記憶と人格。理想と現実。

僕は人が陰と陽に二分できるとしたら「陽よりの陰の人」です。そして生粋の陽であろう人に憧れと、もし”自分が”その立場になっていたら...という怖さがあります。

自己紹介すると、僕は今年27歳になった独身男性です。サッカーの盛んな静岡のとある町で生まれ育ち、九州の大学へ進学。卒業後は東京のベンチャーに就職し、社会人4年目の夏、コロナの粘り強さがいまだに民衆の意識に根付く中で転職することを決め、いわゆるUターン転職をすることになった若手社会人です。


先日、久しぶりに小学校時代の同級生数人と飲み会を開いたのですが、恐らくまともに話すのは15年ぶりだったS君から、「お前ってめちゃくちゃ繊細だよね。」と会って早々に言われました。自分自身が繊細だということは、重々承知しているので、繊細さに関しては、その通りだと思うし、なんなら自分の根幹にさえなっていると思っています。とはいえ、S君は恐らく小学校の数年(S君は3年の時に転校してきた)の記憶に基づく印象の上位にあった「非常に繊細な人」という印象に基づきそう言ってきたはずなので、昔の印象の中にそんな自分がいたことにびっくりしました。(俺ってそんな前から繊細な感じあったっけ?)と。

僕が繊細な自分を強く認識したのは中学の頃でした。学校・塾での勉強はもちろん、週6日で練習するサッカークラブでの活動に日々追われていました。そんな折に、突如訪れた両親の離婚と祖父の死というダブルパンチ。それらを引き金に乱れていく家庭環境。僕が精神的に不安定になるのには十分な環境でした。しかし、3人姉弟の中間子である僕は、不登校になる姉と状況がわからず困惑する弟がいる中で、どうにか自分を・日々の生活を保っていなくちゃと思っていたわけです。この数年が僕にとって印象が強すぎて、小学校はむしろ順風満帆な記憶しかないのです。そんな僕に「繊細だね」と言うS君の一言が、違和感を得させるわけです。

一方で僕はたまに自分の過去の記憶を疑ってかかることがあります。例えば、いじめについての記憶。いじめをした側は大人になってその事実をあまり覚えていない、一方でいじめられた側はその事実を一生忘れないという話があります。僕は主体的に誰かにいじめを働いたことはないと思っています。でも、たまに、サッカーの練習で自分より下手な人に強い言葉を使っていたあの時は、相手にしてみたら排除されているように思っていたかも、とか、言葉にしていなくても嫌いとかウザイっていう感情が伝わっていたかも、とふと怖くなることがあります。それは大人になって冒頭に書いたような飲み会や同窓会で古い同級生に会い話すことが増えたからだと思います。

僕は基本的に、いじめかどうかを判断するのは相手だ、というスタンスです。ある国々ではいじめの加害者にカウンセリングを受けさせるのが普通という話を聞いたことがあります。いじめをしてしまう側に精神上の問題があると考え、隔離したり改善のアプローチをするのです。いじめた側に非があると考えるべきだ、ということです。僕はそのアプローチの方が本質的だと考えています。

「人格の土台は3歳までに形成され、10歳までに確定する」という説があります。これには時系列に伴う脳の発達やアイデンティティの形成の過程なども絡むので、人による差異も大なり小なり出てくるかと思います。この考えを尊重するならば、僕は当時から繊細だった可能性は非常に高いということになります。


ところで、皆さんは人に対する認識について、「あなたのことは、あなたと付き合いが長く気心も知れた人よりも、あなたとあまり話したことがなく、あなたのことをあまり知らない人が抱いている印象の方が正確に捉えてたりする」という説を聞いたことがありますかね。接点が少ない人の印象=最初の方で得た少ない情報で抱く印象の方が、正確な可能性が高いということです。(その人の正確な印象とは?という議論は一旦棚上げします。)

僕はこの考え方に、今でこそ一定の共感を持っています。しかし、就職活動を始めたての頃は真逆の考えで、「もっと自分のことを伝える時間がないと、自分の良さが伝わらない」そう考えていました。

僕は受ける企業にウケがいいであろう姿に合わせた自分を演出しようと必死になっていました。繊細な自分、ビビりな自分、そういった”弱い”自分を隠すように、チャレンジングな自分、渇望感を持ち活発な自分、本来はその”弱さ”の反動からくる自分を、あたかも本来の姿かのように見せていたのです。そうして内定を頂いても、それは素の自分への評価ではなく架空の自分を評価されてしまったのではないか...といつしか感じるようになっていました。悩み続ける自分のことを見かねて、人事の方に社員さんとの内定者面談を組んでもらいましたが、話せば話すほど本来の自分とかけ離れた姿を演出に拍車がかかってしまい、その溝は深まるばかりでした。最後まで自分で納得して決めることができず、就職浪人することになりました。その根本に気づけないまま進んだ2年目の就活も上手くいくわけもなく、完全にメンタルブレイクしてしまい就職活動を途中離脱し、現実逃避し始めました。

(道が長くても苦難を乗り越えようとする姿が、本来の自分の強みだったのかも知れません。)

そんな頃、なんとなく無気力状態でただ毎日を過ごしていたシェアハウスでたまたま就活中の同級生と出会い、挨拶がわりに進路の話をしたのですが、その彼は会って早々に「お前って陰キャだよなー。」といじり半分で言ってきたのです。まあよくぞ初対面で。今でこそ陰キャが悪いとは全く思いません(そもそも陰と陽で二分するのも好きじゃない)が、まああっけらかんとしたというか正直なやつですよね。笑 実際、僕は普段から無口な方だし、大勢がいるところも苦手です。その時は心もやられてたし。とはいえ、ぱっと見でわかるほどやつれてはなかったはずでし、高校は自由な校風の文武両道を掲げるサッカーの名門、大学も体育会のサッカー部に所属し、世間一般的には、”イケてるの学生生活”を歩んできたように見えていたはずです。そんな外面と内面の二面性を人知れず抱えていた自分にとってしたら、内面を話していない状態でのその一言はまさに青天の霹靂だったわけです。


人格の形成、人に対する認識、これらの考え方が正しいとするならば、僕は当時から繊細な人だった(少なくとも周りからはそう見えるくらいの言動があった)ということになります。それを覚えていないのは、単なる記憶が薄らいでいるからなのかもしれませんが、多少自分にとって都合の良い「陽キャよりの思い出」が色濃く印象づいてるのかも知れません。


何が言いたいかというと、何が言いたいわけでもないのですが、本当の自分ってなんだろうなーと思うわけです。個人的には、自己・他者という双方向の認識で形成されながら、常に変化する時系列線上にあるもの、そんな風に思っているかも知れません。

27歳になって、まだまだ若いと言われる一方で、周囲には結婚・出産を経ていわゆるライフステージの階段を着々と登っている友人も増えてきました。僕は中学1年の頃から父親と別居状態だったこともあり、経験豊富なおじさん達と話すのが好きなのですが、彼らは決まって「まだ若いのだからいっぱいチャレンジしろ」と言います。また、「40歳を超えて50歳が近づいてくると、新しいものを0から身につけたりするのがもう難しくなってくる」と言う人も出てきます。その境地にいる人からすれば、自分の人生の半分程度しか生きていない若者に若さを感じるのは当たり前ですね。その若さへの認識とは裏腹に、最近は過ぎゆく一年の重みが変わってきたように思います。

皆さんは「自分の理想」を持っているでしょうか。そして理想と現実のギャップに苦しんでいるでしょうか。年齢を重ねると自分の身の丈・肌に合ったものを理解し自分の軸に据えていくんじゃないか、という考えに僕は共感しており、僕の今後の人生はある程度そういう道を辿るんじゃないかと推測しています。

もがくことは若者の得意技なんでしょう。理想を掲げ、目の前の現実に打ちひしがれ、そのギャップに立ち向かうのか、道を変えるのか。選択して生きていきたいものです。

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