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五州何ぞ遠しと謂わん

どうしてもあなたに伝えたいことがあります。

私はあなたが亡くなられてからおよそ100年後に生まれた日本人です。
何度も外国人との交渉を重ね、5つの条約に署名を残したあなたですから、「西暦」はご存知でしょう。今は西暦2024年です。ペルリとの条約「日米和親条約」が結ばれてからちょうど170年となります。

あなたが亡くなられてから現在まで、この国がどんな風に歩んできたのか、伝えたいことは山ほどあります。でも、それはもう何人もの人が、あなたに伝えていると思うので、今日はただふたつのことをお伝えします。

まず最初に、あなたが目論んだ大商業地としての「横浜」は実現しましたよ。あなたの死後、数年でそうなりました。

次に、あなたがハルリスとの条約交渉の中で、最も揉めた「アメリカ人の国内旅行の自由」と「京都を居住地として開くこと」。あなたは「それを許可したら、間違いなく内乱が起こる。どのみち戦うことになるのなら、アメリカ人と戦った方がましだ」とまで言ったらしいですね。おそらく、あなたが想像もしていなかったその条項のために、条約の交渉自体がご破産になると絶望したのではいかと、推測しています。「国を開いて、貿易で国を富ます」ことがあなたの夢見たこの国の未来でしたからね。

あなたがそう言った1858年2月2日。ハルリスはその時のことをこう記しています。彼もあなたの言葉に驚いたことがよくわかります。

※1「そして、ここで彼らは非常に感情的な言葉を吐いた。彼らはもしも諸外国がこの2件を理由に日本人と戦端をひらくなら、我々日本人は災禍に対処して出来うる限り最善の努力をしなければならなぬが、如何なる場合でも各国との戦争は、国内の戦争ほど恐るべきものではないと言ったのである。」

会談に同席していた通訳ヒュースケンも、こう記していますよ。

※2「この演説は、この交渉の間におこなわれた委員たちの発言のうちでも、もっとも思慮にとんだものの一つであり、その言葉は正しかった。日本は危険な立場におかれている。何らかの利権を与えなければ、戦争と征服で脅迫されるし、権限を与えれば、国民が叛乱を起こすだろう。」

でも、時代は大きく変わりました。現代のこの国は、年間で3千万人ほどの外国人旅行客が訪れています。そして、その旅行客たちは、皆この国を絶賛しています。いわく、「人が親切で礼儀正しい」「食べ物がおいしい」「どこも清潔」と。ペルリも、「この国の一般庶民は皆一様に親切で人懐っこい」と書いているのを知っていますか。測量の時に、こっそりボートを岸につけると、付近の農民たちがやってきて、上陸したアメリカ人に、果物やらを上げたらしいのです。その日本人の気質は、現代でもあなたの頃とそうは変わっていないと思います。ただ、社会はまったく変わってしまいましたけどね。

そろそろ桜の季節ですが、それに合わせて来日する外国人もたくさんいるんですよ。「花見」はもう直ぐ世界に通用する日本語になるかもしれません。そうそう、王子村の飛鳥山は、現代でも桜の名所でもあり、多くの人で賑わう場所のままです。

最後に、後年ハルリスが、往時をふりかえって述べたことをお伝えしときますね。

※3「井上、岩瀬の諸全権は、綿密に逐条の是非を論究して余を閉口せしめしことありき。彼らの議論のために、しばしば余の草案を塗抹し、添削し、その主意まで改正したることも少なからざりき。かかる全権を得たりしは日本の幸福なりき。の全権等は、日本のために偉功ある人々なりき。」

それでは、今日のところはこれで失礼します。

岩瀬肥後守忠震ひごのかみただなり様へ

※1:「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳/岩波文庫」P148
※2「ヒュースケン日本日記/青木枝朗訳/岩波文庫」P249
※3:「幕末外交談1/田辺太一著、坂田精一訳・校註/東洋文庫」P65

タイトルは、「航海誰か自ら任ず。只許す、碧翁へきおう知ると。五州何ぞ遠しと謂わん。吾、また、一男児」から。1857年2月、岩瀬が39歳の時の詩である。「目の碧い外国人にできるなら、日本人にできないことはない。男児である俺は五大州を股にかけるんだ」というような意味。

終わり

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