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エグいくらいにキモい童貞臭さから脱却し、普通にキモい童貞臭さへ。大衆向けになるということ <新海誠監督『天気の子』>

僕が新海誠監督を知った時、絶対に一般ウケする人じゃないなと思っていた。数年後、川村元気氏のプロデュースによってここまでの作家となるとは想像していなかった。それどころか、おそらく誰かが予言してもバカにしていただろう。

僕が好きだった”自己陶酔に浸るメンタル童貞感”

『秒速5センチメートル』で表現されていたエグさ全開の「自己陶酔に浸るメンタル童貞」感。綺麗過ぎるヴィジュアルが余計に作品全体の「妄想全開」感を引き上げている。現代的な価値観からすれば「時代錯誤」な男の、女性に対する願望や執着、後悔を煙草と酒で薄める姿ーーを俯瞰していその自分をカッコイイと思い慰める。そんな「時代錯誤」な男を、現代的に描く作家だと思っていた。そんな”恥ずかしい男”を恥ずかしげもなく綺麗に描ききる人だと。

僕が好きじゃない”ハンコのような童貞”

こうした「メンタル童貞」感を、今の新海誠は「キモ! 昭和かよ!」と(登場人物のセリフとして)バッサリ切り捨てた。そして、主人公は”女の子の家”で不自然なほどに顔を紅潮させるタイプの非人間的存在となった。エグくて気持ち悪い童貞感を薄めた結果、普通に気持ち悪い童貞感ーーないし現実的ではない童貞感になってしまったように思う。
こうした”ハンコのような童貞”感を見た時、僕が「こんな人間いるのかよw」と思うのは特殊なのだろうか。みんなそうじゃないんだろうか。

僕が『秒速5センチメートル』を見た時に感じた「こういう気持ち悪い童貞感に浸っているのは僕だけじゃなかった」という感動。そこから一気に引き剥がされて疎外感を感じてしまった。様々な作品で見られるこの”ハンコのような童貞”は、本当に世の中で求められているのだろうか……
『秒速』の童貞感に戻る必要はないと思う、けれど、かといって大衆作品に散見される普通の童貞感をわざわざ出す必要はあるのだろうか。それは、退化ではないか。
そんなことを考えながら、僕は久々に『ef -a fairy tale of two.』のオープニングを見た。

一言コメント

つまらないと断じることはできない。

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