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愛のゲームバランス

ぼくはここ1年、愛について、“その意味について”、“その所在について”仕事外で考え続けている。飲み会の席においては、隙さえあれば「愛ってなんだと思います?」と臆面もなく問いをぶつけては、「うん、うん」とこうべを垂れながら、それぞれが返してくれる答えの背景にある意味や経験の発露。その過程に想いを寄せながら、日々を過ごしている。

だいたいは酔っ払っていて、海馬が溶けていて、翌朝には覚えていない。でも、覚えていることは確実に琴線を掴み、ぼくの思考や意味づけに訴えかけているんだろう。

このnoteは「運命は秒速で、幾重にも枝分かれし続けている」と「愛の反対にある正義」の続編にあたる。

“愛”と“気持ち悪さ”は同居していて、どのアングルから受け取るか、見つめるか、なんだろうな。

ゲームバランスが差配する、“愛の在りか”

これまでを振り返って気づくことがある。(たぶん“可処分”という意味において有限な)人間性を捧げまくって仕事すれば評価されるし、周りと差分もできる。けれども、それと同時にいろんなことを失うし、愛も残らない。人生は、絶妙に、うまいゲームバランスで構成されている。

人間はままならないーー。

メディアに引っ張りだこで、新しいオピニオンを求められ発言している人も、今目の前の席で口を開けながら寝落ちしている人も。もちろん自分も。皆すべからくままならない。明日のことも1年後のことも誰も分からない。だから占い師の物言いはありがたいし、1兆円もの市場規模がある。

その時々の、”何も見えていない”瞬間ごとの人生を支えてくれた人を忘れずに、幸せにできればいいんだきっと。

振り返ったときに、どれだけ気づくのが遅くても、エゴだったしても、気づいた瞬間から動き出せればいいんだきっと。

ある地点からみた、「気分」と「決意」

信頼できる友人と深く語り合った夜は、思考が刺激されて、ツイッターへの吐き出しも多くなってしまう。こうやって大切な夜を一つずつ積み重ねながら、不確かさを確かさにゆっくりと納得して変えてゆく。それが老いなら、それはそれで悪い気がしない。

28年間を振り返ると、独りきりでいることが淋しくて孤独に敏感な1年と、そんなことすら気にせずに仕事に没頭してランニングハイで駆け抜けてる1年が交互にあった気がする。

歳をとるってことは、配れる愛の総量を最大化する旅なのかもしれない。卑屈にならずに、物知り顔になってマウンティングしないで、老害ならないように。忙しさなんか言い訳にしないで、目の前にいるだれか一人にひとつづつアメちゃんを配るように愛を手渡せるかどうか

「どこまで遠くへ行けるかは、どこまで遠くを知っているか」ーーだから。

「気分」と「決意」って、覚悟の度合いからしてぜんぜん違うもののはずなのに、時間が経って振り返ると大差がない。開いた口が塞がらない。でも恋愛は幻想だし、幻想じゃないものってあったっけ?

根拠のない執着心と、無防備な愛だけが、自分を前に進めてくれる。

革命・沈黙・遺伝子、と猿人類

濁流のようにせき止められない日々が一定期間経過すると、自分の思想や軸がブレそうになることがある。それにふと気づいたら、『切り取れ、あの祈る手を』や『沈黙』に想いを馳せる夜がある。心折れることなく”正しい想いを持ち続けて生きること”は、ある意味で”祈り”であり”信仰”に他ならないから。

トートロジーかもしれない。人生の意味は人生の意味を探ることそのもので、自分なりの定義を見つける旅なんだと思う。答えは本に書いてなければ、誰かが教えてくれるものじゃない。常に自分の中だけに内在している。でもそれは他者との関係性から間主観的に形作られるから、想像力を育み続ける事が大切だ。

『利己的な遺伝子』と『サピエンス全史』を読むと溜息が出る。果てない人の営為が世代間をリレーし、意志の焚火を絶やさずくべ続けてきた。文明や社会構造単位でイシューを切ろうとすると、身動き取れないけど、先人たちの息遣いに想像を膨らませると謙虚になれるし、自分は何ができるか見つめられる。

スタートアップライクに生きるか、クリエイティブに生きるか、牧歌的に生きるか。偉い生き方なんてないし、正解もない。だけど、自分で自分の人生にオーナーシップを持って、レゾンデートルと向き合って、コンセプトを作りながら生きることって重要だと思う。

『東京女子図鑑』とあいみょん 

『東京女子図鑑』から感じた人生の不可能性、もっといえば人生の一回性の檻に囚われた、地方から東京へ上京してきた者が夢見る、価値を措定する生き方は誰にも否定できない。人生を易々と規定する時代力学はいかように客観的に規定し得るか?絶望の先に。

他人事とは思えない、元カノのそれとか。絶望と虚無。

詩だけが惰性的な思考を攪拌するのだとすれば、ダラダラと流れる怠惰な日々よりも、突発的に予定不調和に人生に楔を打つような、ただなんとなく酔っ払っちゃった日々や、偶発性が時より爆発した瞬間に寄り添って意味を見出して、添えた方が、長い時を息切れしないように過ごすのには丁度いいんじゃないか。

孤独や絶望はいつか美しさに転化するから、それが作品の隅々に滲み出てるあいみょんが好きなのかも。その種の性質のクリエイティブがニッチで支持されるのは分かるけど、マスの膜を破ったのが、あいみょんの凄味でポテンシャルなんだと思う。そんな御託は置いて、あいみょんをBGMに今日も原稿を書く。

知らないうちに、やさしく手を差し伸べてくれているひとの存在を忘れちゃいけない。気づかなくちゃいけない。いつでも感謝を伝えなきゃいけない。守らなきゃいけない。

自分が守れなかったときも、自分を守ってくれなかったときも。立場や年齢を超えて、あの日あの時、支えてほしかった人、支えるべきだった人。取り返しはつかないけれど、時間や記憶は、固定的な過去として、剥がれない釘として打ち込まれる。それを赦しせるのかどうか、それだけが未来を形作る。たぶん。

不合理の先にだけある、合理

不合理の先にだけ、合理があることを、どこかで分かっている。

「諦める」を後退ではなく進化と捉えられたら、きっと未来は明るい。

モノでもカネでもなく、魂を預けられるひとをきっとみんな探していて。人生や人間的成熟度のタイミングが奇跡的に一致したり、ある日にバグが生じることで、想定外の愛が生まれるのかもしれない。

狂気を孕むのは、恋と愛の、どちらなのでしょうか、先生。

(top image by Unsplash

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㍿モメンタム・ホース代表🏇『SENSORS』編集長。修士(東京大学 学際情報学)→リクルートHDを経て、独立。編集協力『日本進化論』(落合陽一)、『10年後の仕事図鑑』(堀江貴文、落合陽一)、『THE TEAM』(麻野耕司)等。『転職と副業のかけ算』( #moto本 )制作中。
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