リスクとリターン
何かの決断をする時、必ずそこにはリスク(コスト)とリターンがあるはずだ。
言い換えるなら、何かを選択する時、多くの場合、何かを諦めていることになる。
経済学では根幹をなす考え方ではないだろうか。
最近ではコロナウイルスの流行もあって、意識することが多いかもしれない。
飲み過ぎは身体に悪いと分かっていても羽目を外したり、病気になる確率が上がると分かっていてもタバコを吸ったり、交通事故に遭うかもしれないとしても、車、バイク、自転車に乗る。
どのようなリターンに価値や幸せを見出すか、あるいはどのようなリスクやコストを受け入れるかは個人によって違うと思う。
宝くじなどは良い例だ。
期待値が悪いと分かっていても、毎年年末には多くの人が宝くじ売り場に並ぶ。
当選金はもちろんだが、そのエンタメ性やワクワク感に価値を見出して、コストを支払っているのだと思う。
ある人は大胆かもしれないし、ある人は慎重であるかもしれない。
であるからこそ、人は他人の選択を批判したり、口を出したりしてしまう。
「あんなリスクを取るのは有り得ない、そんなコストをかける意味が分からない」
「慎重になるのが理解できない、なぜケチるのかわからない」
こういうことはよく起こる。
リスクをとって大きなリターンを得た人を批判したり、はたまた慎重な人をチキンなどと馬鹿にしたり。
どちらも自分が期待値が高いと信じた選択を正当化したいがために起きている。
とはいえ、全くリスクを取らないということはそれ自体がリスクである(コストを支払っている)のではないか。
例を挙げてみる。
ポーカーでこんなシチュエーションがよくある。
$50払えば$200ドルになって返ってくる可能性があるとする。
つまり4回に1回勝てる勝負で有れば(勝率25%以上)乗るのが正しい選択であるはずだ。
ただ、ここで必要な勝率を持っているのにもかかわらず(例えば30%とかにしておこう)、必ずは勝てないと言って、降りてしまえば、長期的に見れば損失がどんどん膨らんでいくことになるのだ。
期待値が良いのにもかかわらず、リスクを取らない、これは結局のところ大きなコストを払っていることになるのだ。
逆もまた然りだ。
さっきの例で考えれば、それまでに自分が$100損しているとして、この勝負に勝てれば帳消しにできると考えて、必要な勝率以下でプレイを重ねれば、同じように損失が膨らんでいくのだ。
リスクの取りすぎもまたリターンが期待できない。
しかし、現実世界でのあらゆる意思決定で正確に期待値を予想することはかなり難しいことではある。
そうなった時、自分には今何が優先すべきことなのか、それに支払うコストに見合うものなのかを常に考えることが大切だと思う。
当たり前のように聞こえるが実際にできている人は多分少ない。
学生であれば、バイト、勉強、遊び、趣味などやれることは様々あると思う。
「金がないからバイトする」「試験が近いから勉強する」のように特に意識せずなんとなくな選択をしてしまうことは少なくないだろう。
ただ、方法や代替できること、より良い選択、コスト(機会費用)などを考えてみると違った答えが出てくるかもしれない。
自分の信じた期待値の高いと考える選択をし続ける勇気を持ち、リスクを受け入れる度胸がなければ、リターンは期待できないのではないか。
なんとなく安心な選択をするばかりでは得られないことは沢山ある。
とは言っても、何も考えず、なんとなくいけそうな気がする、のような感覚を持ってしまうのが人間らしいといえば人間らしいのかもしれない。
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