「やらないよりも、やったほうがマシ」って、本当ですか?
皆さん、こんにちはー!
今日のnoteは、『「やらないよりも、やったほうがマシ」って、本当ですか?』というお話です。
思考停止の言葉では・・・?
SDGsについての文脈とか、目標が高すぎる時の取り組みとか、そういう意思決定の時に耳にする言葉に、「やらないよりも、やったほうがマシ」という言葉があります。(結構、聞きますよね??)
僕は、ずーーーーっと、この言葉に疑問がありまして・・・
それは、
何かズルくない?っていうか、ほんとにそれでいいんか・・・?
ということです。
どういうことか。
それは、「やらないよりも、やったほうがマシ」という価値観が非常に反論しにくいものになっている、言い換えると、絶対の価値観にすでになっていて、反論の余地もなく議論が進んでいく(いっそ、着地する)ということです。
前進すれば、OKなのか
確かに、何もしないことと比較して、何かをやれば、やらないよりも前進します。(別に、「何もしない」とは言ってないことが多いけどね。なかなかアイディアが出ないだけで。)
しかし、本当に前進することが、常にOKなのでしょうか。
何かをやるということは、(その時間では)何かをやらないことでもあります。
仮に目的とは程遠いとして、それは本当に「やらないよりも、やったほうがマシ」なのでしょうか。
例えば、SDGsの文脈なら、アースオーバーシュート(地球がもたらしてくれる自然資源を、地球の供給量を超えて、1年分使い果たしている日)が2021年は7/29でしたが、それを、仮にあるアパレル企業が洋服リサイクルに取り組むことで、8/1まで伸びたとして、本当にそれは「やらないよりも、やったほうがマシ」でしょうか?(あくまで例えです)
そのアパレル企業が、そもそも大量消費を前提としたビジネスモデルから見直すという選択肢は本当にないのでしょうか。
企業という枠を超えて、社会に影響を与えることができるようなアプローチは本当にないのでしょうか。
「やらないよりも、やったほうがマシ」と言った瞬間に、その議論はそこで終わってしまいます。
それは、中途半端な前進ともいえるのではないでしょうか?
意思決定の議論の中では良くない言葉
僕は、「やらないよりも、やったほうがマシ」という言葉は、意思決定のための議論の中では良くない言葉だと思います。
もっと言えば、すでに決まったことを実行する場面でも、「やらないよりも、やったほうがマシ」とか言う状況だったら、本当にその方向でいいのか練り直したほうが良いとさえ思っています。
「やるより、やらないほうがマシ」なこともあるでしょ?って考えています。
諦める前に、少しでもやれることを考えよう!という文脈で、「やらないよりも、やったほうがマシ」という言葉が使われることは多いです。
でも、現実には、これ以上のアイディアは出そうにないし、諦めますとも言えないし・・・、「やらないよりも、やったほうがマシ」っていうことで、このくらいの行動計画にしておきましょう・・・!っていう使い方、されてませんか?
僕には、「やらないよりも、やったほうがマシ」という言葉のほうが、あきらめの言葉に聞こえています。
ムーンショット的なこと(実現不可能なことを達成する)も、「やらないよりも、やったほうがマシ」の文脈の中では達成できないのではないでしょうか。
僕は、意思決定の議論の中では、「やらないよりも、やったほうがマシ」は使わないようにしようと決めています。
最後に
今日は、『「やらないよりも、やったほうがマシ」って、本当ですか?』というお話をしました。
つまらない結論ですが、僕は、「やらないよりも、やったほうがマシ」なこともあれば、「やるより、やらないほうがマシ」なこともあると考えています。
ちなみに、“やらない後悔より、やって後悔”論についても、「迷うならやるなよ」って思っています。
もちろん、やりたいこと(もしくは、やりたくないこと)に対して、何がボトルネックになっているかによって判断は変わると思いますが。
迷う程度にしか、やろうと思えないなら、やった後悔もそれなりにありそうだし、すぐに他の選択肢が出てきそうな気がしませんか?
今度、そのあたりも、言語化してみようと思います。
では、また!
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