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ありがとう、さようなら。

両足の足首の捻挫耐性がゼロになり激しい運動ができなくなった。無論、ずっとやってきたサッカーはもう思いっきりできない。大して丈夫でもない身体を酷使し過ぎた結果だろう。一生分の足首を使い果たした。アンパンマンの顔みたいに取り替えるわけにもいかない。まぁつまり、もう既に一生分プレーして身を引くときが来たということだ。そうだ、そういうことにしておこう。きっと他にもやることはたくさんあるよ。そう信じよう。


全てを費やしたものを失う割には不思議と喪失感は無く、かと言って手に入れた身軽さを喜べる程、どうやら私は薄情でもないらしい。別れとは往々にしてそういうものか。

アスリート体質に生まれなかったことも、体育会の世界に馴染まないことも、ずっと前から気付いていた。最初からどういう訳か夢を見るには現実を知りすぎていて、幼稚園の頃から一度たりともサッカーで生きていこうなどと考えることはなかった。自分のプレーヤーとしての天井が高くないことも知っていたし、それに近いところまで到達していた感覚もあった。

「どんな努力も好きでやってる奴には敵わない」
「努力は報われる」
「とにかく好きなことをやっていれば幸せ」

残念なことに、これらは全部私にとっては嘘だった。だが後悔は無い。自分なりにやれるだけのことをやって、限界に到達して、摩耗して、終わった。それだけのことだ。これ以上何ができよう。別れを告げて、感傷を引きずりつつ前に進むほかない。


今、怪我のおかげでハッキリ区切りをつけられる。

清々しい気持ちと、それでも少し寂しい気持ち。

今までの人生を直径20cmほどの白と黒のボール抜きに語ることは、例えばビートルズを抜きにロックを語るようなものだ。今の友達と仲良くなったのは8割サッカーのおかげだし、今の大学に入れたのも元を辿れば海外サッカー経由で英語が得意になったから。何よりこのスポーツが私の人格形成に与えた影響は両親のそれにも引けをとらないだろう。


青く未熟でありながら、真っ赤に燃え上がる美しい魂が消えていく。全てを懸けて死物狂いで戦う瞬間瞬間の充実は、青春と呼べるほどの華やかさは無かったけれども、それでも何故だかこの上なく恋しく思えてしまう。

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あの没頭感に、熱狂に、また出会うことができるだろうか。
ぽっかりと空いたこの穴が塞がることはあるのだろうか。心に吹き抜ける隙間風は、新しい恋の始まりには優しい春風へと変わるだろうし、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう。


どうしたって名残惜しさは残る。足首に貼ったサロンパスの臭いは、できれば残らないでほしい。



振り返ってみれば色んなことがあった。もちろん楽しいだけではなかった。それでも、君との時間はそんなに悪くなかったと思ってるよ。本当さ。それじゃあ、そろそろ時間だ。今までありがとう。バイバイ。


My soul slides away... 

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