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余命宣告と、それぞれの「終活」

先日、自己都合で退職して現在無職。そして絶賛終活中。「ん?」と思ったそこのあなた!きっと、視力1.5です。つまり、その眼鏡は伊達ですか? 

絶賛終活中。就活中と書こうとして、間違ったのではありません。誤字でも3時でもありません。


本題です。

父が、主治医から「余命1年」と宣告されました。前立腺癌が体に悪さをしているからです。翌週の診察では半年かもっと短いかもしれないと言われ、さらに、1ヶ月も経たぬうちに、明日死んでもおかしくないレベルだと。

「おい医者!ふざけんな!展開早すぎだろ!(笑)」なんて、笑い飛ばしたいけれど、実際そうもいきません。検査結果が異様に悪いだけでなく、これまでなかった様々な身体症状が現れていることからも状態悪化は明らかでしたから。それにしても、静かに、あっという間に悪くなりました。

まさに、転がり落ちるとでも言いますか。往診に来ていただいている先生も、看護士も、誰も予測していない展開だったみたいです。畜生。


余命宣告された父は、それまでボンヤリとしていた「死」を明確に意識するようになり、「終活」を急ぎました。


「終活」と聞いてイメージするのは、おそらく『ある人が、死を迎えるまでの準備をすること』みたいなものだと思います。

少なくとも、ぼく自身はそうでした。財産相続や事業承継、葬儀のことなど、いわゆる生前整理を本人がするものだと思っていました。

これはこれで間違いではないんですが、実際の終活はもう少し広義です。



思い返せば、1年前までは自転車に乗ることができました。癌は少しずつ体を蝕んでいたけれど、まだ動ける状態だったからです。次第に、足に力が入らなくなっていき、自由がきかなくなってきたんです。それでもまだ自転車に乗ろうとするものだから、転倒して、怪我をして。片足に力が入らない状態で、乗れるわけないのに。

試しにやってみれば分かるのだけれど、片足しか使えない(足で体を支えられない)状態でサドルに座ることは困難だし、ペダルを漕ぎ出すことも相当に難しいんです。

その後、自転車を諦め、使うことを拒んでいた車椅子にも乗るようになりました。体の衰えは顕著で、どんなに近距離でもタクシーを使うことに同意せざるを得なくなりました。常に誰かの手を借りなければいけない状態で生活するなんてことはこれまでなかったわけです。意地を張り、いままで通り生活したいと足掻いていたけれど、体はもうとっくに限界を越えていました。


あれから数ヶ月が経過。

明日死んでもおかしくないと言われてから、1ヶ月以上、生き延びている。


いまでは週に2回の輸血を受け、数時間起きては数時間横になり、適宜酸素マスクをつけている。毎日のように往診、訪問看護など支援チームが自宅に来ていただけることは有難いことだけれども、毎日ように誰かが家に来るというのは、想像以上にタフだ。気を遣うからだ。

父はいま、前述したような状態に加え、超がつくほど低血圧になっていることが原因で、頭痛や眩暈がある。体内の酸素量が少なく、家の中を少し歩くだけでもハァハァと息を切らす。歩行器を使いながら歩いてはいるけれど、もはや這いつくばっていると言う表現の方が適切だ。

歩行には常に転倒のリスクが伴うから、トイレに行くにも風呂に入るにも、常に後ろからついていかなければいけない。夜中、父がトイレで起きるたびについていく。冷蔵庫に物を取りに行くときも、タバコを吸いにいくときも。そうして、家族はいつもなにかのリスクや体の変化を気にしている。

それだけじゃない。原因不明の体の痛みがあるようで、腕が痛い、背中が痛いとベッドで寝返りを繰り返して辛そうにしている。時折、譫言を云うときもある。これまで、「痛い」「辛い」なんて言葉は、父の口から聞いたことがなかった。相当キツいんだろう。気休めにしかならないと分かっていても、さすったりマッサージをする。

血小板が異様に少なく、血がサラサラになっているために、出血すると数日間、絶え間なく血が出続ける。ポタポタ流れ落ちる血液を掃除したり汚れた布団を取り替えたり......まだまだ、書ききれないほどやることはある。


正直、「あ〜またか」と思うこともある。見て見ぬふりをしたくなることもある。でも、そう思っている自分に嫌気が差すし、心が痛む。ここまで育ててきてもらったのに、父の具合が悪くなれば放置するなんて筋が通らない。

関係ねえ!なんて見殺しにするのは、そうそうできるものじゃない。



終活は、本人がする生前整理だけではなく、前述したようなこと全てを包含している。いつか訪れる父との別れの日を意識している家族の生活、父との一言一句のやりとり、その全て。

家族も、迫り来る「死」を意識しはじめた父が発する言葉の変化を受けて、来るべき日に備え、心の準備をしていく。頑固で意地っ張りの父が、拒否していたものを次々と受け入れていく姿を見ながら、現状を受け止める。


嗚呼、もうその日は近いんだと。


父は、父なりの終活を終えたと認識したとき、精も根も尽き果てて、旅立ってしまうのではないか、ぼくはいま、そう思っている。同時に、願わくば、そうあって欲しくない、そう思っている。

でもいつか、父は終活を終えてしまうだろう。そして、いつまでも終活が終わらないのは、きっとぼくなんだ。ぼくたち家族なんだ。

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