見出し画像

ハゲ。<大和田秀樹『「ガンダム」を創った男たち。 上下巻』(漫画)>

尊敬するクリエイターの中で、何かの幸運に恵まれて仕事を一緒にできることになっても嬉しいとは言い難い人という方が何人もいる。富野由悠季監督もその一人だ。見聞きする情報だけでの判断だが、多分、つらい。

もはや存在そのものが尖ったアニメキャラな富野節

どうしても噂などがベースの話になるので、気になった人はググったり、ニコニコ大百科でも見るといい。それだけでお昼休みが潰れている事だろう。とにかく痛快……というか、一貫して自身の価値観をブレさせず・歯に衣着せず発言する姿が清々しい。

これを「老害」と呼ぶ人もあろうが、僕個人の見解としてはその評価はやや的外れであるように思う。過去の様々なエピソードや人物研究(富野さんを研究した本は結構出ている)を見るに、この人は昔からこうなのだ。歳をとってこうなったわけではない。

最近出たこの記事だが、言っていることの文脈から「大人をなめるな」に繋がるのがだいぶおかしい(褒め言葉です)。

ただ最近、富野監督の作品を見て、インタビューを読んで、悲しいことがある。それは、富野監督がニュータイプ=人の革新を諦めてしまったように見えるからだ(本人も「ニュータイプを出せなかった、敗北した」と発言している)。
作中概念としてのニュータイプ理論が、富野さん自身の手によって様々解釈を広げられてきた。それは現代のSNSなどにもどこか繋がる概念であったように思う。
『機動戦士ガンダムUC』等でのニュータイプ理論はチープな超能力に過ぎない(エンタメ作品としては『〜UC』も『〜NT』も好きです)。富野監督が構築してきたニュータイプ理論は希望的であり、どこか絶望的であり、神秘的だ。そしてなにより、先見性と示唆に富んでいる。少なくとも、ファーストから『〜Z』、『〜ZZ』、『〜逆襲のシャア』ではそのあり方を常にアップデートしてきた。
『〜F91』も家族愛に帰着している部分が、僕の主義主張とイマイチ噛み合わないが、探究している中で生まれた一作だろう。
が、その探究は停止してしまったように思う。

現在『Gのレコンギスタ』を再編集した劇場5部作が展開中だ。正直、テレビシリーズは僕には難解すぎて、話が全く頭に入ってこなかった。元々、50話のアニメを作っても駆け足感のある演出をしている人だ。25話のアニメに収めようというのが無理があったんじゃないかと思った。
現在展開中の作品を楽しみつつも、富野監督が作る「ガンダムではない新作」を僕は待望してしまう。

一言コメント

尖ってる人は見ている分には面白い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?