個性だとか自由だとか
新しい学校のリーダーズを最近仕事で連続して扱うことがあった。流行に疎いわたしは「なんだまた奇抜な名前のアイドルが流行っているんだな」と斜めからのゆるりと見物。
それから家で思い出して、Youtubeでとりあえず検索してみると、歌も踊りもかっこよくて、次々に動画を漁るまでに大して時間はかからなかった。
彼女たちの挨拶というかキャッチフレーズは「個性や自由ではみだしていく」というもので、この「自分らしく生きる」という感じは近頃耳にすることも多いテーマであると思う。
わざわざこういうことがテーマになると言うのは、やはりまだ私たちにそういう要素が欠けていて、勝ち取らないといけない、そこまで気負っていなくても、どこか陰気なところを含む集団的な平均化に負けてはいけないと思っているからだろう。
彼女たちは表立ってこれを標榜にしているが、ふと日本全体のぼんやりと漂う集合的な無意識を、こういう人たちが汲み取って発信しているのではないかというふうに思った。
自分のことと照らすと、わたしなんかは気が充実しているときは、多少はみ出したことをしても、「へっ、これがおれの好きなもんさ」と見せつけてやるぐらいの気持ちで得意げに振る舞ったりしがちだが、
これが気が弱っているときだと、「あれ?自分が間違ってるかな?」「みんなに合わせた方がよかったかな?」「調子に乗りすぎたかもしれない」と途端に、何か自分よりも大きな雰囲気に呑まれそうになってしまう。
何回も何回も、石橋を叩いていかないといけないらしい。ひとつの民族が、長い時間をかけて変化していくというのは、後世からみると、歯ぎしりであったり、はたまた尊敬であったりするのだろう。
歴史ももっとそんなふうに見えてきたらいいけれど。今も刻々と、なにか因を刻んでいる。
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