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「利他的な嘘」に目の効果はあるのか?

映画「シンドラーのリスト」でも有名なオスカー・シンドラーは、ナチスの党員でした。しかしその一方で、彼は私財を投じて1,200人ものユダヤ人を虐殺から救いました。その行為はもちろんナチスの規範に反するものです。この例のように、社会や自分の属する集団の規範を守ることと、他者を助けることとは必ずしも一致しません。寄付などの他者に対して利他的にふるまう場面において、目の絵や写真を置いておくと利他性が高まる、という研究があります。一方で、目の絵や写真があるとゴミのポイ捨てや自転車泥棒といった社会規範の違反が減る、という研究もあります。では、利他性と規範が相反するときには、「目の効果」はどのように働くのでしょうか?


1. 「なぜ」目の絵や写真があると利他性が高まるのか?

 目の絵や写真によって利他性が高まったり、規範の遵守が促進されたりという研究は数多くなされてきました。ただ、この「目の効果」については、ほとんど、あるいは全然効果が無いという研究も多くあることには注意しなければなりません(1)。おそらく、効果はあるにしてもそんなに強くはないのでしょう。
 さて、効果は弱いとはいえ目の効果によって利他性が高まるわけですが、なぜなのでしょうか?人間の行動に限らず、動物一般に「なぜ」ある行動をするのかということを考えるときには、4つの視点からの問いが立てられます。これを「ティンバーゲンの4つの問い」といいます。動物行動学という分野を創設した一人として1973年にノーベル医学・生理学賞を贈られたニコラス・ティンバーゲンが提唱したもので、動物行動学の基本中の基本といえるものです(2)。
 まずひとつは、「至近要因」についての問いです。これは、短い期間でみて、どのような外的、内的な要因がその行動を起こし、コントロールするのか?という疑問です。具体的には脳などの神経系やホルモンがどう働いたのか、あるいはどのような心理でその行動が起こったのか、ということを問うものです。ふたつめが、「発達」です。これは、「個体の一生のうちに、その行動はどのように現れてくるのか?」という問いです。3つめが「機能」です。これは、「その行動をするとによって、どのようないいことがあったのか?」という問いです。生物の機能は自然淘汰による適応によって形成されるので、どれくらい適応的なのか、という問いにもなります。4つめが、「進化または適応」です。これは、「その行動はどのように進化してきたのか?」という問いで、つまり歴史的な経緯について考えるものです。
 この4つの問いは、説明の時間軸が短いか長いか、またそれがメカニズムなのかプロセスなのかというふたつの次元で整理することができます。至近要因は短い時間軸でのメカニズムの説明、発達は短い時間軸でのプロセスの説明ということになります。一方機能は適応で生じますから、長い時間軸でのメカニズムの説明で、進化は長い時間軸でのプロセスの説明です。機能と進化または系統についての問いをまとめて、「究極要因」と言ったりします。これら4つの問いはどれが一番重要というものではなく、視点が違うだけですから、どれも同じように重要です。
 しかしながら、この違いを理解せずに混同してしまっている例も見かけます。例えば究極要因の話をしているのに、それはこういった至近要因で説明できるので間違いだ、と反論しているつもりになっている人がいたりするので注意してください。具体的には、私たちが果物を食べるのは霊長類がビタミンCを体内で合成できないからだ、という話をしているときに、いやそれは単に美味しいからでしょう、というようなものですね。
 絵や写真といった目の刺激によって利他性が高まることの機能として、何が考えられるでしょうか?そこで鍵になるのが「評判」です。この話は「感情は何のためにあるのか」という記事でも書きましたが、私たちの社会で赤の他人どうしの協力関係が成り立っていることを説明する理論として、間接互恵性があります。「情けは人の為ならず」ということわざのように、人間社会では、助けた相手ではなく、廻り廻って別の相手からそのお返しがある、ということがよくあります。それによって、誰かに利他行動をしたことの埋め合わせができているというわけですね。そこで大事だと考えられているのが、第三者からの評判です。誰かに利他行動をするところを第三者が見ていて、ああ、こいつはいいやつだ、という評判が立つと、たとえ利他行動のコストを払っても、周りから良くしてもらえるので埋め合わせができます。逆に、道徳的に良くないことを第三者に見られてしまうと、互恵的な関係から外されてしまうかもしれません。そこで、他人の目があるときにはより利他的に振る舞う、という心のメカニズムが進化したのではないかというわけです。もちろん、それは意識的に働くとは限りません。そもそも目の絵や写真は二次元であり、本物ではないですよね。しかし、私たちは物理的にはインクのシミでしかない漫画を読んで感動したりしますし、男性諸氏はエッチな写真で興奮したりもするでしょう。私たちの過去の研究では、目の刺激があると、「これは気前よく振る舞った方が自分にとってプラスになる状況なのだ」と実験参加者が解釈してしまうということが分かっています(3)。一方で、目の刺激にはゴミのポイ捨てなどといった反社会的な行動を抑制する効果もあります。こちらは規範を守っていないところを第三者に見られてしまうと悪い評判が立ってしまうからでしょう。

2. 目の刺激はどのように影響しているのか?

 以上が機能についての考察なのですが、他者に親切にする、というのは私たちの社会では規範になっていますよね。目の刺激によって高まっているのは、利他性そのものなのか、それとも規範意識なのか、どちらなのでしょうか?
 そこで考えたのが、上述のシンドラーの例のように、利他性と規範が一致しない状況をつくってやればいいのではないか、ということでした。具体的には、嘘をついた方が他者のためになる、という状況の実験を設定し、そこで目の刺激の効果がどう現れるのか確かめてみました(4)。もし目の刺激が利他性そのものを促進するのなら嘘は抑制されないし、規範意識を促進するのなら、嘘が抑制されるでしょう。
 さて、「嘘をついた」程度をどのように測定すればいいでしょうか?そこで注目したのが、アラン・ルイスらによるある実験でした(5)。この実験はとてもシンプルで、実験室に、底に穴の空いた紙コップとサイコロを用意します。実験参加者に、コップの中でサイコロを振ってもらい、コップを伏せた状態で、底の穴から覗いて出た目を確認し、実験者に申告してもらいます。参加者には、出た目に応じて実験者から慈善団体に寄付がされるということが事前に告げられていました。以上。つまり、どの目が出たのかは参加者にしか分からないので、いくらでも嘘がつけるということですね。では嘘をついたかどうかがなぜ分かるのかというと、サイコロがちゃんとしたものなら、1から6の目が同じ確率で出るはずです。多くの人にこれをやってもらって、1から6のそれぞれが報告された頻度をみれば、正直に申告しているかどうかどうかが分かるわけです。もし等確率から偏っていれば、何らかのかたちで嘘が申告されているということになります。ルイスらの実験では、参加者の申告した目は等確率よりも大きな方に偏っていました。つまり「利他的な嘘」がつかれていたということです。
 私たちの実験では、申告された目の大きさに20円を掛けた金額が日本赤十字に寄付される、ということにしました(ちなみに実際に寄付しました)。その際、説明文と一緒に目の絵の刺激が呈示される実験条件と、目の絵を要素に分解して、目のようには見えない刺激が呈示される対照条件とを設けました。大学生96人が実験条件、92人が対照条件に参加し、紙コップの中のサイコロの目を申告しました。
 結果はどうなったかというと、まず対照条件では、申告された目の大きさが等確率を想定した場合よりも大きくなっていました。これは統計的に意味のある差でした。つまり、参加者はルイスらの実験と同様に「利他的な嘘」をついていたということになります。ちなみに5の目の申告が6分の1よりもだいぶ多く、2と3の申告が少なくなっていました。一方、実験条件の方では等確率の場合と差がありませんでした。これは、目の絵があると「利他的な嘘」が抑制され、正直に申告するようになったということを意味しています。
 この結果から、利他性と社会規範が対立した場合には、目の刺激の効果は規範を遵守させる方向に働くことが明らかになりました。なぜなのでしょうか?それは、規範に従わなかった場合のコストの大きさに関連しているのかもしれません。集団の中に嘘つきがいると、集団内の相互信頼が損なわれ、嘘つきは他の集団メンバーから避けられるため、嘘つきと認識されるコストは相当なものでしょう。さらに、「悪事千里を走る」ということわざがありますが、悪い評判はすぐ広まるので、後でいくら良いことをしてそれを打ち消そうとしても難しいかもしれません。「見られている」ときに気前よく振る舞うことは良い評判につながるのかもしれませんが、規範に反するところを見られることのコストはそれよりも大きいので、目の刺激は正直さを促進する方向に働くということでしょう。

3. 文献

1) Oda, R. (2019). Is the watching-eye effect a fluke? Letters on Evolutionary Behavioral Science, 10, 4-6.
2) 長谷川眞理子 (2002). 生き物をめぐる4つの「なぜ」. 集英社新書
3)小田亮 (2011). 利他学. 新潮選書
4) Oda, R., Kato, Y. & Hiraishi, K. (2015). The watching-eye effect on prosocial lying. Evolutionary Psychology, 13, 1474704915594959.
5)Lewis, A., Bardis, A., Flint, C., Mason, C., Smith, N., Tickle, C., & Zinser, J. (2012). Drawing the line somewhere: An experimental study of moral compromise. Journal of Economic Psychology, 33, 718–725.


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