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薄く差し込む朝

 さいきん、魔法のiらんどというサイトで「薄闇の少女」というタイトルのお話を書いている。サイト柄に似合わず治安がわるいお話だけど、けっこう気に入っているので、ちまちまと更新している。

 いろいろと謎が多くてちょっとおかしな女の子を、3人の男の子たちそれぞれの視点から描いているというお話で、序盤から地獄みたいなシーンが続いている。

 序盤から作品にガシガシコメントが寄せられることはあまりないが、今作に関しては序盤からいろんな人がコメントを残してくれてうれしかった。しかしながら、「これから楽しみです」という趣旨のコメントをもらうと、「これからもっと荒れるけど大丈夫…?」という心配をしてしまう。余計なお世話かも。

 薄闇の少女は、朝方の絶望感をうまく中和してくれるお話だな、とおもう。寝つきが悪くつねに不眠ぎみなわたしは、眠れぬままカーテンの隙間から朝が差し込むとほんとうに死にたくなるのだけれど、そういうときは作品の文章を推敲しながら、毎日しずかに眠りを待っている。薄闇の少女に触れて、朝方をやり過ごせば、多少は眠ることができる。


 わたしは文章がへただ。作文コンクールなんかで賞をもらったことなんてないし、中高時代に強制される小論文添削のようなものは、いつも赤字だらけで返ってくる。大学院の担当教員にも文章がうまくない判定を受けていて、さすがに自分でもその事実を認めなければいけないなと思っている。(お母さんだけは褒めてくれる)

 文章がへたなので、わたしは産出スピードですべてを誤魔化しているふしがある。70点の文章を一番早く提出するようなタイプだ。頭の中できちんと論理を組み立てているわけじゃないので、主語と述語が対応してないみたいな、ありえないような文法ミスをすることもある。それはもう仕方ないので、浮いた時間で推敲をするしかない。

 じょうずな文章ってなんだろう、と考えたとき、わたし個人的には、「簡潔でわかりやすい文章」なのだと思っている。回りくどくないとか、難しすぎない、とか、そういう感じ?

 文章が本当にすきな作家さまのweb小説を何度も読み返していると、難しい言葉を使うんじゃなくて、誰もが知っている言葉を使っているはずなのに、言葉選びやその組み合わせのセンスが卓越している、ということに気づく。

 なんていったら良いんだろう。ふりがなをふらないとわからないような難しい言葉を多用するわけじゃなくて、簡単な言葉の組み合わせで魅せている、といった感じだろうか。(書いている作者さま本人にその意識があるのかはわからない)

 難しい言葉を使うのは簡単だけれど、平易な言葉の組み合わせで独特の雰囲気を生み出すのは本当に難しいしセンスが必要だとおもう。そういうふうになりたいな、と思って、自分が小説を書くときには表現が難しくなりすぎないよう気をつけているけれど、うまくできているのかはわからない。

 とはいえ、趣味のものなので書きたいように書くのが一番かもしれない。とお茶を濁してここで終わりにしておく。カーテンから朝が差し込んできたので。

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