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ライブ・スペクタクル「NARUTO」〜忍界大戦、開戦〜 感想

毎回、児玉さんよくまとめましたね・・・!と思うナルステ。バックボーンを描いた場面を最低限にして役者の歌と芝居で補うことで、より人間と人間の物語に見えてくる。児玉さんの構成・演出と役者の芝居が相まってキャラクターが人間になるところがナルステの醍醐味だと毎回思います。ああ、これこそ2.5次元。印象に残ったことを書いていきます。だいたい次回で完結する前提で考えている。

@神戸文化ホール 2022.10.02
(ベアかわいい)

ナルトとサスケの対比

一幕の前半はクシナからナルトへの「愛してる」の話、二幕の前半はイタチからサスケへの「愛してる」の話という構成。クシナからナルトへの場面は劇場全体をふわ~っと包むようなゴールドの光があたたかい家族愛の演出だな……とほっこりしていたら、イタチからサスケへの場面も同じ演出で、対比の意図を感じて息をのんでしまった。同じ言葉の同じ演出でもナルトとサスケ二人の受け取り方が全然違うのがモロに出ていて。ナルトは心にずしりと大きく暖かいものが宿っていくのに対して、サスケは意表を突かれたように呆然とする。各々がこれから進んでいく中でキーとなる記憶が一見似たものでも、受け取り方が違った二人がこの先ぶつかることを予感させるように思えました。原作だとこの二つのエピソードの間はけっこう話数が離れていて、それぞれの話にただ感動するけれど、舞台ではそれぞれの場面が開幕してからほぼ同じタイミングで見せられることで、ナルトとサスケの対比がより強く残ったと思う。NARUTOはナルトとサスケを対比させてなんぼですからね。
キャストがみんな口々に言う通り、児玉さんはあれこれ演技指導もせずにこにこと見守ってくれるそうなので、お芝居に関しては役者の解釈がそのまま出ているんだと思います。脚本と演出と役者みんなで作っている感じ。一人だけでは舞台は作れない。こうして出来上がるものが本当に素晴らしくて嬉しい。

四者四様の「独りで考えて行動した結果どうなるか」

マダラもイタチもカブトもオビトも、四者四様に「独りで考えて行動した結果どうなるか」がよく描かれていました。“一人”ではなく“独り”。このテーマに関しては次回も続くけど、今回で完結したのがイタチですね。「最後はそれこそ仲間に任せるさ」と言って逝ったイタチが、クライマックスの「命より大切な~」のコーラスの中にいるのは本当に胸が熱い。ナルトならやってくれると確信しているかのように、ナルトに拳を突き出して託す。託されるナルトも主人公らしい主人公を全うしているけれど、信念をもとに行動して託すイタチも影の主人公を全うしてると思うのです。
イタチと同じくらいでありながら別ベクトルで独りであることが描かれていたのがカブト。ほかの場面と比べてカブトが登場する場面は本当に異質で、音楽も世界観がまったく別のもので痺れた……!和田さんがラジオで「カブトの音楽はエジプト音階で作った」と言っていてなるほどなと思いました。それで最近エジプト音階のBGMばかり聴いてる。落ち着く。大蛇丸のアジトで仕事してる気分になります。孤独な熟考を続けると傲慢で攻撃的になるけど、孤り研究して力を発揮している時だけが己でいられるとさえ、ナルステのカブトを観ていると思う。蛇の演出も蛇みたいな動きのダンサーも、身体と布を自在に動かす姿がもはや観ていて気持ちいいぐらいです。
イタチやカブトほど極端ではないけれど、ミナトとクシナも微妙にそうで。夫婦二人に見えてお互いに「自分は死ぬけど息子の成長は見守っていてほしい」と独りよがりに犠牲になろうとする。そしてサスケもそうなりそうだったところに、手がさしのべられる。そして彼らと対になるように、ナルトとビーや忍連合軍たちは“仲間がいること”の力強さを、物理的とも言っていいくらい歌と演出でどかんと見せてくる。もちろん前述の“独り“のキャラクターもそれに負けない説得力で、互いの圧がすごすぎて客席で震えるばかりでした。

プロジェクションマッピングの進化がすごい

じゅじゅステの時に「2.5でプロジェクションマッピングばかりされると冷める」とか言ってすみませんでした。プロジェクションマッピング、引きで感激した時すっごいかっこよかった。冒頭のナルトとサスケの対決も螺旋丸と千鳥がリアルで、あれだけでオープニングの前に本気で気持ちがあがります。映像技術が前作より格段に上がっている。技術は日々進歩しているのですね。三竦みもプロジェクションマッピングの技術力が大いに発揮されると思うからワクワクしつつ、本気の巨大パペットがきた時の心の準備もしておきたい。

物理的に地に足つけて踏ん張るド根性忍者のナルト

中尾ナルトの力強く眩しい主人公を観てると「君に託してよかった……」と思う。別にわたしは何も託してないけど、ジャンプ作品の主人公に必要不可欠なのは華やかさ以外にも「あいつならやってくれる」とか「君に託してよかった」とか思うような“託したくなる一生懸命さ”だと思うんだけど、中尾ナルトの陽の気を観てると本当にぴったりだと思う。鮮やかな映像とゴールドの光が集まった中心で仁王立ちしてるナルトがほんとうにかっこいい。前作からナルト役の中尾さんだけど、いま過去作の広大ナルトを観るとその延長線上にいるからすごい。
ド王道で何度も出てくるけど、ナルトが自信をつけて力をみなぎらせてテーマソングを歌い出すという流れは、主人公そのものという見せ方で大好きです。母からの愛情を受け取って「すっげー嬉しい!」と笑顔で九尾に立ち向かう場面や「木の葉隠れのオレとコンビの九喇嘛だ!」とテーマソングがバンと始まる瞬間はかっこいい~!と大の字になってしまう!こんなにかっこいい「さあいこうぜ!」がありますか。クライマックスの「命より大切な〜」の歌はこの王道主人公すぎてかっこいい状態に加えてサスケへの執念がやばいというクソデカ感情が加わるので大変です。「お前を」の瞬間にパッとブルーの光に変わるのこわい(大好物)。ナルステの舞台セットは上下に分かれていて、ナルトの主人公らしさを思い切り見せる場面は、いつもナルトが明確に下段で仁王立ちして展開される。「地に足つけて踏ん張るド根性忍者」が表れていて応援したくなります。

「サスケならこうすると思う」が見せるもの

サスケからは“一人の人間としてそこに存在する凄さ”をひたすらに感じた。いまの流司さんはサスケを演じることに自信満々だから、本当にサスケがそこにいる。憧れのキャラクターが目の前に……!というよりかは、サスケが一人の人間として意思をもって怒って哀しんで悩んで行動していくのをリアルで目の当たりにする凄さと楽しさ。そこまでサスケを演じてくれるうえに流司さんは「まだまだ追求できる」と言ってくれる。こんなにうれしいことはないです。
二幕冒頭のサスケはとぼとぼ歩いてるのに、イタチが現れてから明らかに声色と背中にサスケ比で生命力が宿っていてほほえましい。感情表現が豊かじゃない人がじわじわとテンションを高まらせている様子って、たまらなくないですか。兄弟の共闘なんて二人ともたのしそうでにっこりしちゃう。「愛してる」と言われた時のサスケも、一瞬心配するような顔でイタチを見て、呆然としながら見上げて、戸惑いながら少しずつ「自分で答えをみつけなくては」と歌いだす。その感情の移り変わりが、戸惑いながらもサスケ自身もどこか何かを予感しているように見えた。ずっと負の感情ばかりだったサスケに少しずつ光が差していく様子を見られたのは感慨深かったです。答えの導き出し方がナルトは熱くて直接的なのに対して、サスケは寡黙でじわじわと沸きあがるようなんだよね。どっちに対してもこういう人いるなあ……!と思う。それをナルトとサスケで見られる楽しさ。このことを観劇中3時間ずっとナルトとサスケで交互に思ってました。
カラコンを外してる場面は、愛してるの場面はもちろん、兄弟共闘の場面からずっとそうなんじゃないかな。
なんとなく「サスケならこういうことをしないと思う」という役作りだったのが「サスケならこうすると思う」に変わっているんじゃないかと思う。この二つは似て非なるもので、サスケらしさに自分のやりたいお芝居を重ねることで、サスケ“らしさ”からサスケ“そのもの”に近づけるんじゃないかという可能性を流司さんのサスケからは感じる。私が観劇で感じる胸の高まりをこれでもまだ言語化できてるかわからないけど、2.5次元の楽しさってこういことでもあるような気がしている。

良知さんのイタチから学んだこと

ナルステのイタチを観ていると相手を信頼することの難しさが身にしみる。イタチはいわゆる優しい悪役だけど、悲劇的な要素というよりは、過ちを悔やむ等身大の人間に見える。自分はなんでも一人でしすぎた後悔が浮き彫りになっていました。イタチの行動原理はすべて“なにもかも独りでやってきて弟の進む道すら思うように仕向けてきた自分に今できること”が一つの筋になっていた。そんな中で弟にかける声色はどこか優しくて、弟が生まれてからずっと抱いている感情が根底にこもっているようだった。舞台の感想というと、歌とかお芝居の技術的なこととかに言及すべきだと思うんだけど、どうやら私は感情の再現力に心を動かされてばかりのようです。
私が初めて観たナルステが暁の調べの初演で、最後の場面はこれまでの記憶が重なって胸がいっぱいでした。今回で最期となるイタチと、共演自体がこの先ないであろう良知さんとを重ねて情緒がだめになる。銀劇の大千秋楽では、EDからカテコもずっと、良知さんのイタチは本当に悔いがないような晴れ晴れとしたお顔でずっといて、最後に本当のことを伝えて満たされてこの世を去っていくイタチそのものだった。役者のバックボーンが重なるお芝居は、芝居本来の技術とはイコールにならないと思っているけど、それでも感極まるものがあった。良知さんがSparkleのインタビューで「児玉さんとかなり話し合ってイタチを作ったが、サスケとの場面は流司が持っているものを自分が受け入れる立場であり、打ち合わせの枠内に流司が出した答えを留めてしまうのもイヤだったから流司とはあまり話をしなかった」という主旨のことを話していて、良知さんがイタチ役で良かったと思いました。相手の実力を信じて尊重することって「お前がこの先どんな道を歩もうとも、俺はお前をずっと愛している」というイタチさんそのものじゃないですか。大事なところはしっかり固めて、自分につづく者には自由にやらせようという意識は私も見習いたい。良知さんにはお兄さんがいてきょうだい仲があまりよくないと聞いたことがあるので、私の家も似たようなところがあるのもあり、兄や上に立つ人としての理想の振る舞いを心がけているのかなと感じることがあります。Sparkleのインタビューでは「原作は絶対に越えられないけど、その中で原作を超えるような気持ちや勢いで作っていける実力がないと原作にも原作ファンにも失礼だ」とも語っていて、良知さんの作品づくりへのプライドと原作に対する愛の大きさに尊敬の念を抱くばかりです。仲間を信頼してものを作ること、その意識も愛情だと思います。イタチ役を全うしてくれて、本当にありがとう!

どこまでも優しいミナト

ミナトとクシナ、この二人の組み合わせがすごくよかったように思う。九尾に貫かれる瞬間を正面から見せるなんてえぐいじゃないですか児玉さん。「もっと、もっと~」の子守唄のような優しさと、嗚咽しながら歌う「あいしてるよ」の必死さ。そしてそれにそっと手を添えるようなミナトの「父さんの言葉は母さんと同じだ」。原作では「口うるさい母さんと同じかな」とさわやかに笑ってるけど、ナルステのミナトはどこまでも優しい父親だから、愛する人がコンプレックスにしていることは冗談でも一切口にしない。心の底からの愛情ってこういうものなのか。私が好きなNARUTOのカラー絵でロクに朝ごはん食べずに食パン咥えて飛び出していくナルトとナルトを叱るクシナを半笑いでみてるミナトという絵があるんだけど、ナルステのミナトならその状況すらにこにこ眺めていそう。ナルステのよくできているところの一つで、原作に出てくるけど特定の人を不快にさせそうな言葉は全部削ってるんですよ。それで足りなくなる部分は役者の芝居で補うことで、その人らしさを成立させている。すごいなあ。小嶋さんの高音と北園さんのハイトーンボイスのハーモニーは、親から子への純粋で尊くて美しい愛情表現だった。ずっと迫害されていたナルトがどうしたって勇気づけられるはずです。あたたかいゴールドの光に劇場中が包まれていて、神戸文化ホールは施設の構造も相まって本当にあたたかい空間でした。そしてこの二人は兼ね役もたくさんやっててすごかった。

サクラとヒナタの上忍ベスト

オープニングでサクラとヒナタが上忍ベスト着て登場しただけで感極まる親心。立派になって……!実際に本編でも、前作ではナルトに助けを求めたり強敵に倒れていた彼女たちが、戦力として心強い存在になっていて嬉しくなる。一幕の最後でナルトの所に皆がやってくる場面で、隅の方でけが人の治療してたりと細かい部分で彼女たちの存在が効いている。メインの主人公以外にも細部で支える人はたくさんいる。皆で力を合わせて戦う戦争にしても舞台にしてもそうだよね。その後の「目的は~」がサクラから始まり、二人とも五影とカカシ先生たちと肩をならべて歌ってることで、彼女たちがそれほどに戦力として強くなったことを表してる。本当に胸いっぱい。

絶望したナルトを今度はヒナタが奮い立たせる場面もとても良かった。前作で瀕死のヒナタがナルトの顔を見ただけで立ち上がる瞬間と同じ音楽で、あの場面のアンサーになっていたと思う。うちは兄弟もそうだけど、過去作で大事な場面と同じ音楽を使って繋がりを出されるとあの場面だ……!と感極まるよね。ナルステはネジが不在だったり中忍試験をやってなかったりするから、ヒナタとナルトの関係性の説得力はどうしても弱くなるんじゃないかと心配していたけどそんなことはなかった。数時間の舞台にするとどうしても削られてしまうストーリーの補完を、音楽や演出や芝居でおこなう。それで見せられる世界が本当に楽しい。ヒナタに励まされてナルトが立ち直って、仲間たちにチャクラを分け与えていく……という流れ、一人ずつ命の燈をともしていくように見えて泣いた。

我愛羅様8万忍ライブ(ライブではない)

ナルステはステージの上下構造が意図的で、回想以外では上の立場の者や操る者は上段にいて、戦う者は下段で地に足つけて動きまわってることが多い。上段のセンターで8万忍の群衆を鼓舞する我愛羅様は、あの小さな身体からは信じられない声と力強さで呼びかける訳で、その答えを出すまで自身にどれだけのことがあったか、そして今の気持ちがどれだけ大きいかが伝わってくる。ただの「ついてこい」だけでなく「自分達は間違っていた」と歌うからこそ伝わってくる強さとリーダーシップがかっこいい。震えながら「友を守りたい!」と歌う我愛羅様に手扇で応戦したいし最後は一緒に拳を挙げたいし散!で私も劇場から去りたい。一階席から見上げると本当に連合軍の群衆の一人のような気持ちでいられたから、大千秋楽のカテコで納谷さんの「お客様が群衆のようでパワーを貰っていた」という言葉が嬉しかったです。

カブトの執念と陰湿さ

カブトに関してはなにもかもが良かった。音楽も歌もお芝居も、陰湿で傲慢で執念たっぷりでたまらない。登場してすぐの歌が大蛇丸と同じメロディなの本当にいい。そして不健康な蛇メイクも大好き!目の周りを掘り深く見せて、クワッと見開いた顔がたまりませんね。回を重ねるごとにカブトの“持たざる者ゆえの執念と陰湿さ”が気色わるいぐらい増していて、うわ~~きもい^^とマスクの下で笑顔になってしまうくらいでした。サスケの「俺の木の葉崩しは俺だけのものだ」の圧は、カブトがサスケを不快にさせて引き出させたようにすら思えた。持たざる者の執念で天才たちを煽っている、それも歌で。ナルステにおける歌は喜怒哀楽の表現の延長として、念を込めた表現としてある気がします。たまらないな。カブトと大蛇丸の「自分の目で確かめたものがすべて」「足りなければ足していけばいい」という精神は、身に染みるくらいすごくよくわかる。
あと、イザナミにかけられて穢土転生の術を解く印を教えるカブト、圧倒的““美””でした。場面の意図と関係なく見とれてしまった。

ナルステのこれから

ナルステもついに64巻まで進みました。完結まであと9巻。ナルステはキャラクターが意思を持った人間で、それぞれがその意思のもとにどう行動したのか、その末の人間としての成長、仲間と協力すること、自分にできないことは人に補ってもらうことがとても強調されていると思う。それらを主軸としてこの先の物語も進めていくんだろうと思いました。64巻以降は、オビトとカカシの続きと、マダラと柱間、七班の再結成と、ナルトとサスケのぶつかり合い。そしてこの漫画の最後は立派になったナルトで締めくくられるけど、その直前に全てを終えたサスケの独白がある。それらがどう見せられるのか、本当に楽しみ。NARUTOという作品はもはや「ナルトとサスケ」というタイトルでもいいくらい対になる二人の物語だし、舞台でもこれでもかというくらいそれがよく演出されています。いま2015年の一作目を観ると今回の物語ときちんと繋がってくるから、児玉さんと続投しているキャスト、そして新たにナルト役を演じている中尾さんは本当にすごい。わたしは観劇しながら次回作の方向性を幻視して泣きました(気が早い)。全員の力が合わさってどうみせられるのか、とても楽しみです。

@天王洲 銀河劇場 2022.10.22

記事のトップ画像は、神戸文化ホールの入口にある『文化の灯』というモニュメントです。実際に静かに灯が揺れている。劇場選びぴったりすぎない?