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瀬戸の染付のカップについて

先日入手した美しい染付のカップについての考察をまとめています。

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余談ですが、この品は某骨董店の軒先で昨年5月に出会いました。

見せて頂こうと門戸を叩いてお願いしたのですが、その対応たるや常軌を逸するレベルの感じの悪さ。当時は二度とお店に近づくことも無いだろうと思っていたのですが、ことあるごとにこのカップのことを思い出すので、思い切って再訪したところ、相変わらず軒先に粗雑に置かれていたので即購入し、超濃厚漂白剤でお清めして今日に至ります。

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本題に戻ります。
本品のソーサーの裏を見ると、
"陶玉園 五助製"
と記されています。

"陶玉園"とは、4代 加藤五助 (1839〜1905) の屋号。
1863〜98年に活躍した染付の名手です。

加藤五助は7代にわたって陶磁器を生産した尾張・瀬戸の窯屋です。

4代五助は磁器土の水簸方法や釉薬の改良を行い、染付磁器の伝統を重んじながらも意匠の工夫に力を注ぎました。1874年には輸出用碗皿の製造に着手し、これ以降は欧米向けの高級品を製作しています。

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また、瀬戸の窯業技術の向上にも熱心で、自ら改良した窯の情報や習得した石膏型の使用法などを惜しみなく同業者に伝授しています。

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1883年には4代五助主唱のもと、瀬戸焼を陳列する施設として陶器館を設立し、同業者の切磋琢磨を促しました。

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とても目を惹く個性的なシェイプは、おそらく イギリス・ハマーズレイ によるのこちらの作例を写しているのではないかと思いますが、さらに本歌が存在する可能性も考えられます。

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薄造りで透光性の高い磁胎に、染付による精緻な絵付けが施されています。煎茶や中国茶を楽しむのにもぴったりな一客と思います。

奇しくも同時期にお隣、美濃・多治見では 加藤五"輔"(1837〜1915)も染付の名手として活躍していたという事実も大変興味深いですね。

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最後の画像は美濃の加藤五輔による絵付が施されたカップ&ソーサーです。裏には"大日本美濃 加藤五輔製"と記されています。

《出典》

横山美術館『瀬戸・美濃の美』展 図録
横山美術館『カップ&ソーサー』展 図録
加納コレクションより 美濃・加藤五輔 カップ&ソーサー 画像

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