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ある日突然 being が降りてきた

これは40代男性サラリーマンが2年の年月をかけて「ありたい自分( being )」と向き合い、その答えにいたったストーリーです。

先日、日課であるお風呂掃除をしていたとき突然その閃きが降りてきました。「あれ?これって私の being なのでは??」
気がついた途端に全身が震えました。

being とは?

そもそも、ありたい自分( being )とは何でしょうか。

私が勝手にメンターとして仰いでいる澤円さんがよくおっしゃっている言葉で、何をしたいか?どんな人になりたいか?という行動軸( doing )のさらに奥底にある「なぜそれをしたいのか?」という自分自身の根源にある存在意義。と私は解釈しています。

その言葉を知ってから私も being を見つけたいと、様々な方法で自分を分析し深掘りし自分自身の深淵への旅に出たのです。

ありたい自分( being )の見つけ方

以前書いた being の見つけ方の記事をご紹介します。

まとめますと、

1.心から○○のときを見つける
2.子供の頃に憧れた人を思い浮かべる

これに最近見つけた方法をプラスし、
3.目の前のことをがむしゃらにやってみる

となります。
この時点では私の being を言語化することができませんでした。代わりにイメージ(画像)として定義しておき、自分ではいつでもそれに立ち戻れるようにしました。ただ、

「それを人に共有するときはどうしますか?」

という課題を澤さんからいただいていたんです。
イメージでは人によって捉え方か違う。その誤差をどう解消するのか。という訳です。

私自身は、全てが言語化できるわけではない、と考える派で、アート思考などがそこに近いと思っているのですが、それでもやはり言語化したい。それは偽らざる想いでした。

DMN で考える

DMN とはデフォルトモード・ネットワーク( Default Mode Network )の略で、簡単にいうと脳のアイドリング状態のことです。何かに集中したり、意識的な活動をして「いない」ときの脳の状態になります。

ぼんやりしているとき、脳はとっさの行動が取れるように、完全に休むのではなくアイドリング状態でスタンバっているそうです。DMN には、脳が入力した情報を取捨選択し整理する、という役割もあるそうです。

人は、普段気になっていることなどをDMN で考え続けているんですね。つまり私は「私の being とは?」と考えることで、何もしていない時間、ぼんやりしている時間でも、自ずと being について考え続けていたという訳です。

これが私には一番正解に近い方法でした。

目の前のことをがむしゃらにやってみる

そうして being を見つけられないまま、私は週一回 note に well-being をテーマにコラムを書くという作業をひたすらに続けました。もう10ヶ月近く、毎週2,000文字〜3,000文字のコラムを書いているので、DMN は常に「 being とは?」「 well-being とは?」を考え続けていました。

そんな折、禅僧であり精神科医の川野泰周さんから「自利利他円満」という大乗仏教の言葉を聞きました。

自利利他円満とは「利他であることが自利となる境地」という意味合い。

ただ私は「利他の前にまず自利があり、自利=利他、利他=自利となり、すべて円満となる」と解釈しました。

利他であるために自分を失くす、滅私奉公は違うな、という感覚があるためです。自分がなくては利他たり得ないという信念でもあります。これについても note を書いています。

こうして私の中で、どんどん意識的にも無意識下でも being を練り続ける日々が続きました。

それは突然に

そうして先ほどの note を書いた2日後の早朝。
日課であるお風呂掃除をしているときも、やはり DMN で being や well-being を考え続けていました。(その感覚もあります)

そして突然ひらめいたのです。

私の being って「自利利他円満」じゃないか?!

という考えが。
2年かけて being とは何かを追い続け、常に頭の片隅で考え続けてきた概念。利他的に生きることが自分らしいと感じていたけれど、自分を犠牲にするのは是とできない。自分を大切にしたいがそれだけじゃ足りない。そうしたぐるぐると色々な考えが2年間うずまき、10ヶ月かけてアウトプットし続けることで、自分の価値観を整理し続けてきました。

そこにピタっと言葉が呼び寄せられたのです。

他のオリジナルな言い回しがあるのかも知れません。しかし考えれば考えるほど「自利利他円満」以上にしっくりくる感覚が持てない。

あー!これだ!」叫んでいました。
2年間追い求めてきた being にとうとう出会えたんです。
全身が震えて涙があふれてきました。

泡だらけのスポンジを握ったまま。

答えが見つからないときは

私のように being が見つけられず悩んでいる方。
DMN に being を置いたまま、ひたすらに目の前のことをやってみませんか?DMN が思考を整理し、研ぎ澄ませ、あなたの being を見つけてくれるでしょう。何せ手を動かすこと、見聞きすること、考えること、全てを being に関連づけてぼーっと思考を整理する時間が取れるんです。

これぞ最高のメソッドだなと思います。

being は見つけたら終わりではなく、折に触れて見返していくことも必要です。数年後には違った概念になっているかも知れません。それも being です。

ただそれまでは胸を張って宣言します。
私の being は「自利利他円満」だと。

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