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失うのが嫌なのか

このところ、お前は、欠点ばかり目に付いて、酷い奴だ……と言われ続けていて。

そんなわたしは、昔から「プラス思考」があまり好みではないのです。いわゆる「悪いこと」であっても、そこから良いところを見つけよう……という精神が、問題を隠してしまい、解決に向かわないように感じるから。

もちろん、時と場合によるでしょうけれど。

でもまぁ、「欠点ばかり目に付く」ということは、上手に活かさないと(問題を見つけ、解決するところまでセットじゃないと)、確かに「ただの酷い奴」で終わってしまいます。

ところで、我ながらなんで「欠点」ばっかり目に付くのか。

それはおそらくは、失う……ということが嫌だからという単純な理由じゃないかなと。ただの貧乏性か。(微妙に完璧主義みたいなところがあって、欠けているのが気になって仕方ない)

さて、そんなわたしに、突然、掲示のように現れたWeb記事が。

何ごとに際しても「私はそれを失ってしまった」とは決して言うな

https://diamond.jp/articles/-/336044

哲学者エピクテトスの言葉だそうです。

「失った」のではなく「与えられていたものを返した」だけなのだ

《中略》

エピクテトスが示すように、財産はもちろんのこと、自分の家族、生命など、これらを自分が所有しているものではなく「一時的に貸与されているもの」と考えると、人生をどう見るかについて、まったく新しい展望が開けてくる。

同上

シチュエーションがぜんぜん違うので、同列には語れないけれど、完璧な状態というのは幻想であって(というか、もともと無いもの)、あったとしても、それは自分のものではないと。

そう考えれば、欠点があっても関係ないですね。(それだと、長所みたいなものも意味がないけれど)

あれ、これって「プラス思考」では……。

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