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耐え難い離脱症状と医師の無理解の中、無我夢中でアシュトンさんに連絡をとる

私がソラナックス(アルプラゾラム)を断薬したのが2009年夏

依存性や離脱症状の存在なんて、医師からはこれっぽっちも知らされることはありませんでした。なにせ「20年、30年飲み続けて大丈夫な安全なお薬」と言われていたのですから。

断薬直後から耐え難い症状が怒涛のように出現して、心身共に疲弊し動揺した状態が続きました。

一体、私の身に何が起きているのか?

たとえば、目は眩しく酷く痛む。眼球の奥に石ころが入っているような痛み。

手はピリピリと痺れる。
毎晩毎晩、睡眠中に手が痺れて動かなくなる。
寝相のせいでもなく、ごく普通の体勢で寝ているにもかかわらず激しく痺れる。それは炎で炙られるような灼熱感を伴う痺れ。

あるいは頭部から足まで全身の筋肉がぴくつく。まるで皮膚の下で小動物が蠢いているかのようにぴくつく。

不眠も激烈。ようやく眠りに落ちようとする、まさにその瞬間、頭部が左右にカクカクッと痙攣して覚醒する。これが一晩で何度も何度も繰り返し起きる。拷問のようだった。

今度は歯が痛む。虫歯かと思って歯医者に行くと、犬歯の先が摩耗してなくなっていた。
睡眠中の激しい食いしばりが原因とのことだった。早速マウスピースを作った。

大量の寝汗。一晩に下着も含めて全ての衣類を何度も着替えなければいけない。

焼き芋屋の車が放つような音の耳鳴りもする。
ドアが閉まる音はガラスが割れるような甲高い音に聞こえた。

断薬以降、怒涛のように押し寄せる不気味な症状の数々に疲弊しきる日々。
何かがおかしい。体の中で得体の知れない大きな異変が起きていることは確か。

目は眩しくても酷く痛んでも、自力で調べなければどうしようもない。どうやら医師は当てにならないようだから。

自力で調べようにも、依存や離脱について日本語で得られる情報が殆ど皆無に等しかった、というのはこれまで書いてきた通り。

そんな中、辿り着いたのがアシュトンマニュアル、アシュトン論文。

無我夢中でアシュトンさんに連絡をとり、マニュアルを翻訳をさせてもらうことになった。それが2011年4月のこと。そして、アシュトンマニュアル日本語版が公開されたのは2012年夏。

怒涛のように押し寄せる離脱症状と医師の不勉強、無理解に悩まされる中、アシュトンマニュアル、アシュトン論文に辿り着いてから日本語訳公開に至るまでには、他にも出来事は濃密にあったけど、かなり大雑把にまとめるとこんな感じ。めちゃくちゃ大雑把ではありますが。

そして、日本語訳が公開されることを知った読売新聞記者(当時)の佐藤光展さんから取材を受け、記事にしていただいた。それがこれ。

2012年6月7日 読売新聞夕刊

この記事への反響はかなり大きく、佐藤記者の元に届く問い合わせが止むことはなかなかなかったと聞いています。溢れ出る、行き場を無くした医原性薬物依存者たち。そして当てにならない精神科医たち。

精神科の先生方にお聞きしたい。

この精神医療の惨状、自浄作用のなさについて、「恥ずかしい」「プロとして情けない」と思いませんか?

アシュトンマニュアルとは、あなたたちの無責任、自浄作用のなさの産物なんです。そこを忘れないで頂きたい。

この読売新聞に掲載された記事をきっかけにして、ようやく各方面で動きが起き始めたようです。この頃から、ベンゾ問題や精神科で横行する多剤大量処方問題を取り上げるマスコミも次第に増えていきます。

次回は、当時から、ベンゾ問題や暴走する薬物療法問題について注意喚起していた、希少な医師たちを紹介してみます。



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