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【短編小説】象牙の塔-episode1-

-episode1-関係

画家、つまりは表現者である彼は人と関わる事が苦手だった。

”人と関わる”ということは”自分を表現し、相手の表現を受け取る”ということだが、表現者である彼がそれを苦手とするのはなんとも皮肉なものだ。

だから彼は代わりに絵を描いた。絵に自分を表現した。

彼は美しいものを愛していたので、人を愛する事ができなかった。

語弊があるかもしれないが、”人を愛する事ができない”=”人は美しいものではない”というのはあくまで彼の基準であり、私の意見ではない。

それはさておき、そんな彼にも人を愛していた、美しいと思っていた頃もあった。

しかし、いつしかそう思うことをやめてしまった。諦めたのだ。

人は自ら誓約を交わすくせにそれを破る。

約束事というのは人以外の種では発生し得ない事柄であり、それは守る為に生み出されたものだ。

破ることが起こり得るのであれば、そもそも誓約というもの自体が無意味で破綻している。

そのくせ滑稽にも人という種は好きこのんで誓約を交わしたがる。

その矛盾が、彼には不快だった。愛せなかった。

人との関係を築くということは、ある種その矛盾を受け入れるということだ。

一度築いてしまえば、やがて来るかもしれないその破綻を、別れを受け入れなければならない。

だから彼は人との関係を築くことなくこのアトリエに籠り絵を描いている。

幸いここには”関係性”と呼べるものは何一つない。彼がそこにいて、私がそこにいるというだけだ。

彼にとってここは唯一心の安らぐ場所なのだ。

こうして彼について述べてみたのだが、私は彼のことを一番知っている存在だろう。

何故なら彼がほとんどの時間を過ごすこの空間に私は居るのだから。

そんな私から見て、おそらく彼はこれから先誰かと一緒になること、つまり誰かを愛し結ばれることはないように思える。

私はどうなのかというと、きっと私は彼のことが好きなのだが、この先それを口にすることはなく、光の差し込む窓辺から絵を描く彼をただただ眺め続けるのだ。

それでも、そんな退屈な毎日が、時々彼がこちらに微笑みかけてくれる優しい日々が、私にとって幸福なのだからそれでいい。

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