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失うのが嫌なのか
このところ、お前は、欠点ばかり目に付いて、酷い奴だ……と言われ続けていて。
そんなわたしは、昔から「プラス思考」があまり好みではないのです。いわゆる「悪いこと」であっても、そこから良いところを見つけよう……という精神が、問題を隠してしまい、解決に向かわないように感じるから。
もちろん、時と場合によるでしょうけれど。
でもまぁ、「欠点ばかり目に付く」ということは、上手に活かさないと(問題を見つけ、解決するところまでセットじゃないと)、確かに「ただの酷い奴」で終わってしまいます。
ところで、我ながらなんで「欠点」ばっかり目に付くのか。
それはおそらくは、失う……ということが嫌だからという単純な理由じゃないかなと。ただの貧乏性か。(微妙に完璧主義みたいなところがあって、欠けているのが気になって仕方ない)
さて、そんなわたしに、突然、掲示のように現れたWeb記事が。
何ごとに際しても「私はそれを失ってしまった」とは決して言うな
哲学者エピクテトスの言葉だそうです。
「失った」のではなく「与えられていたものを返した」だけなのだ
《中略》
エピクテトスが示すように、財産はもちろんのこと、自分の家族、生命など、これらを自分が所有しているものではなく「一時的に貸与されているもの」と考えると、人生をどう見るかについて、まったく新しい展望が開けてくる。
シチュエーションがぜんぜん違うので、同列には語れないけれど、完璧な状態というのは幻想であって(というか、もともと無いもの)、あったとしても、それは自分のものではないと。
そう考えれば、欠点があっても関係ないですね。(それだと、長所みたいなものも意味がないけれど)
あれ、これって「プラス思考」では……。
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