田舎のおつかい
最近「生きづらさ」という言葉を見聞きすることが多くなりました。
「生きづらさ」の原因って何でしょう?
「こうあらねばならない」という自分の持っている価値観と現実の自分の姿にギャップがあったり、自分のことを認められず自分を否定することが多いと「生きづらさ」を感じやすくなります。
自分はダメなヤツ。
自分は役に立たない。
自分は何もできない。
子供の頃にそんな風に思う出来事があって、自分はそんな人間なのだと自分という人間を定義して、そんな自分であるという前提で生きていることが「生きづらさ」になっていることがあります。
私がまだ小学生だった時の話です。
引っ込み思案で人見知りだった私は人と交わるのが苦手でした。
苦手というよりは苦痛でした。
近所の人と会ってもあいさつができなくて、親があいさつをするように促すのですが、こわくて声を出すことができませんでした。
ある日私は、母親からお使いを頼まれました。
近所にほとんどお店のない田舎で、買い物に行くという経験はほとんどありませんでしたが、その日は焼きそばを作るための麺を買いに行くように頼まれました。
1キロほど離れた小さな食料品店に歩いて行った私は、店の前でしばし立ち止まり、勇気を出して中に入りました。
お店の人から何を買いに来たのか聞かれた私は「焼きそば」と答えました。
すると、お店の人が「これね」と言って袋入りのインスタント焼きそばを手に取りました。
当時「はい」しか言えなかった私は、それが目的のものではなかったけど仕方なく「はい」と言いました。
私には自分の意志を言葉で伝えるということができなかったのです。
実はその時私が買いに行ったのはインスタントの焼きそばではなくて生の中華麺でした。
生の麺を使って焼きそばを作ることになっていたのですが、「焼きそば」と言ったがために、お店の人はインスタントの「焼きそば」だと思ったのです。
私は心の中で「うちではインスタントは食べないんだよ。あ~、最初にちゃんと中華麺と正確に言えばよかった。」と後悔しましたが、思っていることを口に出せない私にはどうすることもできませんでした。
泣く泣くお金を払った私は残念な気持ちでいっぱいのままとぼとぼとインスタント麺をぶら下げて家に帰りました。
家に帰ると、母は悲しい顔をしてお店に電話をしました。
そして商品を交換するためにお店に向かいました。
何をやらせてもできない子だったので何か用事を頼まれるということはほとんどなかったのですが、この時は、麺を買いに行くくらいはできると思ったのか、他に買いに行く人がいなかったのか、それともできるかどうか試してみたのか、おつかいを頼んだ理由はわかりませんが、役に立たなかったのは事実です。
このことで「やっぱり自分は役に立たない」「自分は親に迷惑をかける」「自分は親を悲しませる」という思い込みを強化させていきました。
相手に自分の意志を伝えられず周りの人に迷惑をかけるという出来事はその後も何度も起きました。
相手とコミュニケーションが取れない、会話が成立しないというのは発達障害が原因だったのかもしれません。
夫婦関係や家族の問題に長い間悩んだ私は今、心理カウンセラーとし発達障害や不登校のことで悩む人、生きづらさを抱える人のサポートをしています。
子供の頃の失敗は、あの時には確かに失敗でしたが、あの経験があったから、長い時を経て悩みに寄り添うことのできる自分に成ることができたのかもしれません。
自分の過去を掘り起こしてみると、今自分を苦しめている「何か」の根っこがどこかにあります。
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