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舞台「千と千尋の神隠し」感想

解禁した時からしぬほど楽しみに待っていた舞台「千と千尋の神隠し」観劇してきました。素晴らしかったです。パペットと人間をフルに使って、あらゆる登場人物とモノを人の力で動かしていたのが“神は細部に宿る”を体現していた。それが八百万の神々がいる世界観にとても合っていた。そして自分の中でも新たな解釈がうまれた。この舞台の感想はこれに尽きると思う。

もう二度と劇場で観ることは叶わないだろうなと思うので、憶えていることを可能な限り文章にしようと思います。私が観劇した回はこちらの皆さまでした。

@帝国劇場 2022.3.21 昼の部

舞台美術・音楽・演出など

誰もいない開演前から苔むしたステージの端に打ち捨てられたように鳥居や祠が散り散りに置いてある。幕には綿雲が浮かぶ夏の空模様が流れている。そして幕の中央にはあのトンネルの入口の形でぽっかりと穴が空いている。周囲がのんびりした田舎の空模様なのに対してトンネルの穴は真っ暗で、ただそこにあるだけなのに呼んでるように見えてくる。タイトルコールの後『千』の文字が反転して鳥居になるアニメーションに痺れました。頼りない千尋から千に、千から生命力を得た千尋にと、千と千尋の二人が鏡合わせのように入れかわる物語を表しているみたいで。

幕が上がるとステージの中央にはもちろん大きな湯屋。回転して次々と転換して、回るたびに世界が目まぐるしく変わっていくのがたまらなく楽しかった!湯屋の橋にもなるし、釜爺の引き出しの壁にもなるし、湯婆婆の豪華な部屋にも下働きたちの下宿部屋にもなる。湯屋を囲むように床には円状にレールが走っていて、小さな電車が湯屋の橋をくぐってサッと走るし、ススワタリの行列がわわわわ…と出てくるのもたまらない。パンフレットでも言われていたけど、舞台セットが千と千尋のテーマパークと化していてたまらない!もうあの中を走り回りたくなるし、あの中を走り回れる役者がうらやましい!

登場する生き物ほとんどをパペットと人力で再現した中で唯一プロジェクションマッピングが使われていたのが、雨が降って海になった穏やかな水面でした。穏やかな海に浮かんだ湯屋で、一日を終えた千尋たちがぼうっと外を眺める横で下働きの女たちがぼんやりと歌っている。そのままゆらゆらと眠りにつきたい美しい景色だった。

音楽がそのままだったのも嬉しかったです。開演して千尋がとぼとぼと歩いてきて『あの夏へ』のイントロのピアノが響いた瞬間、音楽そのまま使えたんだ…!と息をのんでしまいましたね。『油屋』や『神々さま』といった舞台にもってこいな歌をみんなでわいわい歌うのもすごく良かった!舞台観に来た~って感じがする。子供のころから夢中で聴いた音楽を、舞台観劇の楽しさを知った今の自分が五感で楽しめる状況、エモいなんて言葉じゃ足りない。

人気作品が舞台化されると“いかに再現されているか”に意識がどうしてもむいていしまうけど、その再現性もさることながら単に見た目だけじゃない部分に訴える力が凄かったなと思います。
その人が持つ佇まいや群像で作られる空気間で“あの世界が目の前にある”と思わせるのも舞台ならではで、本当に素晴らしかったです。

千尋

上白石さんの千尋、まさに千尋がそこにいた!とぼとぼ歩いて駄々をこね、細い手足をバタバタ動かす下手くそな操り人形みたいな動きがまさに千尋だった。出会いや仕事を経て少しずつ生命力がやどっていく様を3時間かけてじっくり演じてくれました。両親とはぐれて今にも消えそうに震えている千尋、新米の下働きとして必死に働く千、海を不思議そうに眺める千尋……と、頼りない千尋と、千になりかけてる千尋と、千尋としての自分を宿しながら千として生きる千尋が徐々に入れかわっていく様子を繊細に描き出してくれました。人格と感情表現の流れの自然さがすごい…!

オクサレ様が帰ったあと、やったー!と湯屋の全員で阿波踊りする場面、湯屋の仲間に混ざってワイワイ踊って笑う千尋が、ジブリキャラ特有の歯が見えるくらい大きく口を開けた笑い方で感動した……!とぼとぼ歩いてた千尋とは別人のような輝く生命力だった。周りの人物や神さまたちが大きい中で、千尋ってすごく小さい生き物なんだよね。大人の世界に迷いこんだ子どもが不安な中で駆け回り成長していく姿を私たち観客はずっと眺めている。それに加えて、子供にしか見えないものが(本人もその自覚なしに)見えてる不穏さを感じさせるのも凄いなと思いました。千尋が一人で湯屋付近の街中を歩いているとき、何もせずただゆらゆら揺れてるだけの黒子たちが佇んでいたのもすごく良かった。黒子を片目に不安げに迷い込んでいって、なんとなく居心地悪い感じを観客にも共有させる力があった。観客を巻き込む力ってすごいと思う。ジブリ作品の主な題材でもある“迷子になる子供”を3時間じっくり体現しているように思いました。

あと、銭婆のハンコの虫を退治(笑)して釜爺とハイタッチしたのが面白かった。 釜爺がイエイ!と手を出すんだけど、なにせ手がたくさんあるから、窯爺の全部の手のひらに千尋が一枚ずつ丁寧にいえい!いえい!とぺちぺちハイタッチしてたのかわいかった 笑

ハク

この舞台が解禁した時は「わ~いきたい!チケット大変だろうな><」くらいだったのが、キャストが発表されてから「 い か な きゃ 」になった。必死さの解像度が別次元に行ったんですよ。三浦くんがハク様、それはつまり「羽生さんが竜の少年で滑ります」と同義ですからね。鬼に金棒や竜に翼を得たる如しという表現ではちょっと違うなと思うくらいに、もう絶対にハマリ役であることが観なくてもわかるじゃないですか。観たんですけど。客席に到着したら隣の二人組が「ハク様めっちゃハク様らしいよ」と噂してるのを「観なくてもわかるわ(客席での雑談はやめて…)」と思いながら聞いていました。

三浦くんに関しては、妬み僻みみたいな俗っぽい感情とは無縁の神聖な人を演じれば右に出るものはいないくらいに思っているので、言うまでもなく素晴らしかったです。表情だけでなく佇まいやまとう空気からそれを感じさせるのけど、この上品さは意識して出せるものではないですよね。

登場してハッとしたのが千尋との体格差でした。千尋とハクが並ぶときょうだいくらいの体格差がある。半透明の状態から回復した千尋がハクの手のひらに触れた時、映画のカットが再現されたように手のひらの大きさに違いがあって息を飲んでしまった。
すべて人力で再現されるので、ハクが魔法で次々と扉を開けて疾走する場面も板状の扉を持った黒衣が目まぐるしく立ち回る中を二人が疾走していく。この場面の扉役の立ち回りとスピード感本当にすごかった…!

そして、特にすごいなと思ったのはハクの二面性。千尋が「ハクってひと二人いるの?」と言ってしまうのもわかるくらい、千尋といる時のハクと湯婆婆の手先としてのハクが別人のように全然違った。 映画よりずっと別人のように感じられて、人として根本から違う感じ。三浦くんの笑顔の特徴でもあるけど、にぱ!っと笑う感じがちょっとおちゃめさもあって可愛くて、それもあって冷たいハクとの差がすごい。優しいハクはどこまでも優しいけど、冷たいハクは本当に「あんなの二人もいたらたまんない」くらい血が通ってないような冷徹さで嫌な奴で、うわ~ひどいやつだ……(めちゃめちゃハク様だ……)と思いながら観ていました。

一番の見どころのひとつであるハクから白竜に変身する場面も素晴らしかった……!重力を感じない、人じゃないみたい神々しさで舞い、トリプルアクセルで上手袖に履けると同時に白竜のパペットが飛び出して客席の上を勢いよく飛んでいく。踊って竜になるハク様…!ハク様の3Aから飛び出す白竜とか、いつも私が羽生さんの3Aで幻視してる光景じゃないですか。あまりの美しさと演出のシームレスさに息をのんでしまいました。いやあ本当に観れてよかった…!!

舞う場面以外にも粛々と仕事をするハクもハクらしくて、偵察に向かう湯婆婆を送り出すハク、怒り狂って迫る湯婆婆にテキパキと椅子を向けスリッパまで用意してやるハクと、人となりが伝わってくるのがたまらなかったです。このハク、湯婆婆の従者としてめちゃめちゃ優秀だ。根が真面目できちんとしたやさしい人なのがわかる。湯婆婆が滅茶苦茶な態度でも周囲に愚痴ることもなく従っていそう。愚痴るという行動もそもそもその行動の根本にある感情もこの人の中に存在しなさそう。たぶんこのハクはA型。異物を排除するのではなく、異物でなくなる場所に行けるよう手助けしてやるやさしさ。だから従順に銭婆からハンコも盗むし千尋も助けるし、迷い込んだ者が働く事例が「最近多いねえ」ということだと思うのですよ。

ハクが名前を思い出す一連の場面はもう観ている私が胸いっぱいで、震えながらかみしめるように観ました。最後、千尋の手を離して去っていくハクの所作の美しさ。なんともいえない。

そして映画だとトンネルを出た千尋の髪留めがきらりと光る場面は、トンネルを出た千尋が振り返って不思議そうな顔でトンネルを眺めた後、千尋が客席の方に向き直るとトンネルからハクがひょこっと顔を出して、笑顔でぱっ!と花びらを散らすというなんとも粋な演出でした。
映画のあの髪留めのきらめきは都市伝説的な「ハクが八つ裂きにされた涙」説があるけれど(千と千尋が好きというと頻繁にこの都市伝説の話題に持っていかれるのが私は嫌なんだけど)こちらは笑顔で花びらを散らすという、なんてハッピーエンドな解釈!ハクの登場シーンの花びらとも繋がっていて、こうきたか!と思いました。私にはハクが千尋にいってらっしゃい!と笑顔で送り出しているように見えました。「一度あったことは思い出せないだけで忘れないもの」であって、私はあのきらめきが悲しい場面には思えないから、この演出はびっくりしたけど嬉しかった。古典的だけど、花びらのような紙吹雪って舞台に映えて、華やかで幸せな演出ですよね。大好きだなあ。
三浦くんハク、演じてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。なにからなにまで素晴らしかった。

カオナシ

カオナシもまた人ならぬ動きで得体の知れなさがたまらなかった…!。人っぽい状態でも巨大化した時でも、ジブリ特有のどろどろ感を身体と布で表していて、中の人たちの身体の可動域とキレに圧倒されました。人っぽい状態から突然べちゃっと平べったくなったり、巨大化して十数人がかりで布をぼこぼこ叩いて動くいびつさなんて、人間が持つ不可解で醜い部分を具現化したかのよう。中の人の柔軟性と身体の使い方がどうなってるんだ。巨大化したカオナシは透け感のある布だから、中で動かしてる黒子たちの表情まで微妙に見えるんですよね。その彼らが““虚無””て感じの表情で動かしていて、カオナシに食われた者の亡霊みたいだった。それか人間の未熟な部分の生霊のようなものかもしれない。カオナシは人間の未熟な部分の象徴だから。
カオナシはハクの神聖な“人じゃなさ”とは対になるような、人らしからぬ得体の知れない生き物っぽさがたまらなかった。全部吐き出した後、泳いで千尋を追いかけるのを背泳ぎみたいに仰向けに這っていったのがかわいかったです。

リン/湯屋の下働きたち

千尋の先輩としての姿も湯屋の従業員の一人としてモブの群れの中にいる姿も、竹を割ったような性格のリンそのもので、観ていて気持ちいいくらい爽快感があった。「お前の事どんくさいって言ったけど取り消すぞ!」の言い方が、映画だと遠くに向かう千尋に叫ぶけど、舞台では気持ちをきちんと伝えるように、手渡しで渡すような言い方だったのも良かったです。
千尋がハクのおにぎりを食べた後、映画では『仕事はつらいぜ』の場面で下働きの女の子たちが大広間を雑巾がけするカットが印象的だけど、舞台は\せーの!/の掛け声で全員一斉に雑巾がけし始めたのが可愛かった。私の中学では吹奏楽部が肺活量トレーニングのために廊下を毎日雑巾がけしてたんだけど、あの景色を思い出した。雑巾がけって舞台に映える動作だったのか。

釜爺

釜爺のたくさんある手足を数人がかりくらいでわしわし動かす。薬草を取りににゅーんと伸びる腕。私は2階席から見下ろしていたけど、縦横無尽に宙をつたう釜爺の腕をひえ……っと見上げる千尋の視界が見えたぞ。『仕事はつらいぜ』を歌いながら労働する釜爺。うわあ…!労働ミュージカルってたまらない。そう、映画はインストだけど歌詞つきのイメージアルバムがあって、舞台はイメージアルバムの曲がたくさん使われていて、みんなでワイワイ歌ってたのもすごく楽しかったです。目を覚ましたハクを「病人は寝ていろ」と撫でる手つきに愛情を感じた。無表情でスッと従うハクも、古くからの信頼があるから何も言わないで済む関係性が見えましたね。

湯婆婆/銭婆

夏木マリ様、なんといっても一言ひと言に含蓄がある。映画では巨大な二頭身の身体に威厳と経験が詰まった双子が、舞台では言葉の節々や佇まいでそれらが表現されていて流石でした。湯婆婆からは一代で財を成した仕事人っぷりをひしひしと感じて震えながら観てました。あんな人になりたい。
銭婆も容姿こそ同じだったけれど、含まれているものが違う感じ。孫に接するおばあちゃんのように穏やかだけど、道を外れた者にはしっかり制裁を下す。怒らせると怖い人は道を外れた者にピシャリと現実を突きつけるから怖く見えると私は思っていて、そういう意味で夏木さんの銭婆は芯のある強い女性で、歳をとったらこうなりたいと思いました。湯婆婆と銭婆のハイブリッドに私はなりたい。

舞台化にあたって一番どうやってやるんだろうと思っていた頭、まずカーテンから縦に三つ並べてぬっと顔を出して、カーテンが開くと緑色の頭したふんどし姿のおじさんが自分の頭部を両手に持って大の字で登場という、ド 変 態 としか言いようがない容姿で爆笑でした。おじさんが両手に頭持っておいおい言いながら縦横無尽に飛び回る様子(しかもすごいよく動く)、湯婆婆とんでもない生き物と暮らしてんなあと思う。軽やかに跳びまわるけど、どっしりとした質量も感じた。相反するものを併せ持つ緑の頭のおじさん、それが頭。

神様・モノ・黒子

この舞台で特筆すべきことの一つ、神様たちの衣装が本当にすごい。あらゆる素材を細かく刻んだフリルの塊でわさわさ動くオオトリさま、あののそっとした動きそのままのおしらさま、名前はわからないけど2mくらいある神様やスカートに頭くっつけたみたいな腰ぐらいまでの身長しかない神様もいて、ぞろぞろ登場すると色彩も素材もあざやかで本当に目が幸せだった……!

個人的にたまらなかったのが、湯婆婆の部屋にある巨大な壺が、壺を着た役者が演じていていたこと。映画の中ですらただのモノなのに…!あの壺の服着たい!湯婆婆の部屋に転換してスススス……と登場した瞬間に「壺が人だやばいwww」と頭抱えました。壺だから基本動かないけど、たまにリアクションしちゃって「いっけね私いま壺だったわ」みたいな感じでスッと壺に戻ってくのも面白かった。あの壺ももしかしてあの世界に迷い込んで姿を変えられた元人間なのかな。

千尋たちが電車を降りてから銭婆の家まで案内する街灯が、チュチュを着た黒子のバレリーナだったのもすごいかわいかった!背中にランプ付けて片足だけ白い靴下履いてぴょこぴょこ踊るの、おうちに置きたいくらいかわいい。この子がダンスするだけの時間があって、おちゃめでたまらなかった。軸足と反対の足を高く上げて軽快に跳ねまわるのが印象的で、カテコでも彼女は片足をぴょいっと上げてお辞儀する粋さ。細部に渡るまで粋な演出がたくさんあって楽しかったです。

千尋が契約書に書く名前もパペットで、ススワタリもパペット。青蛙もパペットだけど操演の黒子がちゃんとカエルの動きで移動しててすごかった…!千尋がハクのおにぎりを食べる裏庭のお花も、お花役の黒子が演じる。わんわん泣く千尋にお花の黒子もハクと一緒に寄り添っているようだった。この舞台では黒子が姿を隠しすぎず結構見えてるのですが、それもこの世界の一部だと感じられるのが凄いなと。その黒子が演じているモノの付喪神にも見えるし、湯婆婆に姿を変えられた元人間の自我の残り香のようにも見える。冒頭で千尋が迷い込んだ街で黒衣が何もせずゆらゆらゆれる小気味悪さもある。見えるけど見えない、いないけどある。そこらへんのなんでもないモノにも、神様や人の想いが宿っているんだよというメッセージに思えました。
それと同時に、この舞台の建物や花や木など背景のすべてが、湯婆婆に姿を変えられた元人間たちでできてるんじゃないかと思えてくる。これは映画を見てる時には考えなかった解釈でした。この感じが千と千尋の世界観にぴったりだなと思います。


舞台千と千尋の神隠し、ただただ圧倒されて終わってしまったので、もう一回観たい!チケットもっと頑張ればよかったな~ でも、千尋のあの夏がもう二度とないのと同じように、これが人生で一度限りの最大限に没頭した体験ならばそれもいいのかもしれない。最後にリンク貼るけどNHKの記事に書いてあるとおり、映画を初めて見た子供がすべてのシーンに目を輝かせて夢中になったように、この日わたしもすべての場面に目を輝かせていたことだろうと思う。自分で自分の観劇中の姿は見れないけれど。

舞台は先日、東京公演が無事に千秋楽を迎えて本当によかったです。そして名古屋大千秋楽の配信が決まったのはありがたい!たくさんの人に観てほしいと思います。素晴らしい舞台なので。

ジブリの魔女イメージで観劇したわたしの手
(すべての指にジュエルをつける)

https://news.hulu.jp/spirited_away/