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”間(余白)”がないとつまらない

いつだったか「未来創造型リーダーシッププログラム」というワークショップをうちの会社が開催したことがあって、参加させてもらったことがあります。自画像を描くワークの中で、ファシリテーターのクリスティーンさんから「絵は"間"が大事」という話がありました。
余白と言ってもいいかもしれません。
描いていないことを、どう描くのか。
さらに音楽ワークショップのファシリテーター、マイケル・スペンサーさん(https://www.japanphil.or.jp/orchestra/news/4751)からも同じお話がありました。
私は子どもの頃からバイオリンをやっていまして、音楽はよく「休符をいかに演奏するか」が大事だと、そういえば言われるなぁなんて思いました。
演奏をお休みするところ、つまり"間"をどう演奏するのか、ということです。

よく考えると、すべてにおいてこれは言えることです。
読書はよく「行間を読む」と言いますし、
ファッションでも「抜け感」という言葉があります。
「空気を読む」という言葉もありますね。
映画でも「なんだろう、この映像は?」という空白の時間(これを違和感と言う)が何かを語っていることがあります。

見えないものをどう見るのか。
形のないものをどう捉えるのか。
表面しか見ていないと、言葉を言葉としか受け取れません。
「なんでそんなこと言うの?」
と思ったとき、視点を変えると違う側面が見えてくることがあります。
言葉の裏側にある意図。

空白、余白を含めて「全て」です。
人、もの、コト、人生、仕事・・・いずれも余白がないとつまらない。
余白はムダではありません。
日常は忙しくて、ついつい「間」を取らなくなってしまうもの。
いったん立ち止まって「間」を感じてみると、
そうだ、今日本当にやりたいことをやっていないじゃないか。

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