桃太郎電鉄から考える資本主義とお金持ちの定義

この間、友達と桃太郎電鉄(Switch版)で遊んで、やはりこのゲームは面白いと思ったので、今回はこれに関することについて書いていこうと思う。



詳しいゲームのルールはWikiepediaでも見てもらえればわかると思うが、カンタンに説明しておく。


最大4人でプレイ可能で、プレイ年数を設定し、ひと月ごとにサイコロを振って、設定された目的地を目指す。目的地の道中、資産となる「物件」や、自らを有利にしたり相手を妨害できる「カード」を集めることができる。誰かが目的地に着くと、そこから1番遠いプレイヤーに「貧乏神」がつき、新たな目的地が設定される。
最終的に総資産の1番多いプレイヤーが勝利となる。



大体はこのような感じだ。


さて、このゲームにおける勝利条件である総資産を増やすにはどうしたらいいのだろうか。



まず、簡単に思いつくのはキャッシュ(現金)を増やすことだろう。

道中にはプラス駅なるものが存在し、そこにとまると現金が手に入るのだ。

しかし、このゲームではキャッシュを集めることに徹してプレーしても勝つことはできない。



なぜだろうか。


それは「物件」や「カードやその他イベント」、そして「キングボンビー 」の存在があるからだ。


まず「物件」についてだが、これを購入すると、それが総資産としてカウントされるだけでなく、毎年の決算月に、その資産価値をもとに一定額の収入を得られるのだ。

例えば1000万円の100%の物件を購入すると、毎年1000万円の収入を得ることになる。


つまり、収益率のよい「物件」を購入し、追加の安定した収入源を確保することは効率よく資産を増やす1つの方法になっているのだ。


また、「物件」を購入するメリットは他にもあり、これがキャッシュを貯めるのが非効率という理由に繋がる。


それはキャッシュを持っているとそれを失うイベントが多数発生するのだ。



例えば、「スリの銀次」だ。

彼が現れると持ち金の半分、あるいは全額をすられてしまう。

多額の現金を持ち続けていたり、決算月の直後にくらうととんでもない打撃を喰らってしまう。


他にもカード効果で他プレイヤーに現金を奪われることはしょっちゅうあるのだ。

であるからこそ、現金ではなく、資産に変えておくことはこのゲームにおいて多くの場合で重要だと思う。



このゲームでは労働、それ自体の存在はないが故に、投資することの重要性が一層増していると思う。


現実世界でも、チャンスがある、自らを成長させるようなものに投資することはとても重要であると思うし(それが金銭的なものでなかったとしても)、そのような意識を持つことが大切だと教えてくれている。



似たような内容について前記事を書いたのでこれも是非読んでみてほしい。



さて、最後に「キングボンビー 」とタイトルにもある通り、資本主義と「お金持ち」について考えてみたい。


桃太郎電鉄において悪魔であり取り憑かれたら絶望、発狂してしまうのが「キングボンビー 」なのはゲームをやったことがある人なら全員が同意すると思う。



キングボンビーは取り憑いているプレイヤーからとてつもない額の現金を奪ったり、物件を勝手に売却したり、持っているカードを全部捨てたりととにかくそれまで積み上げできたものを木っ端微塵にしていく。



しかしこのキングボンビー の存在によってこのゲームはバランスが保たれ、面白いものになっている。


なぜだろうか。


まず、現実の資本主義社会では独占や富の集中が発生し、一度そうなってしまえばそれを壊すことはとても難しい。


世界の富の多くを上位数%が保有しているなんてことがあるくらいだ。


さらに例を出すと、長期視点で見たとき、ただ100億円持っている人と、年間2億円稼ぐ人のどちらが「お金持ち」と言えるだろうか。


年間2億円稼ぐ人は1億円近く税金で持っていかれるが、ただ100億持っている人はそんなことはない。


約50年(労働で稼ぐと来たらだいたいこれくらいと考えて)という期間で見たら前者は約50億もの税金を払うが、後者はほとんど払わないのだ。


累進課税という制度は一見富の再分配を行っているように見えて、実は本当の「お金持ち」になるのを阻止しているのではないか。


年収1000万円というのが稼いでいるという基準になっていることは多いが、それは果たして「お金持ち」の枠組みに入るのだろうか。


僕は疑問がある。


所得が多い人ではなく、資産が多い人が本当の「金持ち」と言えるのではないか。


所得に極端な課税をし続けることでは「資産家、お金持ち」になることは到底不可能で、すでに地位を確立している人たちが旨みをすうだけではないかと思う。


しかし、キングボンビー やその他凶悪ボンビー達はこのような欠陥を見事に埋めているのだ。



もちろんつねに一位のプレイヤーに取り憑くというわけではないが、一度取り付けば一気に上位から引き摺り下ろし、勝敗を判らなくしてしまう。



運要素もあるし、取り憑かれたボンビーをなすりつけたりすることもできるため、ちゃんと逃げ道も用意されているのだ。カード等の運要素とのバランスが桃鉄をより面白くしていると思う。



このような固定された構造を一度リセットする要素というものが今の現実社会にはないように思える。そのせいで一度独占したらクソゲー化してしまうのではないか。



共産主義、社会主義とどちらがいいというわけではないが、少なくとも、「お金持ち」に課税しろ!というなら所得よりも資産の方を重視するべきではないかと思う。



桃鉄を収益額のみに課税する形でボンビーを無くしたらめちゃくちゃつまらなくなるはずだ。



ただ、このボンビー的な要素をどう現実世界に落とし込めるかは正直よくわからない。



これができたらもっと世界が面白くなるのかなぁなんて思ったりもする。

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