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Vol.4 叶わなかったオーストラリアへの道

こんにちは、宮崎亮です!

今回は、海外挑戦を決意した後の1年間について書こうと思います!


夢と現実のはざまで


高校卒業後、僕はふと思った。「このまますぐに海外で挑戦するか、それとも少しだけ日本でサッカーを続けるか…」選択肢は目の前に広がっていた。海外での生活も魅力的だったが、ふと大学生としての経験を積んでおきたいという気持ちが芽生えた。そんなわけで、まずは1年間日本でプレーすることを決断。自分のサッカー人生の次なるステップを見つめながら、新たなチームを探し始めた。

運命的な出会い


いくつかのチームを見て回るうちに、偶然目に飛び込んできたのが「早稲田ユナイテッド」だった。なんと、オーストラリアへのサッカー留学をサポートしているチームだという。まさに、僕が求めていた道だ。すぐにセレクションに申し込み、無事に合格。だが、合格の喜びも束の間、始まりはまさかの2軍。「2軍か…」と内心落胆しつつも、ここで諦めるわけにはいかないと思い、とりあえず入団を決意した。

挫折と成長


早稲田ユナイテッドの2軍は、まだできたばかりで東京都4部リーグ。1軍は関東2部で、海外経験のある選手や名門大学出身の強者たちが揃っていた。対照的に2軍はというと、ハーフェーラインからドリブルでシュートまで持ち込めるくらいのレベルで、正直、物足りなかった。さらに、練習は小さな土の公園。まるで子どもの頃の遊び場に戻ったかのような環境で、ふと「自分は一体ここで何をしているんだ?」と問いかける日々が続いた。

それでも僕は、自分に嘘はつきたくなかった。どんな状況でも努力を怠らず、コツコツと自主トレを積み重ね、ピッチに立つたびに結果を残していった。その努力が少しずつ実を結び、半年が経つ頃には、ついに1軍に呼ばれる機会が増えてきた。そしてついに、1軍のスタメンの座を勝ち取ったのだ。やっと手応えを感じた瞬間だった。

未来への選択


そこで満足することなく、僕は監督にオーストラリア留学について相談した。これが僕の夢の始まりのはずだった。しかし、監督から告げられた言葉は予想外だった。「今年のオーストラリア留学はもう締め切ってしまったから、行けるのは来年だな」と。1年間このチームで頑張ってきたのに、さらに1年も待たなければならないという現実。心の中に絶望感が広がった。

しかし、そこで立ち止まっていても何も変わらない。僕は決断した。「自分の力で留学先を探そう」と。こうして、僕の新たな挑戦が始まった。逆境に負けず、自分の道を切り開いていくことで、さらに強くなれるはずだ。海外のフィールドでサッカーをする日を夢見て、自力で前に進む覚悟を決めた。

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