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鬼滅の刃 遊郭編ラストについての改めての感想

 遅まきながら、先日 特別編集版としてTV放映された「鬼滅の刃」-遊郭編のラストについて改めて感じたことを記します。

 妓夫太郎と梅(堕姫)が兄妹の絆を取り戻すシーンで泣いてしまう、という意見が多いように感じますが、私はその前段階のこの一連のシーンにとても心打たれました。
僭越ながら、この箇所はアニメ版よりも原作の方が表現として上回っているように感じます。

ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第11巻 混戦(吾峠呼世晴 集英社. 2018) p.153より
(第96話 何度生まれ変わっても(前編)) 本記事冒頭画像も同様

 口論の合間に挟まれる足の描写や妓夫太郎の台詞の途中で現れる手に違和感を覚えつつも、妓夫太郎の怒りにばかり気を取られて読み進めてしまいがちです。
鬼たちの口論を憐れむ炭次郎と禰󠄀豆子の表情が描かれ、足の描写は炭次郎が彼らのもとへ走り駆けてきていることを示し、遮る手も炭次郎のものだということは注意深く読んでいれば、わかるのですが・・・
 この前話のラストから鬼兄妹の口論がずっと続いていて、刺々しい吹き出しに太字の台詞と感嘆符、妓夫太郎の顔に走る青筋、血走った眼、牙のような歯の描写から、妹が足を引っ張ったせいで戦いに敗れ、自分の人生も台無しにされてきたという、妹に対する彼の憎悪の感情に私は完全に同調してしまっていました。

ここで、涙目になった堕姫に向かって妓夫太郎が

「お前なんか生まれてこなけりゃ良かった!!」

と言い放つものだとばかり私は予測していました。
 しかし、そこでページをめくると、炭次郎が義夫太郎のセリフを遮り、語りかけます。
1ページの約4分の3を占めるコマに、妓夫太郎の口元を押さえた炭次郎の姿が大きく描かれ、たった一言

「嘘だよ」

とささやくのです。

同書. p.154より

 それは、妓夫太郎(と我々読者)が心の奥の奥にしまい込み、見て見ぬふりをしていた、しかし確かに思っていた本音なのです。
それを炭次郎が代弁してくれるわけです。

 ここは『鬼滅の刃』の中でも、竈門炭次郎のやさしさが最も如実に顕れているシーンのひとつです。
 各コマの大小比率・配置とそこに描かれている絵と吹き出し・セリフの大きさから読者がどこに意識を向けながら読んでいくか、つまり前ページまでは妓夫太郎の怒りに読者が同調するように気を配られているわけです。
また、目を見開き涙が溜まる妹鬼の目がクローズアップされる場面からも、妓夫太郎が言いかけているセリフは兄妹が一番言ってはいけない言葉であることを感じさせ、次ページ以降、鬼兄妹が絆を取り戻していくことの伏線にもなっています。
絵と言葉を目で追い、ページをめくるという動作を以て「読む」マンガだからこそ、紙をめくった先に現れる炭次郎の姿・語りかけに予測を裏切る展開を感じ、非常にインパクトのある印象を読者は心に受けます。
 アニメ版も素晴らしいのですが、彼らのもとに駆け寄る炭次郎の姿と言葉を遮るまでの様子が一連の「動き」として画面内に描かれているせいで、視聴者の意識が鬼兄妹の口論だけでなく炭次郎にも向いてしまうため、漫画原作を読んでいるときのインパクトには及ばないように私には感じられてしまいます。

 同じような境遇の自分たち兄妹の姿を重ねてしまい、つい先刻まで命懸けで戦った敵とはいえ、兄妹が仲違いしたまま逝ってしまうことに炭次郎はどうしても堪えられないのです。
彼らの悪行を断じる少年マンガ主人公として最低限のラインを守りつつも、その中でも炭次郎のやさしさが光ります。
彼は敵である鬼も悼み、ある意味では、葬られた鬼たちにとっても救い手になっているのです。
 『鬼滅の刃』の連載をリアルタイムで読んでいたとき、私が最も涙した箇所のひとつです。

同. 194-195

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