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ただキレイな写真よりも、自分が好きな写真を撮りたい

ここ数日写真に関する本を読んでいて「その写真は既に誰かが撮っているんだから、撮らなくてもいい」という一節に「そうだよなぁ」と深く頷いた私です。

キレイな写真、すごい写真、美しい写真。様々な写真がありますが、どれだけ凄くても「誰かがもう撮っている写真」というものにあんまり興味がないんです(それらを撮る技術には興味はあるけども)。

急に見えてきた河津桜。

この写真は、2月中旬位に撮ったものです。

この写真を見ると、公園を散歩中、視線の奥に急に表れた河津桜に感動した瞬間を思い出します。当時の自分の目線がよく表されていて、記憶と直結している一枚です

正直、他の人から見たら特別でもなんでもない写真でしょう。もっと寄って、もっと美しい桜の写真を、多くの人は撮りたがるものだと思います。

でも、それは皆撮っているから、僕はいい。自分らしいもの、自分の感性と結びついて、自分の記憶が呼び起こされるようなものを撮りたいと思っています。

毎日見るこの景色が特別

誰もが見て美しいと思うものを、誰もが美しいと思う形で撮ることは、とても素晴らしいことだと思います。

でも誰もが美しいとは思わないかもしれないけど、僕は美しいと思うものを、僕が好きな形で撮るということを、できるだけ積み重ねていきたいと思っています。

昨日良いと思った景色は、明日には大したものではなくなっているのかもしれない。でもその時「良い」と思った記憶は、撮った写真に宿るはず。その写真を見れば、その時の「良い」が呼び起こされる。これが僕の理想の写真の形です。

 この理想を、今後も追求していきます。GRIIIxを相棒にして。

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