『ヰタ・セクスアリス』 森鴎外

 最寄りの喫茶店にて読了。
 金井くんなる哲学を志す主人公が性的に成熟していく過程を、幼少期からドイツへ洋行する21歳まで、1年ずつ書いたもの。
 
 当時の文壇でこれはある程度目新しさがあったのかもしれないが...
 思いの外大したものではない。現代の内気な男と大して変わりない。

 大人が「おまえはまだ何も知らないだろう」という言う。その下品な顔に何故だか嫌悪感を抱いた幼少期。
 寮生活で好色な先輩を馬鹿にしながら男色の先輩から逃げる少年期。
 容姿に自信がなく、女やsexというものに対して自己否定的に考え、妻を取れという母親に生返事をする青年期。
 二十歳で大人に無理やり連れていかれた吉原で望まぬ形で貞操を捨て失望するが、女を知ったという自信も同時に獲得し、霧が晴れた様に女の前でどもる事がなくなったこと。

 本来は妻を娶る25まで書く予定だったが、洋行先の独逸ではつまらぬ好奇心(Neugierde)とつまらぬ負けん気で女を買うだけで、振り返ってみてもまったく情熱がなく、芸術的価値を見出せない。ある夜、最初から通して読んでみて、こんなものか、と表紙に 『VITA SEXUALIS』 と書いて棚にしまったところで物語は終わる。
 
情熱という言葉はこの頃に誕生したらしい。面白い。

 本当に途中で投げた感がすごい。この主人公の成熟の過程は森鷗外自身の経験が大いに反映されているのであろう。
 僕としては、貞操を捨てるまでの性の観念は読み物としていくばくか成立する余地はあるかも知れないがが、その後の情熱のない性観念などゴミ箱に捨て、ゴミ箱を空にするボタンを押しても全く問題にならないほどつまらないものである。童貞を捨て自信のついた男の買春譚など興味はないから投げ出してくれてこちらとしても助かった。重要なのは情熱。

 1つ面白かったのは、甘い苦悩と苦い苦悩という描写。
 女に入れあげ学業を疎かにし退学させられる学友と、女をまだ知らない主人公という場面。
 「甘い苦悩」は欲望を満たした代償として背負う苦悩。
 「苦い苦悩」は満たされない欲望に煩悶する苦悩。
 という意味だとして受け取った。
これは言い得て妙だなと感心した。ただ、誰しもが感じた事のある道端の石ころのような苦悩である事には違いない。
 
(0525 Mon 2020)

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