「素敵な青春をありがとう」と彼に今伝えたい。
青春。
ハッピーなことばかりが青春ではない。
なんならバッドエンドの方が多くて、でもそのバッドエンドすらも今となっては懐かしくて愛おしかったりもする。
これが俗に言う「青かった」ということなのでしょうか。
まぁ私の青春の日々は後悔ばかりでした。しかしかといってあの日々に後悔しているのかと聞かれればそうでもない。
なんとも不思議な感覚です。
なんならもう一回青春をやり直したいか?と聞かれれば「大丈夫です」と言うでしょう。
あの頃出会った彼ら以外と過ごす気はないし、今の感情のまま過ごしたら、まぁ上手くは行くのでしょうがそれでは意味がないのだ。
何とも不思議である。
そして、ここで書き記したいのはそんな私の青春を支えてくれたとある人へのメッセージである。
何だか、この事実をどこかで書かなければ俺の青春が有耶無耶になってしまいそうな気がした。
最初の記事に記した通り、そもそもnoteを始めた一番の理由がこのことである。
先に言っておくが、その人物とは友達でも何でもない。会ったこともないし話したこともない。多分向こうは私の存在など知りもしない。
勝手に憧れを抱いていた人物である。
1年3ヶ月越しのメッセージ。(恋文とでも言っておこうか)
忘れもしない事の発端は2019年4月1日。
丁度新元号が発表された日。
当時職場の移動で新たな場所で仕事をこなしていた。別に期待感も無ければどうでもいい事であったが、新たな場所へ来て探り探りな周りの様子を見るのは悪くない。そんな光景は今でも少し好きだったりする。(きっと捻くれているのでしょう)
まぁこの場所への移転が1年間の地獄の始まりだったのですが、そのことについてはまた機会があれば。
まぁバタつきながらも家に到着したのは確か20時くらい。さて飯でも食って風呂でも入るかなと考えているところに着信が。
相手は高校時代からの友人で、大学時代バンドを組んでいた気心の知れた男からであった。
一年前の夏に地方へ行ってしまった彼とはよく連絡は取る方である。しかし電話というのは珍しかった。
「ほいほい、どうした?」
「ネ、ネットニュ、ニュース見た?」
「ん、携帯は特に見てないな!どうした?」
「か、かかか、かー、@&☆♫、が、」
「ん?か?KAT-TUN?え、まさかとうとう亀梨までもが抜けたのか?」
彼はれっきとしたベーシストであったが同時にKAT-TUNが好きな男である。少々心配になったので聞いてみた。
いや、そもそも奴はクールな男である。こんなに取り乱すことは珍しい。只事ではないのだなということはわかった。
「なに言ってんだよ!違うよ!ka-yu !ka-yu がジャンヌ抜けた!ジャンヌ解散だってよ!」
「...。そうか。とうとう解散か。何かあったのかね。」
ここでいうジャンヌとは、いわゆるロックバンド、Janne Da Arcのことである。
90年代の末期にメジャーデビューした、ヴィジュアル系バンドの最終兵器と呼ばれたバンド。
ドラムのshujiが加入する前から入れれば、多分自分の年齢より長く活動していたバンド。
いや、厳密にいうと活動自体はもう長く停止している状況だった。
それこそ事実上の停止から含めれば12年の年月が過ぎたとのことだった。
その事実を聞いた時、自然と取り乱してはいなかった。きっとどこかで諦めていたのかもしれないし、何ならこれでどこか胸のつっかえが取れた様な気さえした。当然涙など流れる筈もなかった。
文面だけを見ると冷たいように感じるだろう。
しかしそんな訳はないのだ。
俺はこのバンドが大好きだった。
年齢的にもジャンヌ全盛期は小学生だったので、彼らを初めて知ったのは小6の時。そう。かの有名な月光花で知った。子供ながら心地よいメロディには惹かれ、当時Docomoのムーバで着メロにしていた。
しかし彼らにハマるのはその更に2年後。奇しくも活動休止前後の時期である。
まぁこの話題も追い追い話してくが、当時様々なヴィジュアル系バンドを聴き漁っていたため、その時に本格的にハマった。
そのため、好きになってから初めて目にしたのはjanne da arcとしてではなく、acid black cherryとしてだった。
当時jdaとabcの区別もついておらず、ただ声が同じということで認識しだした。
そこからまぁ様々調べ出し、彼らにハマるまでそう時間はかからなかった。
高校に入ってからは更に加速。彼らの楽曲を聴けば聴くほどテクニカルでメロディアスなのだ。歌謡曲や昔のj-popが好きな俺だ、嫌いなわけがない。(音楽ルーツについてもまたいつか)
しかし、当時の音楽シーンはいわゆるロックバンドは時代に取り残されている感があった。いや、そもそもメタルはもちろんハードロックバンドも地下にはいたのだろうが、表舞台では見る影もなかったように思う。まぁロックバンドはいたが、今ほどメジャーなものではなかった。ここ最近はまたフェスなどで再熱していて誰もが耳にするかもしれないが、当時は普通の高校生はあまり聴いていなかった。少しおしゃれな、クランチサウンドをテレキャスでかき鳴らす系のバンドくらいは聞いていただろうが、少し音楽に詳しい奴が今でこそ大人気のワンオクや9mmを聴いているくらい。(俺は普通のロックバンドならUVERworldが好きだった。アウェイクイブとかの頃)
考えてみれば、ネオビジュアル系という分野は若干ながら地下シーンで再熱しており、トップチャートにもしばし姿を現してはいたが、やはり人気なのはR&B風ポップスやテレビ番組での企画系(当時ヘキサゴンが流行ってました)、あとはやはり優しい音楽、ラップを織り交ぜたミュージック(こちらもやはりコアなhip-hopは地下シーンで盛り上がっていたが表には出ていなかった)などが主流だった。
そんな中不利な中でもしばしヒットチャートに姿を現した猛者たちもいた。
前述したネオビジュアル系ブームの最先端にいたのは言わずもがなthe GazettEら2000年代結成組。(当時の年齢はおそらく今の俺くらい)
丁度2008年頃は春先には紅蓮をリリース。ナイトメアも確かthe killer showを出していたような気がする。10月メジャーデビューするシドはセンチメンタルマキアートをリリースしてのツアー。翌年嘘で大ブレイク。アンカフェは坊が脱退した後の初フルアルバム極魂rock cafeリリース、アリス九號.なんかも積極的にシングルリリース。(確かミラーボールとか)彩冷えるも確か翌年メジャーに行ったような。
そんな形で少々メディア的にもそこまでマニアックな存在ではなく、普通の高校生、大学生くらいなら存在くらいは知っていたと思う。
まぁこれ以上語り出すと論点がずれそうなので、ビジュアル系についてはまた今後ということで、話を元に戻すと、そんな若手ビジュアル系ブームのおそらく現役組最大手にいたのが紛れも無いacid black cherryだった。
それに何故か彼(yasu)は一般受けがいいのだ。もしかしたら住んでいた地域だけかもしれないが、そこまで嫌煙されることはなかった。少なくともクラスメイトでABCいいよねなんて言葉を聞くことはよくあった。
当時の俺はどっぷりそのシーンに浸かっていたし、少しでも好意的な意見があれば嬉しくてついリサーチしたりもしていた。
かくいう私も謎の男で、ビジュアル系が好きなくせに、高校時代の2008年〜2010年位はmen's eggが流行っていたこともありギャル男に憧れて髪型を真似したり、日サロで焼いたりもしていた。そして背中にはギター。しかもhideに憧れてのモッキンバード。謎である。
まぁそんな話は置いておいて、リサーチすると彼、彼女らは歌詞が良いと言っていた。それに歌が上手いと。しかしそんな周りの人たちは時に残酷だ。
Janne Da Arcとacid black cherryは同じものだと勘違いしているのだ。
いやまだそれなら百歩譲って許そう。中にはJanne Da Arcを知らない奴までいる。そんな奴に必死であの月光花の!と冗談抜きで100回は説明した気がする。そして何故かDOOLSだけは知っている。
とまぁそんな認識だったんです。
そして非常に厄介なことに、俺はギタリストであるにも関わらず、一番惹かれたメンバーが
ベース担当のka-yu だった。
もちろん5人とも好きだが、特に彼に惹かれた。
何だろうか、あの妙な色気は。ワイルドでいて美しい。当時はまだタトゥーがそこまで劇的に増えてはいなかったが、そのタトゥーも素敵だった。ビジュアル系と名乗っている(まぁ後期はもう違ってはいただろうけど)のにも関わらず顎にはヒゲをたくわえているのだ。
俺は当時割とヒゲが生えるペースが早く、ビジュアル系たるものヒゲなど、、という考えであったが彼に憧れてからはもうアゴにはヒゲをたくわえていた。(なんなら今でもずっと生やしてます。)
とにかくカッコいいのだ。
そして彼を含めた5人が合わさるとこれ以上ないくらい華がある。
とにかく俺はひたすらに買い漁った。
シングルも確か2枚くらいなかった気がするけど他は全部手に入れたし、アルバムも全て持っている。それでは飽き足らず写真集も3つくらい見つけ出した。(trace?だったような、あと2001年くらいのオフショットのやつ、あとdead or aliveのやつ)
そしてひたすらにギターをコピーした。スコアはインディーズ集とGAIAのみ冒頭で話した友人に託し、他は全て自分で買った。初めて買ったのは確かARCADIA。acid breathが弾けた時はうれしかった。スウィープを覚えたのもジャンヌだったし、ミュートタッピングを習得したのもジャンヌ。高速フルピッキングも腕がつりながら練習した。弾けないときはyouの教則DVDを買った。(全然為にならなかったが(笑)間近で見られるのが嬉しかった)なんならベースでもないのにka-yuのDVDも持ってる。
とにかく難しかったが達成感があった。
そんなバンドの復活を俺はずっと待ち続けていた。
先の友人にいつ復活するのかを毎回のタイミングで告げていた。
2009年でメジャーデビュー10年。ここだ。Q.E.Dでyasuがツアーを終えたら復活するんだ。2011年震災で5人集まったがまだ時じゃないんだよ、2012をリリースしたら丁度休止5年だ。ここしかない......。
しかしいつからか俺はもう「復活」という言葉を使わなくなってきていた。
俺はずっとメンバーの動向はチェックしていた。ABCはシングルもアルバムも。youのlifeは3つとも全て買った。(そもそも俺はギタリストだった。この3作は名作だ。)そしてもちろんka-yu もだ。松本和之のsolid beat2作品、DAMIJAWも。DAMIJAWには運良くshujiもいたし、大好きなSIAM SHADEの一馬もいたから一石二鳥だった。
しかし気がつけば2013年頃から段々と新譜をチェックはするが購入は気が向いたら。という風になっていた。
そもそも冒頭の友人はベース担当。黙っていてもDAMIJAWは買っていて貸してくれたし、ABCも2012以降は買わなかった。シングルは一応チェックしていたが、待望のL エル が新作で出るというのにそこまでテンションが上がっていなかったのは自分でも驚いてしまった。
youはブログも全然更新してなかったし、shujiはka-yuと行動してる。kiyoも確かシンクレアのプロデュースした作品は買ったが、ZACK(だったような?ちがうかな?)は聴いてもいなかった。
きっと心のどこかで諦めていたのだと思う。
でも、俺は一つだけ、ずっとはじめに決めた自分自身の気持ちは裏切らなかった。
Janne Da Arcのメンバーのライブは、必ずJanne Da Arc復活ライブで行く。
という決まりだ。
正直何度もABCのライブに誘われたし、何なら行きたかった。でも生で見るならば、どうしてもあの5人がよかった。
これは何もABCサポを否定しているわけじゃない。何ならyasuの周りのメンツのバンドの音源も全て聞いたし、何なら持ってる。シャム、ラクリマ、リュシフェル、ブレイカーズ、デルヒ、ペニシリン...みんな好きだ。
でもyasuの声はどうしてもJanne Da Arcの曲で聞きたかったのだ。
これだけはどうしても曲げられなかった。
どこかで期待している気持ちもあった。
現に不可能と言われたSIAM SHADEは2011年、2013年に復活した。(俺は全部で3回例のベーシストと参加した。シャムについてもまたいつか)
しかし中々叶わない。
あえてマドモアゼルにも入らなかった。
結局中学〜大学卒業までにはJanne Da Arc復活ライブは叶わなかった。そのまま2015年に社会人になった。
そして仕事に疲れ音楽自体もそこまで昔ほど聞かなくなっていた。
なんならあれだけ好きだったギターも全く弾かなくなっていた。
DVDも大好きなdearly大阪城をほんとにごく稀に見るくらい。副音声は武道館のやつが好きだったがほとんど見なくなっていた。
ただ不思議と写真集はたまに目を通した。彼らのインタビューを見るとやはり惹かれてしまうのだ。しかし、それ以外は(Janne Da Arcだけでなく音楽自体から)すこし遠ざかってしまっていた。
そのためyasuがまさかヘルニアで活動休止しているなんて知らなかったし、スピンオフアルバムの存在も知らなかった。
そして2018年。
何やらka-yuが動き出すらしいというのは例のベーシストから聞いていた。
しかもその年にはたしかkiyoを交えてライブをしている。アルバムにはリョウの好きなyouも参加してる?らしいぞ!と。
これには忘れかけていた熱が少し再熱した。あぁ、楽しみだなと。
テンションが上がって久々にギターとエフェクターボード持って、奴とスタジオで合わせたりもした。(strange voiceや霞ゆく空、マリアの爪痕、アイムソーハッピーなど、久しぶりにギターを手にしても比較的弾きやすい曲を選ばせてもらった。)
しかし延期になった。
そして2019年3月31日。
彼は、今までありがとう。という言葉を残して、彼が愛したバンドを去っていった。
そして翌日バンドは解散。
話は2019年の春先に戻す。
しばらくすると他のメンバーもHP上にコメントを寄せ始めた。
あんなに不器用なyouの頑張りに少し泣けてきた。kiyoとshujiもそうだ。
そして何よりもyasuのコメントは流石に胸に来た。
同じ文章を職場で何度も見た。
正直yasuには少しだけ、なんでだ。と思っている節があったのは否めない。しかしこのコメントを見て目頭が熱くなってしまった。
彼は誰より苦しんでいたのだ。
あの最初のライブで言っていたことは嘘ではなかったのだ。
あの時ほど変な感情になったのはないかもしれない。
悲しいはずなのに少しホッとする自分がいる。
あんなに大好きだったバンド。
そうだ。俺には青春の一部に過ぎないが、yasuからすれば、いや5人からすれば青春そのものだったのだ。
悲しくないはずがないのだ。
ゆっくり休んでくれと。俺はD.N.Aを手に取った。
桜とring。
Janne Da Arcで好きな曲を上げろと言われても絞ることは不可能だが、何故かこの二曲は再生回数が多い気がする。
Janne Da Arcを聴きすぎて、ギターソロだろうがイントロだろうがアウトロだろうがどこを聴かせても俺は1秒で答えられる。
それくらい聴き込んだ。
大学時代、高校時代の仲間と組んだバンドはJanne Da Arcのコピバンだった。
R-type-のソロでミュートタッピングをして客(大体メンバーの友人だったが)から凄い!と言われたこともあった。
俺の中でも非常に大切なバンドだった。
そして俺が憧れたka-yu 。
彼はいま色々な噂がある。憩い部のライブレポも様々読ませてもらった。ここではあえて書かないが、色々あったらしい。
しかし、俺には今でもステージ上で誰よりも魅了する男なのだ。笑顔が可愛い、子供のような、しかし頼り甲斐のある男。
俺はきっと彼が今後どうなっても嫌いにはなれない。永遠のロックスターだ。
彼が今でも元気で、生きていてくれればそれでいい。どうか身体を壊さないでいてもらいたい。
そしてJanne Da Arcよ、ゆっくりと休んでくれ。
、、、
思ったより長くなってしまった。
そして最後に。
以前、2013年の夏だったのだが、ka-yu (その頃はDAMIJAW名義)はTwitterで時々リプライ祭りなるものを開催してくれていた。
そこで俺は当時大学3年生でまぁ色々と、とてもしんどかったのもあって、普段は見るだけでしないのにその日に限ってka-yu のTwitterにリプライを送って見た。
すると。
なんてカッコイイ男なのだろうか。
結局ライブには行けなかったが、、。
この言葉に救われた。
心からありがとう。
そして「素敵な青春をありがとう。」
"君だけの未来を探して
旅立とう地図にない場所へ。
余計なものがあるのなら
全て今日に置いていこう。
嫌いな雨さえ上がれば
すぐに歩き出せるから。"
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?