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9-8.再びイギリスその2

イギリスの悪意

ところが、批准書交換の2日後、スタリーングは唐突に「増補(=Exposition)」(日本語で「副章」と訳された)と名付けられた、日英約定の各条項に対応した説明書を奉行に提出してきました。前述したように、これはスターリングの最初からの目論見でした。

奉行は早速、その翻訳をクルチウスらに依頼します。そこには、約定の全条項を再び蒸し返すような内容が書かれていたのです。ファビウスも、これには相当な驚きをもって日記にこう記しています。

「一昨日批准された条約に今増補が加えられたのである。主要点に関する増補は日本側の意図、かつてジェームズ・スターリング卿が提出した解説書、彼が承認した港湾規定などにはまったく矛盾するものである。
最後の香港滞在で、J・バウリング卿と交わした会話から、多少予期しないことではなかったので、この行為に知らぬふりをしたいとは思わないが、これほど突然、そしてこれほど激しく日本の道徳、法規、風習を罵倒するとは考えてもいなかった。それで驚かされた。(中略)少将(筆者注、スターリング)は立ち去る前に、もう一度会議することを申し込んだ。奉行たちはそれを別離を告げるための訪問と受け取ったらしい。彼らはこんな悪意など疑ってはみなかった。日本人はヨーロッパ人の信義性と誠実性にどう応じるべきかに戸惑っているに違いない。」(「開国日本の夜明け/フォス美弥子編」P224)

長崎奉行の対応とクルチウスの進言

さて、奉行らはこの内容に対してどう対応しようとしたのでしょうか。奉行は「あまりに長文であり、締結した条約だけで十分であるから、この増補関係書類は返却する」と回答しようしました。これを、通詞から聞かされたクルチウスは、慌ててそれを止めるように進言しました(ファビウスによれば「断固として」と記されている)。

クルチウスは、奉行が用意した回答書を見せられると、これでは相手を侮辱するような表現であり、イギリス女王を侮辱するものと捉えられかねない、日本に致命的な事態をまねくことになりかねないと懸念を伝えました。そして、それに続けて「日本は決して大英帝国の敵にはなれない」と率直に告げてもいます(出所:「ドンケル=クルチウス覚え書/フォス・美弥子編」P170)。

結局、奉行は「この文書を受け取る権限をもたないので、江戸へ送らなければならない」と回答を保留しました。この回答にもクルチウスの助言があったのは言うまでもありません。

不信感、猜疑心ひろがる

スターリングは、10月20日に長崎を離れていきました。この件につき、長崎奉行は老中に対して、「約定を成立させた後に、今度はその約定を使って無理難題を申し立てる作戦ではなかったか」とイギリス側を見ている報告をしています(出所:「和親条約と日蘭関係」/西澤美穂子)P144)。西澤氏は、同書で続けてこう言っています。おそらくその通りだと思います。
 
「日英約定締結時において芽生えた『条約』への期待が潰えたばかりか、欧米列強へのやり方に対し、更なる猜疑心を募らせる結果となった。」(出所:「和親条約と日蘭関係)P144)

9-2.スターリングとの交渉」で述べたように、「日英約定」は日本側作成の草案をベースに締結されたもので、日本側の言い分が通ったものです。「条約の締結」は、双方を縛るものだという理解も進みました。しかるにこの「仕打ち」。長崎奉行の憤慨がよくわかります。

続く

タイトル画像:J・スターリング


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