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8-5.日米交渉その3

献上品の交換

3月24日の3回目の会談時、日米双方の献上品の交換がおこなわれました。その2年前、ペリーがアメリカを出航する時から用意周到に準備した蒸気機関車の四分の一の模型、電信設備など、合計で140にものぼる品々が幕府に献上されました。蒸気機関車の模型とはいえ、その屋根に大人が乗ることができるものです。幕府側からも、アメリカの要請(例えば漆塗りの箪笥、和船など)にしたがうかたちで揃えられたものが献上されました(アメリカからの蒸気機関車の模型、電信設備などの搬入は、それより数日前におこなわれており、アメリカ人のもとで日本の職人がその組み立てを手伝っていた)。
一方日本からの献上品に対しては、「遠征記」には賞賛の声があげられています。

「品物は日本国産で、立派な錦や絹織物、煙草盆、盆、皿、杯等の有名な漆器類の参考品で、すべて、精巧な細工に見事につや出しの仕上げがしてあった。また、素晴らしく軽くて透明な磁器の茶碗には金や極彩色で、人物や花が描かれており、その技巧はあの有名な中国産さへもしのぐものがあった。うちわ、煙草入れ、ありふれた服飾品等がもっと贅沢で高価な品々に混じっていたが、それらは大して価値のあるものではなかったが、非常に趣き深かった。日本人にとってはほとんど本能的かと思われる例の小ぎれいな秩序正しさで、いろいろな贈り物が、贈られる人の位に従ってそれぞれ別にまとめてあった。」(「ペリー提督日本遠征記Kindle版/合衆国海軍省/大羽綾子翻訳」P289)

最後の文章で表された「几帳面ぶり」など、今の日本社会と変わらないことに驚きます。

ちなみに、アメリカから贈られた「電信設備」は、すでに長崎においてオランダ商館の医師だったJ・K・ファン=デン=ブルックによって、実演がされています。彼は単なる医師ではなく、オランダの物理学協会にいくつも論文を発表するなどの科学技術についての広い知識をもった人物で、1853年8月から1857年8月までの4年間、長崎に滞在して多くに日本人に、技術の伝播に努めた人物です。当時、彼から教わった技術を用いて、ミニチュアの蒸気機関まで作成していました。彼の名前はほとんど知られていませんが、日本の科学技術の発展に対しての大きな功労者といえると思います。(出所:「日本洋学史の研究Ⅸ、Ⅹ/有坂隆道編」)

この時、幕府からは大量の米も送られましたが、幕府はその運搬に相撲の力士を使いました。その巨体と力を見せつけたかったのだと思います。それだけでなく、実際の取組までも披露しました。ただし、アメリカ側の評判は芳しくありませんでした。

27日。今度はペリーが幕府一行をポーハタンに招待し、船上で饗宴が開かれました。応接掛五名をいれた総勢70名ほどの人間が招待されています。招待された日本人一行が、彼らが呆れるほどよく食べ、飲んで、陽気に騒いだ様子が「遠征記」に記されています。食べきれずに残った鶏の丸焼きを袖の中にいれて持ち帰ったものもいたというから驚きです(「日米の饗応」)。

条約の締結

3月28日、条約内容の最後の詰めでペリーは横浜村に上陸しました。下田へ検分に行った2隻からの報告を受け、正式に下田を承諾しました。次なる課題は、下田の遊歩区域と下田にアメリカ人の役人を駐在させることの2点です(箱館の遊歩区域については後述)。

林は、できるだけ狭めようとし、ペリーはできるだけ広めようとすることのぶつかりあいです。ペリーは長崎で出島に閉じ込められているようなオランダ人と同じ扱いは断固として拒否し、「10里四方」を要求します。林は「下田町内だけならよいが、10里は不可能。薪水食料の補給だけなら、町内で十分ではないか」と返します。

ペリーは、要求が通らないなら下田は断るとはねつけ、続けて「アメリカの役人を下田に駐在させたい」と要求します。それに対し「遊歩区域の件は、即答できない。また、貴国の役人の駐在は、たまに薪水食料を受け取るだけなら不要である」と林は返しました。この応酬は「18ヶ月後にくるアメリカの使節とまた話し合ってはどうか」というペリーの意見で一旦は決着しました。

会談後、遊歩区域は現地下田奉行からの意見で7里四方と決定し、開港日も条約上は即刻、実際は来年4月か5月ということで、ペリーからも同意を取り付け、条約の調印日は3月31日(旧暦3月3日)と決定します。

加藤祐三氏は、この日を選んだ理由として、「雛祭りは、現在では女子の祝い事であるが、当時はむしろ厄払いの祭礼と考えられていた。その日に雛を流して厄を払う。水に縁があるペリー艦隊、それがもたらした厄を払おうという気分があったのではないか。」(「幕末外交と開国/加藤祐三」P210)と推測している。

続く

タイトル画像出所:横浜開港資料館(http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/120/05.html


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