オタクでいることの厳しさ
どうも。奢侈(しゃし)です。
最近、俗に言う「オタ活」というモノをしなくなっている。
中学生の頃は毎日何かしらのアニメを5話見ないと寝れず、デレステのイベント周回をテスト前夜更かししてでも回していた。
人生において必要不可欠な睡眠を削ってまで行うことがオタ活だと言うつもりはないが、それほどに情熱を注いでいたあの行為を今では行う気にはなれない。
なぜだろうか。
答えは長考するまでもない単純明快な話。
飽きたのだ。価値を見出せなくなったのだ。オタクでいることに。
思えば僕は高校に上がってから色々なことを経験した。中学に比べ部活にかなりの時間を割き、バイトも短期ではあるがちまちまやっていた。同中上がりの友人が居なかったため、周りの話についていけるように今まで全く聞くことのなかったジャンルの音楽やテレビ番組にまで手を出した。
そうすると必然と世界は広がる。今まで傍にあった輝いていた世界がはっきりと視認できるようになった。
人によってはこの世界はあまり輝いて見えないかもしれないが、アニメ・ゲーム漬けだった僕にとっては余りにも新鮮味に溢れていた。
高校までに他の人がおおよそ経験していたであろう事を初めて経験した。
そりゃ楽しい訳だ。だって、この世界には人が尽きることが無いのだから。
オタクというものはすぐに離れてしまう人が多い。
単に娯楽であるからである。オタクというモノでいることは。
僕はオタクの世界以外の居場所を知らなかったらしい。
本来なら避暑地扱いであった世界を本拠地にしてしまったのがいけないのだろう。だから皆が元々住んでいた世界が目新しく見えてしまうし、元の世界に飽き飽きしてしまったのだろう。
オタクでいるためには上手く塩梅を見極めたほうがいいようだ。
流石に無理だろ。なんだよ塩梅って。
最近自分の中でアニメ系の再熱が来てるし、オタクと現実の世界を上手く行き来していく練習でもするか~。
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