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佐藤剛さんが亡くなった

音楽プロデューサーの佐藤剛(SATO GO)さんが亡くなった。
THE BOOMのプロデューサーだった人だ。

THE BOOMとかかわる前は甲斐バンドのマネージングもされてたよう

なかなか骨のあるプロデュースをされる方だった。

THE BOOMファン(BOOMERと言った)は、剛さんや剛さんの会社”ファイブ・ディー”そして、ファンクラブの「ムーブメントクラブ」から、いろいろな文化を教わり、学んでいった。

ムーブメントクラブとミニコミ、エセコミ

これが数か月に1回、ファンクラブから送られてくる「エセコミ」
ちょっとした雑誌のような作りになっていて、いろいろの文化について特集されていた

「エセコミ」は、ファンクラブの会報と一緒に数か月に一回送られてきていた。
中身は、音楽だけに限らずありとあらゆるカルチャーについて特集が組まれていた。Theboomと直接は一見関係のないものもよく載っていた。

私はエセコミにかなりの影響を受けた。

時に考えさせられる社会情勢への特集もあったし、THE BOOMより上の教わった。ラテン音楽やボサノバ、沖縄民謡、アイリッシュ音楽、そしてYMOやはっぴいえんど系譜の皆さんなど。。

”THE BOOM”というバンド名もそのそも「自分たちでBOOMを作っていく」という意味でつけられた。

剛さんもインタビューで『メディアに頭を下げなくてもいいように、自分たちでメディアを持たなくては駄目だとか、音楽雑誌に頭を下げて、ヨイショ記事を書かれているようじゃ駄目だ』とTHE BOOMのメンバーに最初に話したとか。

THE BOOMの音楽業界との闘いと言えば

Mステに出るために作ったこの曲
残念ながらMステに出たときの動画は探してもなかったけど、「トロピカリズム-0°」のライブ映像であったのでこちらをどうぞ

https://youtu.be/95qbkbcQIhs

90年代の巨大な渦の中心にいたのは果たして誰だったのか?MIYAは
「きっとだ~れも居やしないよ」とポエトリーリーディングで語った。

こういったTHE BOOMの活動は海外にも及んで、広がりを見せた

DICK LEEとの共演、そこから派生した「CLUB ASIA」、アルバムへの参加などなど、、数えきれない。

私は、THE BOOMのライブ会場に行ったらいつも『剛さん居ないかな?』と探していた。
直接お話ししたことはないし接点もなかったのだけど。
何というか安心感と何かやってくれるという期待があって、いるかいつも確認していた。

しかし、私自身、私生活で忙しい時期にちょうど剛さんがプロデュースを離れてしまっていたようで非常に驚いた。誰も教えてくれなかった・・。なんで。。

と打ちひしがれていたところにTwitterのアカウントを見つけ、即フォロー。
なんとフォロー返しまでしていただいた。

そうこうしているうちに、由紀さおりさんのヒットを仕掛けたというニュースが。

嬉しかった。さすが!だと思った。そして、由紀さおりさんが超かっこよかった!

MIYA(敢えてデビュー当時の正式な呼び方で呼ばせていただく)がよく言っていた「上を向いて歩こう」のような曲が作りたい、という話。
そこの剛さんの活動も集約されるのかな。この由紀さおりさんの曲も大きく海を渡った。
そして、THE BOOMの『島唄』も・・

https://www.bilibili.com/video/BV15x411h72d/?share_source=copy_web

紅白の「島唄」。剛さんのプロデュースがあったからこその曲だと思う。

まだまだ言い足りないことはいっぱいある。
クラムボンやスーパーバタードック、SUPERCAR、中村一義などなど、、
こういった実力者を初期の時から紹介してもらった。
NEWEST MODEL(のちのソウルフラワーユニオンも)の活動も。。
高野寛さんについても。

本当にいい音楽をありがとうございました。
西城秀樹さんのファンの方からも色々感謝のコメントをみる。

ご冥福をお祈りいたします

できましたら、サポートいただければ幸いです!