスワイプしてネットの海の中に捨てられる。アートにとってもこれは無視できる問題ではない。特に路上は美術館と異なりアートのための場所ではない。看板広告、行き交う人々や車、様々な情報が瞬時に入れ替わりたい代わり溢れ、手元にはスマートフォン。路上はそう考えるとインターネットよりも目を向け、立ち止まらせる難易度は高い。このようにアイコニックで誰でも即座に分かるというのはインターネットのスピードに慣れ、分からないものつまらないものはインターフェースから排除する私たちに見られるには重要な要件なのだ。「社会問題」の翻訳技術、時代の後押し、そしてシニカルなセンスが彼をここまで著名なアーティストに押し上げているのだろう。

ストリートアートとは、から始め代表的なアーティストの流れを踏まえた上で、バンクシーについて触れた。この記事を書いている間にもBANKSYの作品がオークションで高値で落札されたニュースが流れてきた。OMO、DX、5Gとリアルとデジタルが限りなく境目のない時代に、インターネット的手法を用いて自らのメッセージを拡散させるBANKSYにこれからも目が離せない。



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