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立ち去る者だけが美しいはずだった

 ひとりで映画を観に行った。作品の感想を言語化して語れるほどの体力はあいにく持ち合わせていないので、作品名は伏せさせてほしい。

 映画を観に行くときは、いつも後列の真ん中あたりを選ぶ傾向にある。首が疲れるから前よりは後ろの方が良いし、斜めからスクリーンを見る感じがなんだかくすぐったいので、できれば正面に座りたい。

 今回は一番後ろが空いていなかったので、その前にあるプレミアシート的な座席を選んだ。普通席よりも300円も高い座席だから、選んだことがなかった。だけど後列の真ん中、というこだわりを捨てられないわたしは、仕方なくプレミアシートの真ん中の席を選んだ。
(ちなみにわたしは学生なので、プレミアシートで+300円になったとしても、一般料金より200円安く座れる。その事実に後押しされた感も否めない)

 これがすごくよかった。やわらかなソファ席に、両側ともに使えるひじ掛けは疲れを感じさせなかった。まだ20代前半だというのに最近腰痛に悩まされているわたしが、長時間腰の痛みを感じなかったのはとんでもない快挙である。何より、隣の席との距離があるのは心理的に余裕が持てる(べつに左右にはだれもいなかったが)。


 少し前にとある作家さんのスペースでtumblrというブログを書くためのプラットフォームを教えていただき、早速登録してみるなどした。SNS感覚で投稿できて、気軽だしたのしい。文字数制限のない、閉ざされたTwitterみたいな感じだ。

こういうかんじ

 青園名義というわけではなく、もうひたすらに個人として利用している。ここでアカウントを公開するかどうかは迷っているが、わりとプライベートな投稿もしていてすこし恥ずかしいので、もうすこし個人的に楽しんでみようと思う。(TwitterのDMかなにかで聞かれれば答えると思う、需要はないかもしれないけれど)


 「名刺代わりの10冊メイカー」というものを見つけた。これ、良いなあと思って自分の好きな本をぽちぽち入れてみた。嗜好がバレちゃう。

 夏目漱石のこころを入れるか悩んだ。だけど、そのタイトルを聞くと思い出すことがあるから、あえて外した。

 わたしは純文学が好きだと思う。ハラハラする体験を追うみたいなエンタメを追求したいわけじゃなくて、感情の機微をつたない感性で味わいながら、人間らしさに触れたいからだと思う。わたしは人間を嫌っているが、同時に愛してもいる。

 だが、元恋人のAくんは、その限りではなかった。彼はどちらかというと大衆小説を好んでいた。というか、そもそも小説自体、あまり読んでいなかったと思う。彼は小難しいことを嫌う、快活でさっぱりとした性格の、いわゆる一軍男子と称される人だった。

 彼はいつもわたしにおすすめの漫画を教えてくれた。たまには自分の好きな本も知ってほしくて、彼に夏目漱石のこころの文庫本を渡した。彼は、「そんなに好きっていうなら、読んでみるけど」と言いながら受け取ってくれた。

 そうして数か月が経った。忘れたころに「そういえば読んだの?」と尋ねると、「途中まで読んだけど、難しいし何が面白いのかよくわからないから続きを読む気になれない」という返事をもらった。恋人であるとはいえ、結局のところわたしと彼は他人だった。けれど、何年も一緒にいた彼に多少期待していたわたしは、通じ合わない感性にかるく絶望したのを覚えている。その後も、彼がこころを読んでいる気配はなかった。

 そんなふうに月日が巡って、少しの間だけ同じ住居を共有した彼とお別れをしたとき、彼に夏目漱石のこころだけは置いていけと言われた。「なぜ?」と尋ねると、「いつかは読みたいから」だそう。そうやって言いながら、結局は読んでくれないくせに。会話をするのも面倒だったので、黙ってその文庫本を置いて出て行った。

 中島みゆきが「わかれうた」で綴った、「恋の終わりはいつもいつも 立ち去る者だけが美しい」という歌詞はほんとうなのだろうか。立ち去ったわたしは、彼があの本を読んだかどうかをたまに考えてしまう。美しいわけがなかろう。


 なんて話をしていたのだろうか。何が言いたいかというと、こういった経緯があって夏目漱石のこころだけは自分の中ですこし別枠になっている、という話だ。

 とにかく、名刺代わりの10冊メイカーは自分の趣味嗜好が可視化されて面白いということ。みんな、やってみてほしい。そしてこっそり、何の本が好きか教えてほしい。

 ひじょうに長くなったからこの辺で筆を止めておく。みなさま、どうか今月もご無事で。

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