赤穂浪士が引揚げた道を歩く
2月17日の夜、新宿での講談会にて神田伯山先生のグッドな「赤穂義士伝・二度目の清書」を聴けたので、その翌日、両国・吉良邸跡 ~ 高輪・泉岳寺までの赤穂浪士引揚げコースを歩いてみようかなと。
道程は、こんな11.3km
「忠臣蔵」「赤穂浪士」「帰り道」「引揚げコース」、といったキーワードを持ってGoogle先生にお伺いし、ルートを決める。その辺りの研究をしている方々にとっては、「こうこうこうだから、ここは通るはずがない」とか色々あるらしいんだけど、そんな人達にも不明な点が多いんなら 私なんかにわかるはずがねぇ。なので、そんな皆さまが “間違いねぇ(だろう…)” と記している “だいたいの間を取った” コースでGO!
各画像の下部に、グーグルマップのリンクを貼っておくので地図を辿りながら何らかの想いをはせてみてください。
さあ!JR両国駅から、吉良邸跡へ。
説明書きの高札。
中にあった、葛飾北斎が描いた風景。
現在の吉良邸跡は、だいぶ縮小されたものなので、元あった正門・裏門跡の場所も確認。広いお家ですね。広い家ってのは掃除が大変だろうなぁといつも思う。
その近くに、四十七士の一人 前原伊助が「米屋五兵衛」と称して吉良の動きをチラ見していた店の跡が。
今や住宅街となったこの辺りをグルグルして、本懐気分で泉岳寺までの歩みをスタート。次に向かうのは、近くのお寺「回向院(えこういん)」。吉良の首を取った赤穂浪士御一行、お疲れにござる。寄った回向院にて「ちょい休ませてぇ」。しかし、坊主「あんたらと絡んだら損するからゴメン」と、ハジかれる。
「FUCK!他で休もうぜ」と、向かった先は両国橋のたもと。今は駐車場となっております。
「ここを休息地とする!」
「ただの道端じゃないですか!」
一服キメて 両国橋を渡ろうとするも、役人「キミら通したら損するからゴメン」と、またもハジかれる。なので、とりあえず南下して永代橋でもって隅田川を渡ることにする。
そんな両国橋のたもとには、大高源吾の句碑が。
日の恩や 忽ちくだく 厚氷
ヤフー知恵袋 に、よさげな解説があったので貼っておきます。
近くにあった “酒ダルク” が気になった。
一の橋通りを南下していくと、そりゃあ一之橋がある。通りの名前でネタバレスタイル。隅田川の排水路に架かる橋です。汚ねぇ水だね。
たもとにある高札。
排水路の上には、首都高速7号小松川線が走る。
さらに南下すると、地下を都営新宿線が走る都道50号線にぶつかる。すると、ここまで歩いてきた “一の橋通り” は、名前を変え “万年橋通り” となる。そりゃあ萬年橋がある。
下を流れるのは、小名木川。そして、この萬年橋を横から見ると こんな感じ。
葛飾北斎 富嶽三十六景 深川万年橋下の面影を残したのかな?詳しい事はわからないですけど、そう見えたもので。
で、ここから隅田川沿いの道を永代橋まで南下します。見えてきたシャレた橋は、清洲橋。
もう少し暖かくなったら、コンロとモツとビールを持って “川見酒” にしよう。私は常に呑める路上スポットを探している。一般的な公園だと火が使えないのよね。この辺り「火の使用禁止」の看板は無かった。そして、スーパーも見つけておいた。チェック完了。と、永代橋が見えてきた。お日様の方向の都合で過ぎてからの一枚。
桁下から、通りに上がる。浪士御一行、この地にある大高源吾の知り合い「ちくま味噌」の主人に招き入れられ、甘酒を振る舞われる。
こちらの「ちくま味噌」さん、もちろん今も経営されています。創業は元禄初年1688年!「元禄浪士 あま酒」という商品が販売されています。無添加!偉い!ノーベル賞を取っているに違いない!
さあ、永代橋を渡りましょう。
この先のルートをGoogle先生に伺う。が、この永代橋を渡った辺りから、浪士御一行はどのルートで泉岳寺に向かったか?色々と説がありますなぁ。とりあえず私は、一旦、南高橋という橋を渡り、鉄砲洲稲荷神社に向かうルートを取りました。
そこから さらに南下し、浅野内匠頭邸跡を目指のですが、ルートは “行きやすい道” とします!曲がるとこは、コンビニとかわかりやすいヤツで!ハイ!着きました!
あ、碑が斜めってるな。直してあげたいね。
この辺りは、聖路加国際病院とか、聖路加国際大学とか、聖路加の島になっておりました。
次にたどり着いたのは、築地本願寺。
ここは、1998年 X JAPANのhideの葬儀が行われた場所。大好きだった私は、高校二年生の時にTVで見ていたなぁと思い出したり。
そして、こちらには四十七士の一人「間新六」の墓があります。
泉岳寺にも供養塔があるのですが、埋葬されているのはこちらとのこと。
ここから、新橋、汐留方面へ。で、日本テレビの北玄関。
ここには、仙台藩上屋敷跡が。浪士御一行、お粥さんを頂いたとのこと。
この先のルートとしては、国道15号線 a.k.a 第一京浜をズイズイ進んでいけばいいだけ。そしたら、都営浅草線の泉岳寺駅があるからそこを右折すりゃあいいだけ。
しかし、こういったオフィスビルばかり建つ太い通りってのはつまらねぇ。しかも土曜で町は静かだもの。なもんで、ちょいと一本裏に入ったりしてみる。すると、芝神明商店街ってのがあったね。
えらく小せぇ宅サウナ室があったり、
ブイシー(シブイ)な駄菓子屋があった。
まあ、店は あまり開いてなかった。
で、商店街を抜けるとそこは増上寺の通りだった。つまり、大門駅のとこだね。
増上寺といえば、講談・慶安太平記。途中までしか聴いた事がなく、続きが気になりすぎる読み物のひとつであります。
ここからも、大通りには戻らずこのまま裏手の道を進みます。すると、次に現れたのは芝商店街。
コチラの商店街、なんでも激辛メニューを名物にしてるらしい。そういったメニューを出す店が多くあるとの事。そんな旗の隣には「もうしばらくはご辛抱」だとよ。辛い、熱いもの食う時、フーフー吹くだろ。飛沫が一番怖いんじゃないのかキミたちは。馬鹿に出会った場合の最善の策は、“近づかない方がいい”。
この芝商店街を抜けて道路を渡ると、また細い路地に。なんだか感じたことのあるヴァイブス。そうだ、かつて呑みに来たことのある 東京の酒蔵「東京港醸造」さんや、「鹿島屋」さんがある通りだ。鹿島屋さん、やめてしまったのかな? Google先生は「閉業」としている。
この路地を抜けると、また国道15号線に出ます。ちょいと行くと、三田、田町ゾーン。ここで気になっていた「芝浜小学校」を確認しに線路の下のトンネルをくぐる。
さすが東京、さすが港区、シャレた学校建てやがる。この規模、42億でも無理だろう(落語・芝浜より)。
また15号線に戻って、田町駅前の立ち呑み屋の様子を見たりしつつ南下。早い時間なので、サラリーマン a.k.a 18時のウォーリアーは まだいない。
歴代徳川将軍も愛した、東京タワーがキレイに見通せる場所。
でね
歩みを進めていると、ゆで太郎が現れた。
この行程、やたらにゆで太郎に出っくわす。調べてみると、ちょい外れた道にも太郎が控えている。私はこのサブリミナルにやられて、気づいた時には 銀座5丁目店に吸い込まれ、二枚盛りを食べてしまっていた。
ゆで太郎 三田3丁目店からすぐの所に「御田(みた)八幡神社」がある。赤穂浪士御一行、ここで討入りに離脱した高田郡兵衛が現れ祝いの言葉をかけられるが、シカトをキメる。泉岳寺に着いた後に、高田郡兵衛は酒樽を持って行くけどそれも「帰れ!」とハジかれる。って話があったりなかったりするらしいよ。赤穂浪士御一行、この神社前を通っていない説もあるし。こういった事があるから歴史ってのは全て疑わなくてはならないね。
泉岳寺はもうすぐ。その前にあるYAMAHAのビル。ここの1Fに、町中華な感じの店があったんだけど、もう無さそうだったな。ホルモンラーメンが旨かった記憶。
そうすると、山手線の新駅 高輪ゲートウェイが見えてくる。
東京は “再開発” といって色んなとこでガチャガチャやってます。原発を建てればいいと思いますがね。電気代が高けぇ!原発再稼働すれば解決!ってんなら、他県に頼らず手前んとこで。高輪ゲートウェイあたり最適だと思うよ。海が近いし。
ここを曲がるとゴールの泉岳寺です。
中門の隣には、“景観を悪くする” と建設反対の目に合ったマンション。
歴史的建造物にまつわる “風景・景観” 問題ってのは、どこにでもあると思うんだけど、境内にある自販機とかエレベーターとか THE 現代文明な代物の事はどう考えてるんだろうね。私は、それらを見えなくするって事ができるから大丈夫だけど。イマジン。
義士墓にお線香を供えてゴール。
西陽を受ける、山門裏の松。約4時間30分の道程でございました。
帰りは、高輪ゲートウェイ駅に。この駅が出来て良かったと初めて思える日でありました。
歴史というのは、創作されたことが真実とすり替わっている事が多々あるでしょう。特に、赤穂浪士については講談、歌舞伎によって おもしろ感動ストーリーになっていますから。
しかし、一旦、そこから入るのは大事だと思います。まずは、“おもしろい“ と感じる。社会科の教師による単語の暗記だけが大事な授業を受けたって、心は何も動かないでしょう。創作でもって、楽しく流れをつかむ。そして、疑う、調べる、自分の中でこれだと決める、また疑う…を繰り返す。すると(ザックリ端折りますが)、人間ってのは今も昔も変わらねぇな!って事に辿り着く。これ大事っしょ!?
私が赤穂浪士に興味を持ったのは講談。神田愛山先生曰く「赤穂義士伝のテーマは忠君愛国でなく、別れ」というのを聞いてガテンがいきましてね。色んな別れがありますね。嫌ですね、別れは。
そして、歩いていて赤穂浪士たちを思いました。“この後、間違いなく切腹、つまり自分達には死が待っている” でも、そんな中にも笑いがあったりしたんじゃないかと。
「お、泉岳寺が見えてきたぞ」
「ぷっ」
「何を笑ってんだ?」
「お前、袴の後ろを切られてて、歩くたびにケツがチラチラ見えてんのよ」
「マジ!ずっと!?早く言えよ!もう着くじゃねぇかよ!」
独りで歩いていると、そんな風景が見えてきて楽しかったです。
次は、東海道あたりを完歩してみようかな。
あ!討入りもしたい!あんな奴のとことか!
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