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Old Friend

8年ぶりに友人と会う、僕はその事実に緊張していた。電車で上野駅に向かいながら、僕は彼とのいくつかのささやかな(でも大事な)出来事を思い出していた。

彼と初めて出会ったのは、予備校だった。予備校といっても、それは不登校や高校を中退した生徒が行く予備校で、僕は18歳のときにその予備校に入学した。
3年間、引きこもり生活をしたうえでの入学だったので、入学してからの数ヶ月は友達が一人も出来なかった。
そんなある日、一人で自習をしている彼を見つけて、勇気を振り絞って話しかけたのだった。彼のことは、何度か授業で見かけたことがあり、その静かなたたずまいや、僕と同じように、いつも一人でいることに共感と興味を持っていた。
彼は小柄でメガネをかけていて、いつもオシャレだった。ナイーブで内気そうなところはあるが、僕のように暗いところはあまり見受けなかった。
僕は思いきって話しかけた。もう20年近く前のことなので、なんと話しかけたかは憶えていない。たぶん、最初は授業のことを話の種に使ったような気がする。彼も友達を欲していたようで、僕らはすぐに自分の身の上のことを話すようになった。

彼は、高校を中退していた。中学のときは普通に学校に通っていたが、高校でマンモス校に入り、友達ができずに、しだいに欠席が多くなり退学になったという。
僕が彼に話しかけたとき、彼は17歳(高校三年生の年)で、僕は一個上の年だった。でも、そんなことはあまり関係なく僕らは仲良くなった。

彼とは日本中の10代がよくするような遊びをした。カラオケに行ったり、一緒に服を買いに行ったり、野球やサッカーをしたこともあった。歌が抜群にうまくて、おしゃれで、運動神経もいい。クラスにいたらきっと誰からも好かれる人物だと思ったが、その口調はちょっと変わっていた。誰に対しても敬語なのだ。
「○○君は、普段どんなことして遊んでいるんですか」「今日は予備校に行きますか?」
友達もほとんどいない様子で、休日はだいたい一人で過ごすか、家族と過ごすと言っていた。
そのやわらかくマイペースな雰囲気から、年配の人や大人とはうまくやっていけると思ったが、同世代の友達はなかなか出来ないだろうとも思わせた。

予備校を卒業したあと、僕は大学に進学し、彼は2年制の福祉の専門学校に入学した。その予備校では、僕は彼以外とも数人友達が出来たが、予備校を卒業してからも定期的に会う友人は結局彼だけだった。

大学生と専門学生になっても交流は続いた。会う場所はたいてい千葉駅付近だった。相変わらずカラオケをしたり、服を見に行ったりした。
仕事のことを話すのも多くなってきた。彼の仕事は長時間労働で、人が足りないときは休日でも仕事に呼ばれることがあるらしい。そのわりに疲れた顔を見せないところは性格なのだろうと思った。

一度だけ、海を見に行こうと、ドライブに誘ったことがある。僕が免許取り立てのときなので、大学を卒業してすぐのことだ。
僕たちは、上総一ノ宮町まで車で行き、そこで太平洋を眺めた。僕はそのとき就職が決まらずにフリーターをしていたので、内心、この先自分がどうなるのか不安が大きかったのを憶えている。彼が海を見て何を考えていたのかは分からない。彼はそのドライブに当時流行っていた「少女時代」のCDを持ってきてくれたが、僕は何となくそんな気分になれずにそのCDを一度もかけなかった。

最後に彼に会ったときのことを憶えている。僕はそのとき29歳で、彼は27歳だった。そして、それは2年ぶりの再会だった。僕たちは相変わらず千葉駅で待ち合わせをして、僕はネットで調べた千葉駅近くにある蕎麦屋さんに彼を誘った。住宅街のなかにある静かな蕎麦屋だった。
僕はその年、念願だった教員になり、とても忙しい日々を送っていた。でも、分かっていたとは言え、毎日の仕事はきついことの方がはるかに多かった。そのため、僕は彼の変化に気づけなかったのだ。
彼と蕎麦を食べながら話して、すぐに別れた、と記憶している。僕は当時、(今もかもしれないが)土日は授業準備に当てており、ゆっくり話している時間はなかった。

それから約8年の月日が流れた。その8年間、彼とは一度も会わなかった。連絡もしていない。避けていたわけではないが、たぶん、僕の人生に(生活に)一つの目標みたいなものができて、それは彼が歩んでいる道とは少し違う、と思ったことが要因だろう。

上野駅で久しぶりに会う彼は35歳になっていた。僕は37歳だ。もう青春と呼べる年ではない。でも、彼は当時と、体型も髪型も話し方もほとんど変わらずにいた。
彼と上野を歩きながら話し、僕はかなり驚いた。彼の話によると、25歳頃に結婚をし、少しあとに子供も生まれ、現在、10歳の女の子を子供に持つ父親になっていた。
つまり、僕が彼と前に蕎麦屋でご飯を食べたときには、すでに一児の父だったのだ。
彼はそのとき、それを報告しようと思っていたが出来なかった、と言う。
たぶん、僕が自分の仕事の話に夢中になり、話すタイミングがなかったのだろう。
あらためて他人を眺めるように彼のことを見た。僕はこの友人のいったい何を知っているのだろうか。

彼は今も福祉系の仕事を続けて、千葉の郊外にある町の団地で奥さんと子供と静かに暮らしているという。彼が25歳~35歳の間、おそらくは仕事と子育てに追われている間、僕は27歳~37歳。ほとんど自分の仕事のことしか考えていなかった気がする。
教員として、少しでもましな授業をし、少しでも生徒の話を聞き、少しでも生徒にいい影響を与える人間になりたいと願い続け、努力をしたのは間違いない。
でも、彼が人生をともにするパートナーを見つけ、子供を育てる、ということをしていたのに比べ、僕はある意味では、何の代わり映えもしない生活をしていたのかもしれない。

後悔はしていない。ただ驚いたのだ。人生の多様さに。そして、彼と初めて会ってからすでに20年近く時が流れていることに。
僕たちは友達だった。今でも友達である。その間になんといろんなことあったことか。そして、いかに素早く時が流れたことか。

上野駅で彼とコーヒーを飲みながら、僕は深く息をついた。僕たちの気持ちはほとんど変わっていないのに、彼は今では奥さんと10歳の子供を持ち、僕は、やりがいはあるが、仕事に追われた教員になっている。でも、彼と久しぶりに会ったとき、僕は自分がまるで10代後半の少年に戻ったような気がした。外に広がる真昼の青い空のように、僕たちの未来は茫漠としていて、それでいて明るいような、そんな気持ちに一瞬なることができたのだ。

僕は10代のときに、携帯電話を持っていなかった。そのため、PCのフリーメールアドレスで友達と連絡を取っていた。だから、そこをのぞけば、10代の頃のメールが今でも読める。2005年の1月1日、彼からのメールがある。そこにはこんなふうに書かれていた。

「明けましておめでとうございます\(*^▽^*)/バンザイッ
今年もどうぞよろしくお願いしますm(_ _)mペコ ずっと仲良しでいてくださいヾ(*'-'*)」

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