見出し画像

『朗読劇「私立探偵 濱マイク」』の感想

『朗読劇「私立探偵 濱マイク」-我が人生最悪の時- 』お疲れ様でした!流司さん、最高にハマり役で楽しかった~!
ガラ悪くて正義感強くて人情溢れてカッコイイ主人公像というのが本当にハマっていて、むしろそういう人物を演じるなら誰にも負けないぜ!というオーラで初日は溢れていました。初日で手ごたえを掴んだのでしょう、毎回自信たっぷりに演じる様は本当に観てて楽しかったですね。
カテコで「3回目になるとセリフも覚えてきて~」と言っていたように、日に日に自由になっていったと思います。キャスト全員が「朗読劇だけど、舞台のように」と言っていたように、舞台を観ているかのような朗読劇でした。

渋い主人公をどうするか問題

そもそも、流司さんが濱マイクを演じるにあたって、稽古前のインタビューで話していた演技プランが興味深くて。

作品のイメージとしては高尚に演じないようにしようとは思ってます。ラグジュアリーで高級感のある表現は一切排除して、具体的に言うと……例えば語尾を投げ捨てたりとか、あまり台詞一つひとつを大事にしすぎないように進めていくことによって、このちょっと路地裏の世界観というか、砂嵐にカラカラカラ……のような(笑)、乾いたハードボイルド感が出るんじゃないかなと。台詞を大事にし過ぎると黄金町じゃなく白金あたりになっちゃうので(笑)、作品の魅力のひとつでもある路地裏感が出るように、ある程度聞かせ過ぎないような演じ方をするのが大事なのかもしれないですね。

「語尾を投げ捨て」「路地裏の世界観」「砂嵐にカラカラカラ……」「乾いたハードボイルド感」「台詞を大事にしすぎると白金あたりになっちゃう」「聞せすぎないような演じ方」……ほう。ここまで具体的に話されると、こちらもイメージがつきやすい。「砂嵐にカラカラカラ……」で私は西部劇が浮かんだけど、言わんとしてることはわかる!なんとなく想像はつくけど、実際はどうなるんだろうと思いました。このインタビュー、読んでてすごくワクワクした。こちらの想像力もかきたてられて、手探りで話す流司さんと一緒に朗読劇の濱マイクという人物像を想像するみたいで。

公演が始まる前に映画版の第1作とドラマ版を見ました。映画版はとにかく渋く重苦しい白黒映画で、価値観は完全に昭和。ドラマ版はハードボイルドに、且つコミカルでキッチュで滅茶苦茶な世界観が楽しい。予習して、ますますどうなるんだろうと思いました。「ケツが真っ青な自分がやることにも(笑)、意味がある」とも言っていて、自分に結びつきそうで結びつかない役どころに向き合うことで、また一段上に登れたらいいな~なんて勝手に思ったり。

濱マイクって、ガラが悪くて喧嘩が強くて、家族が大切で友だちが大切で、目の前の人と対等な関係でいようとする人物。その人物像を理解して演じきれたからハマり役にななったのかなと。これが僕の考える濱マイクです、と正面から突っ切ってくるのも、濱マイクというキャラクターそのものに合っていたと思います。

背中のオーラと笑い方

冒頭、ドアを開けて登場するマイク。「パーティー会場のドアを開けて入ってきただけで、人々の視線が自然とそちらを向いてしまう人をスターと呼ぶ」とどこかで読みましたが、このマイクの姿はまさにそれでした。オーラとか華とか呼ばれるものですね。この時スカジャン着た後ろ姿も見えるんですけど、吹き出すくらいスカジャンの刺繍がド派手で。けれど服に着られることなくしっかり着こなしていて、背中のオーラが半端ではなかったです。流司さん、背中からオーラ出せるようになったよ……!!
マイクは前半のあらすじを饒舌に喋っていく。「喋りすぎだよ!」と星野君。「何のために俺たちがいると思ってんだ。星野君、絶妙な会話をしていこうぜ」と言って、マイクはニッと笑みを浮かべる。今回はそんな風に笑うのね!この笑い方はその後もずっと統一されてて、星野君のアドリブでも同じ笑い方でした。こだわっている……!爆笑する時は手足ジタバタさせてギャハハ!と思い切り笑うのも、この濱マイクという人間の無邪気さと滅茶苦茶さが表れていて良い。
マイクは台本を片手で持っていて、親指と小指で本文側を押さえる持ち方してたが故に、小指取れる場面は指が丁度隠せたのも上手いな~と。公演も後半になるにつれて台本が傷んでいって、荒々しいマイクに似合っていました。星野君は両手で台本持ってて、運転手の時はハンドルに見立ててたのも良かったです。

面白いな~と思ったのが「ウチら朗読劇やってます」とメタ的にみせても成立するのが、目の前で生で現実として展開されながらも、本を持って読み聞かせる朗読劇の強みだなと思いました。マイクが登場してあらすじ喋っちゃうのもそうだし、突然ヤンさんが犬の鳴き真似し始めてマイクがえっ!?て感じで横向いたり、ストーリーテラーが拗ねて中断した時に「劇団EXILEの……」と言ってしまうのも完全に楽しかったし。

ストーリーテラー秋山さんの存在

ストーリーテラーは秋山さん。映画版ともドラマ版とも違う朗読劇版の魅力は何かと聞かれたら、主演がハマり役なこととストリーテラーの存在と答えたいくらい、見どころだったと思います。「俺がいないと物語が転がらない」と言ってたけど本当にその通りで、秋山さんが軽快でテンポよく読み進めるので、暗く鬱々としがちな世界観になりすぎず入り込みやすかったです。
秋山さんが中山刑事やその他いろいろやる時はマイクが読み上げるんですけど、この対比もとても良かった。秋山さんに対してマイクが読む時は深刻で緊張感ある場面だったために、重苦しさが際立っていて。互いの読み方が対照的だったので互いの良さが際立つというのが巧みに成り立っていて、世界観に引き込まれました。

オペラグラスいっぱいに広がる狂犬マイク

毎回観劇の楽しみだったのが、マイクの狂犬時代を回想する場面。ストーリーテラーに「この男、昔はかなりの荒くれ者で……」と導かれて回想に入っていく。警報ベルの音と共に暗くなっていく照明に合わせて、マイクの顔つきがゆっくりと険しくなっていく数秒間を見つめるのが好きでした。流司さん、眉間にシワ寄せた表情はお手のものですけど、軽快な顔からゆっくりと徐々に険しくなっていく表情の変化を、オペラグラスいっぱいにじっくり追える状況はなかなかなかったので。険しく顰めた表情から、茜の寂しさに気づいて歪み、俯き……二度とこんな真似しない!と再び上げた表情。この一連の流れを観るのがすごく好きでした。前方席でもオペラグラス使ってじっっっくり観ました最高でした。

これ100回くらい言ってますけど私が流司さんのお芝居ですごく好きなのが、喜怒哀楽が内面から湧き上がる感情としてきちんと表情に表れるところで。端的にいうと上っ面じゃないことですね。その人の内面にある心または脳で発生した感情が、外面に視覚的に表れるのが喜怒哀楽の表情だったり身体の動作だと思っているので、その原理に合ってる演技を観ると、感性が信頼できるなと思います。

人間同士だった星野君と茜

お兄ちゃん役新鮮~!私は流司さんが弟役の方が見慣れてるので茜ちゃんとの場面はこそばゆくて震えながら観ました(※決してぎこちないのではなく、私がおかしい)ンンンお兄ちゃんしてるううう……!!マイクが少年院入って茜の孤独に気づいたのって、目の前で困ってる人を放っておけない体質があったからかなと。何でも噛みついてた狂犬なら妹は放置して荒ぶったままでもおかしくないのにな~と思ってたら、茜の遊園地の回想で子供の頃から困ってる人を放っておけない体質(全力で走り回ってしまう)があったのがわかって。茜が亡き両親に語りかける場面でマイクの人となりが腑に落ちましたね。それを陰から見ていたマイクが「やらなきゃいけないことがある」と語りかけるのも良かったです。流司さん、葛藤の表情とか、本当うまいな……!
細部に人となりや生活感が出る様子も好きで、見てて楽しかったのが茜でした。乱暴にドアを開ける中山刑事にマイクがキレるのに対して茜はドアの開け閉めが丁寧だったり、「可愛い頃があったんだね!」と言われて「今は可愛くないってこと?」と食いついたり、お兄ちゃんの教えっぽい仕草やもともと似てる思考回路が垣間見えて楽しかった。
団地で殴られたマイクが「茜には階段から落ちたって言えばいい」と堂々と帰ったら、「実際は違った」というナレーションと共にしゅ~んと茜に怒られるモードに縮こまっていくのも可愛かった。かつての狂犬の回想に入る場面と対になってるのかな。
マイクって人に優劣を付けない人だなと。態度は違えど妹でも星野君やヤンさんのような友達でも、中山刑事でも、彼らに優先順位はなくて相手と対等であろうとするところが、流司さん本人の人柄に通ずるようにも思えました。「困った時はいつでもきなよ」がマイクのキメ台詞だけど、私は「友達になってやるよ」も印象に残っています。これを言われるのはヤンさんと少年院時代の星野君なんだけど、どちらに対してもこの言葉の時はマイクがぐっと気合入れて言うんですよね。友達=相手と対等な関係を築くって簡単なようで難しいから、作品全体を通してこれを貫くのは本当カッコいいな!と思って観るしかない。

テイストの違うWキャスト星野君、矢部くんの星野君はマイクとマブダチ感が強くて阿吽の呼吸のようなやりとりが楽しかったし、志村くんの星野君は絶対に根が良い奴!志村君相手だとマイクは強めにオラオラして楽しかったです。三枚目的な役の星野君、二人とも全然違って2種類のマイクが引き出された。
星野君とマイクが出会う少年院の「友達になってやるよ、人間同士だ」は名場面だと思います。ボスに扱き使われてた星野君があそこで初めて人間になり、マイクがおそらく初めて出会った茜以外の人間が星野君だったと思うと、二人が出会う場面にすごい感情移入してしまう。人間扱いされないってまじでしんどいから。マイクと星野君は一見主従関係にありそうに見えて、持ちつ持たれつの関係なのがコミカルにもシリアルにも描かれていて楽しかった。面白かったのが、星野君が説明する「油を売る」語源をマイクが真剣に聞いてないのを、観客もマイクの挙動を目で追うせいで星野君の話はイマイチ聞いていないという状態がシュールでした(真剣に聞いてた観客もいただろうけど)。星野君が少しでも噛んだりトチったりすると後でマイクにアドリブでいじられて回収という流れも出来ていて、トラブルを笑いに変えちゃう舞台は本当観てて楽しいなって思います。

植田くんとの関係性と、役を生きること

植田くん演じるヤンとのシーンもすごく好き。最初の出会いも中盤の酔っ払いも最後の対峙するシーンも。酔っ払った「キス……していいですか?」の間が日に日に長くなっていくのに対して、二人の距離は日に日に縮まっていったり、最後の銃口向けた対峙はどんどん息もつけなくなっていくのを観てると、観劇してるな~と思います。舞台は生き物である。
植田くんと流司さん、楽しいだろうなと思いました。植田くんが稽古中にツイートしてた「流司と芝居ぶつけ合うの楽しい」というのが二人の演技から伝わってくる。カテコで言ってくれた言葉も嬉しかったです。「1月から1ヵ月半くらい板の上でもプライベートでも流司と一緒にいて、ますます惹かれていく」というような事を言ってくれて。そういう関係性を築ける人がいるのは、本当に嬉しい……!言われた流司さん、照れ隠しなのか「植田くん日本に来てまだ日が浅いので~」と笑いに変えてしまった。君は本当に、そういうとこだぞ!

クライマックス、ヤンとマイクが互いに銃口を向けて睨み合う場面。この緊張感も凄まじくて、千穐楽は本当に息もつけなかったです。真っ赤に腫らした目で睨み合う二人と、二人の瞳に映る、息をのんで二人を見つめる客席。二人の息づかいと鼓動だけが劇場に響く数秒間。ほんの僅かな時間だったはずなのに、永遠のように感じられた。以前、雑誌の企画で『舞台の力』という企画に寄稿しましたが、ほんの数秒間を永遠のように感じさせた二人の演技、客席や画面の向こうから見つめる我々、息遣いと鼓動だけが響いた空間も、間違いなく舞台の力がもたらすものだったと思うのです。
撃たれた時のもがき苦しみが、人間そのものって感じで。カッコよくも美しくもなくて、苦しむマイクがそこにいた。役を生きるって、こういうことなんだと思いました。

物語の最後は「次はどんな依頼が舞い込んでくるのかな?」とマイクの笑い方でシメて幕が下ります。最初から最後まで、濱マイクという人物が流司さんに本当にハマっていた。自信もって演じる姿が濱マイクという人物そのものになっていた。観てて本当に楽しかったです。

たくさんの観客の一人として

カテコで印象に残ってるのが、流司さんが毎回「たくさんのお客様に来ていただいて、感無量でございます」と挨拶していたことです。きっと全公演で言ってたでしょう。
1月から続く緊急事態宣言下の公演で、明らかに客席に人が少ない回もありました。そんな回でも「たくさんのお客様に来ていただいて、感無量でございます」と挨拶してくれる。その言葉を発するまでの想いとか、かつて満員御礼の景色も見てきたのに、と思うと、考えるところもきっとあるはずだけど、それでも今日、来てくれた人たちにありがとうを言ってくれる。「今日はご来場ありがとうございました、明日以降も公演ありますので是非ご来場頂けますと幸いです」という定番の挨拶にも、というか定番の挨拶にこそ気持ちがこもっている気がします。もちろん、挨拶以外も誠心誠意つとめてくれてますが。考えたこととか、悩んだこととか、背負ってるものとか、きっと色んなもの抱えて板の上に立ってくれてることに感謝して、これからもたくさんの観客の一人でありたいな。


なんだか重く、そして例のごとくくそ長くなってしまいましたが、濱マイク無事に千秋楽を迎えられて本当に良かったです!皆さんお疲れさまでした。映画は三部作なので、続編も期待しております。

画像はヒューリックホールのロビーです。
あのディスプレイ、オシャレだけど撮りにくいんじゃ!