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前略、お父さん【僕らの忘れられない旅#5】

オーストラリア 2016年2月
「前略、お父さん」
関東 あかね(36歳・会社員)

遺跡が好きだ。

そこに流れる空気や、そこで見る空の青が。古の人々の暮らしや盛者必衰の歴史に思いを馳せれば、ロマンチックが止まらない。しかしながら遺跡とは、とかく華やかさがなく、興味のない人からすれば違いもよくわからないようで、「遺跡好き」を公言する私は、自ずと1人旅が増えてくる。

1人旅は己の欲に身を任せ、好きなものを好きなだけ味わえる。感動を誰かと分かち合えない口惜しさを除けば、総じて気楽で楽しいものだ。「こんなところにも行ったことがあるんだぞ!」と自慢できる旅先も少なくない。

そんな私であるが、忘れられない旅はオーストラリア父との2人旅である。

遺跡ではない、1人でもない、珍しくもない、オーストラリアへの旅。父の”嘱託定年祝い”と銘打ったのだが、本当はたまたま5日間休みがもらえ、特に行きたい場所も思いつかず、親でも連れてくかと思ったのがきっかけ。

母も誘ったが、姪のお遊戯会を観に行くからと断られた。どんなすごい役なのかと聞けば、サルカニ合戦の「栗」役とのこと。栗にオーストラリアが負けるなんて……

父は、欲望の赴くままに飛び回る私に最初こそ苦言を呈していたが、いつからか「もうどこに行っても構わないから、その代わり、その土地でお父さんにTシャツを買ってきなさい。Lサイズね」と言うようになっていた。そんな父を連れた2人旅。父と2人で行くことに、周り(特に女性陣)の反応は「信じられない!」「絶対無理!」という声が多数だったが、私はもともとお父さん子。自分が社会人になり、社会人としての尊敬の気持ちも加わり、昔以上に父のことが好きになった。まぁ大丈夫だろう。

オーストラリアは、私も初めて。旅のプランは、観光名所はもちろん、父のリクエストやグルメも含めてあれもこれもと詰め込み、結局60超えたじいさんを同行させるとはとても思えないハードスケジュールで、ケアンズ→エアーズロック→シドニーを巡ることになった。

それだけでなはい。私なりに、サプライズも準備した。今後の人生でおそらく挙げることはないであろう結婚式の定番、親への感謝の手紙を読もう。(※この半年ほど前に、私は人生の中で“結婚”という選択肢を諦めた)

身内と旅するメリットは「気を遣う必要がない」こと。父との2人旅は、序盤はコアラを抱っこしたり、ゴルフのラウンドをしたりと順調に進んだ。

しかしながら、旅の疲れも出始めると些細なことでイライラしてくるもので、旅の折り返しで大喧嘩勃発。

きっかけは、父の「30過ぎた女が写真くらいでぐちゃぐちゃ言いやがって」と、事もあろうに女性のデリケートゾーン(年齢)に踏み入る暴言。

「あ゛あぁん?」と、思わず鼻濁音の相槌で反応する娘。そもそもこの旅の道中、人をメイドのように扱い、自分では何もせず、ジュースの1本すら私に買いに行かせるほどの“父親関白”を発動。ちょっと待て。我が家にそんな文化はないぞ!!

「あのねぇ、私だってわざわざ休み取って初めて来たの。私だって何回も来られるような場所じゃないの!!」(大激怒)

それからは、何をするにもぶつかる父娘。私がブルーマウンテンで旅行中の日本人とちょっと会話をしていれば「ペラペラしゃべってるんじゃない!」と怒られ、エアーズロックで星空を見に長いこと外に出ていれば「いつまで見てるんだ、いい加減にしろ!」と怒られ、夏真っ盛りのシドニーの街をスタスタ歩いて行けば「もう少し親に気遣いができないのか!」と怒られ……。

最後の最後まで、とても感謝の手紙など読む気持ちにはなれず、結局、帰国の成田空港で「これ読んどいて!」と、ぶっきらぼうに手紙を渡して終了。成田空港で別れて、それぞれの帰路についた。

だが、その数時間後、父からの長文の感謝の言葉が送られてきたのである。

帰宅の便を待つ間に私の手紙を読み、60超えたじいさんが一人、他人の目も憚らずボロ泣きした様子。感謝の言葉の中には「海外旅行はおそらくこれで最後」とか「最高の締めくくりになった」とか「思い残すことはない」とか、明日にでも死にそうな人が言いそうな言葉が並んでいたが、書きながら旅を思い出しまたボロ泣きしてしまったことなども書き連ねられていた。

そんな事を聞いてしまうと、ちょっと大人げなかったかしらと心を痛め、もう少し優しくすれば良かったなと、少なからず反省した娘。せめてもの救いは、道中、私が買ってきた世界各国のTシャツを着て写真に写る父が、どれも本当に楽しそうに笑っていたこと。

そして、それはもちろん、30過ぎてもひねくれ者で大人げない娘も同じ。

余談ではあるが、この旅の一年後、私は奇跡的に結婚。しかし結婚式や披露宴はしなかったので、当初の予定通り感謝の手紙を読むことはなかった。

対して「海外旅行はこれが最後」と言っていた父は、現在は3人の孫に囲まれ、オーストラリア以降もたまに母と2人で海外パッケージツアーに参加したりしている。

父も私も、あの時想像していた未来とは少し違ったが、お互い楽しそうで何より。

これが私にとっての、忘れられない旅。

そして、後にも先にもないであろう父娘のこの2人旅が、**父にとっても“忘れられない旅”であることを、切に願う。 **

あらあらかしこ。



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