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どんなに行動を批判されようが自分が大切にしているのはこれだと言い切る朝倉宗滴のことば

こんにちは、両兵衛です。

昔、福井県の福井市に住んでいたことがありました。市街地から南東に10キロくらい離れたところに一乗谷朝倉氏遺跡があります。

信長による焼き討ちにより長い間土の下に眠っていたため、遺構がきれいな状態で残されていて、江戸時代ではなく戦国時代の城下町の雰囲気が味わえる貴重な場所です。2年前にものすごく久しぶりに訪れましたが、一部街並みが復元されていて驚きました。

一乗谷を本拠に5代約100年に渡って越前の国を治めたのが朝倉氏です。大河ドラマ「麒麟がくる」では、最後の当主である朝倉義景をユースケ・サンタマリアさんが演じていましたね。

その義景まで3代に渡り朝倉家を支えた一族の重鎮が朝倉教景(あさくら のりかげ)という武将です。仏門に入ったあとの宗滴(そうてき)という名で呼ばれることが多いのですが、今回はその宗滴のことばを取り上げます。

宗滴が亡くなった後、彼のことばをまとめたとされる「朝倉宗滴話記」にこんなことばが残されています。

武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候

武士というのは、犬と言われようと、畜生と言われようと、勝つことが最も大切なことであるという意味です。

宗滴は何と79歳まで戦いに出陣し、その陣中で病に倒れるまで各地を転戦して朝倉家を支えました。生涯で多くの時間を戦場で過ごし、敗者の悲惨さを何度も目の当たりにした宗滴だからこそ、ここまでストレートに何と言われようと勝たねばならんと言い切ることができるのでしょう。

翻って、自分事として考えたときに、誰に何を言われようと自分が大切にしていることはこれだと言い切れることがあるだろうか。何か行動を起こそうとすれば、どこからか批判や反発があるものです。それでも、宗滴のようにこれが自分の考える最も大切なことだと言い切れる覚悟をもちたいものです。

宗滴の最期に関してこんな逸話もあります。
陣中で病に倒れ帰還した宗滴が、臨終の間際に「今すぐ死んでも言い残すことはない。でも、あと三年生き長らえたかった。別に命を惜しんでいるのではない。織田上総介の行く末を見てみたかったのだ」と言い残したというものです。

織田上総介というのは、まだこのころ尾張一国も平定できていなかった織田信長のことです。そんな信長を宗滴は気になる存在として既に注目していたということですね。宗滴の死から18年後、朝倉氏は宗滴が注目していた信長によって滅ぼされることになります。

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