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大きな成果を手に入れても、これを守れなくては意味がないと残した北条氏綱の遺言

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

戦国時代というと裏切りや寝返りなどがあたりまえの時代だったと言われます。その一方で、全く逆の考え方もあったようです。

今回登場してもらうのは北条氏綱という武将です。氏綱は戦国時代に関東一円を治めた北条5代の2代目で、小田原駅前に騎馬像のある北条早雲(伊勢宗瑞)の嫡男です。

息子の3代目氏康は、あの武田信玄や上杉謙信と互角に渡りあう名将となります。足利将軍や徳川将軍などみても2代目というのは目立たない存在となる場合が多いですが、早雲から引き継ぎ関東に領国を広げ支城網を作り上げた氏綱の存在が北条氏が5代続く礎になったのではと思われます。

そんな氏綱が遺言状「北条氏綱公御書置」で、息子の氏康にこんな言葉を残しています。

大将によらず、諸侍とも義を専(もっぱら)に守るべし。義に違(たが)いては、たとい一国二国切り取りたりとも、後代の恥辱いかがわ。天運つきはて滅亡を致すとも、義理違えまじきと心得なば、末世にうしろ指をさされる恥辱はあるまじく候。昔より天下をしろしめす上とても、一度は滅亡の期あり。人の命はわずかの間なれば、むさき心底努々(ゆめゆめ)あるべからず。古き物語を聞きても、義を守りての滅亡と、義を捨てての栄花とは、天地各別にて候。大将の心底慥(たし)かにかくのごときにおいては、諸侍義理を思わん。その上無道の働きにて利を得たる者、天罰終に遁(のが)れ難し。

「義を守る」、「義理を違えない」、「後ろ指を指される恥辱」という言葉が目につきます。裏切りや寝返りが当たり前で領地や国を広げることが常識とされた時代でも、こういう考え方もあったようです。

前回は逸話編纂者が、大義名分、何かを成し遂げるためには、その行動にどんな理由があるかが大事であることを述べていたことを取り上げました。氏綱が言うのは、人に後ろ指を指されない理由をもとにした行動がとれているかどうか。義を守れているかどうか。例え国を切り取る大きな成果を手に入れたとしても、義が守れなければ意味がないということですね。自分の行動は、氏綱の残した言葉にあてはまっているだろうか考えさせられます。

3代目氏康は、父氏綱の言葉をよく守っています。武田、北条、今川の3氏によるいわゆる甲相駿三国同盟は、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれることで破られます。なぜなら武田信玄が盟約を破り今川氏を攻めたからです。この際、氏康は義理を守り今川氏を救援するために信玄と戦いました。

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