見出し画像

医療的ケア児の親となり、人生が変わった

2020年7月に次女が生まれた。間も無くして、心臓に先天性の病気があることがわかった。彼女は1年3ヶ月もの間、ずっと病院で過ごしていた。俗に言う医療的ケア児だ

「医療的ケア児」は、日常生活及び社会生活を営むために恒常的に医療的ケア(人工呼吸器による呼吸管理、喀痰吸引その他の医療行為)を受けることが不可欠である児童と定義されてます。

そんな娘が、10月末はじめて家に帰ってきた。
合わせてこの11月から少しばかり介護休業をとることにした

僕はYOUTRUST というキャリアSNSを運営する従業員30名程度のスタートアップ企業でCOOという役職についている。
妻はどちらかというとバリキャリに分類される側の人間で、都市部にそこそこいる「パワーカップル予備軍」の30代前半夫婦と分類できそう。
仕事には夫婦ともに熱を入れており、同世代平均以上の稼ぎではあるが、めちゃくちゃ裕福なわけではない家庭。

さまざまな方に配慮をしすぎると文章が難しくなるので、その前提で見てほしい。既に何かに悩まれてる方に、マリーアントワネット的な恵まれた目線の追い討ちをかけたくはないので先に自己紹介とおことわりです。


全国に約2万人いると言われている医療的ケア児ではあるが、身の回りにいない人がほとんどだと思う。事実、僕も昨年までは近しい人のなかに該当者がいなかったし恥ずかしながら言葉の定義すら正確に知らなかった。

適切な表現であるかはわからないが、娘が生まれて退院にいたるまでの経緯や考え方の変遷はシェアすべきだなと考えた。
娘や家族の本当にプライベートな話なので相当迷ったのも事実だけど、だからこそ意義があるのかなと5周くらい回って今はそう思っている。

このnoteは以下のような目的で書きたいと思う。

・普段からお世話になってる方へ近況報告をしたい
・制約がある×頑張りたい 当事者や周囲の方へN=1サンプルを届けたい
・これからの自分に向けて、今の考えを振り返られるように残しておきたい

ちょっと長いので、人生観パートから見てもらえるだけで嬉しいです。

画像2

盛れたときの次女

誕生|突然のお別れ

まずは次女の誕生から3週間ほど前の話。妻が検診に行ったきり切迫早産の影響で隔離入院となってしまった。

妻が入院した当日は、久しぶりに長女の保育園のお迎えに行った。
家に帰ると、いざという時のために用意していたママの入院バッグが部屋に無いことに気づいて2歳になったばかりの長女は全てを悟った。
「ママ病院いっちゃったね」とだけぼやくと、以降大好きなママのことを一切口にしなくなった。いつもより圧倒的にスムーズに進むお風呂と寝かしつけが済むと、自分がとても情けなくなり久しぶりに泣いた。

もちろん病院もコロナ対策が厳重だった。基本的に面会が制限され、妻が退院するまでの約1ヶ月、長女はママに会うことができなかった。

仕事のない土日はよく長女と散歩に出かけたのだけど、ママがいる家庭を見る長女の眼差しには心が痛くなった。僕も、一人でずっと面倒は見れないから実家の母にヘルプを出して3人で少しばかり生活をした。本当にみんなよく頑張ったよと思う。ありがとう。

画像3

当時の長女との自撮り

産後|全て、スムーズすぎる。

妻が入院してから3週間ほど、ようやく出産を迎える。

なんとか35週を超えられたため明日退院になったと妻から連絡を受け取った。
めちゃくちゃ待ち遠しかった日だ。

が、全てを撤回するように翌日である退院予定日の午前に陣痛が来た。朝、あまりの喜びに勇み足で「ママがもうすぐ帰ってくるよ!」と長女に話してしまい、今振り返ると非常に申し訳ないことをしてしまった。

陣痛から2時間ほどで産まれるというスピード出産を経て、次女は産まれてきた。
良かったなぁ、ほっとしたなぁという気持ちも束の間、出産したばかりの妻から大学病院に搬送されたため受け入れ手続きをしてほしいとLINEが入った。無事生まれたが、時折呼吸を忘れてしまう癖があるらしく念のため検査するとのこと。
僕は、妻に頼まれてたメルカリの発送をローソンで行ってから大学病院へ向かった。この時は2人とも、まだ発送を優先できるくらいの軽い気持ちだった。

大学病院に着くと、ドラマでしか見たことのなかったNICU(新生児集中治療室)に案内される。近未来的なカプセルに入った次女がそこにいた。
「多分大丈夫なんですけど〇〇といった病気の可能性があり念のために検査しますね、また明日来てください」という先生の話を聞く。そうしてまた次の日に病院に行くと「前回の検査の結果、先日話していた病気でした。もしかするとXXも悪いかもしれないので念のため検査しますね」と。

そういったループが繰り返され、さすがにちょっとヤバい
と気づく。
次女は重めの心臓病を患っていた。

妻が産後の回復のためにまだ入院してる期間にめちゃくちゃ病名をググり、悲観・楽観それぞれのストーリーが素人なりになんとなく理解できた。
1日に1時間ほどの妻との面会の時に、先生から聞いた病状や調べていたことを少しずつ話した。
これまで見たことないほど、妻は泣いていた。
産後の疲れ切った身体に浴びせられるショッキングな情報はとっくに限界を超えていた。そりゃそうだ。

次々と発覚する病気に頭を抱えたのは事実だが、一度に宣告を受けるよりも徐々に明らかになった方が結果的に僕たちも受け入れやすかったように思う。
なんせ、なんとかなるっしょって本当に思っていたし「まさか自分たちの子が」という思いが捨てられない中で、咀嚼するには時間が必要だったからだ。病院の先生方の対応には本当に感謝している。

色々が明らかになりつつあるなか、妻が退院の日を迎えた。
健気にふるまう長女と妻を見て、僕はめちゃくちゃ泣いた。
この日、覚悟のようなものができたと思う。

画像1

生まれた直後。とても細い。

0歳|2度の切開手術と合併症

次女のNICU/GCUでの生活が始まった。
基本的に病院は体が弱い子が多い上コロナ厳重体制なので、父親は原則「何か重大な説明があるとき」しかお見舞いにいけない
大抵そういったときは、色々なリスクに対する同意書にサインをして少し顔を見てバイバイだ。

想定されるリスクや病状の説明に対して、びっくりすることもほぼほぼ無くなっていた。その一方で、次女に対する愛情が少ないのではないか?という不安はずっと付き纏った。妻と僕に、温度差を感じたシチュエーションがあったからだ。

僕は元から子煩悩なタイプではないし、薄情だと言われることもある。
ただ、妻と比べて次女と会う回数が少ないことも事実だ。
担当医の方にも配慮してもらい、退院時の家庭内ケアの練習の名目で週1〜2回病院に通わせてもらうことにした。回数を重ねることで、実感と愛着が徐々に湧いてきた。

結局次女は、0歳の間にほぼ1日をかけて胸を開いて心臓に直接メスを入れる手術を2回行った。そもそも命を落とす可能性が1割もあったり、文字にするのも辛い後遺症リスクの説明が何行もあるような、とても難易度の高い手術だった。幸いにも、非常に腕の優れた先生チームに恵まれて手術は順調に進んだ。

一方で、次から次に体の弱い部分が見つかった
娘の抱えるハンデはとても個人差があるもので、さまざまな合併症がある。過去の症例も少なく今後も含めわからないことが多い。一番肝心な命には恵まれつつも、今のところどちらかというと辛い方の症状を引くことが多かった。

呼吸が上手くできないからと、気管切開をしてチューブも入れた。胃ろうの手術もした。元々退院の日はわからないと聞いていたもののまさか1年も過ぎるとは思ってもいなかった。

色々あるのも事実だが、総じて次女はとても頑張っていた。そして、24時間体制で診てくださるたくさんのスタッフの皆様のおかげで生きることができた。本当に感謝でしかない。

画像4

誕生日は病院でお祝いすることができました

1歳|真の受け入れ準備と退院

1歳を超えると、ようやく退院の目処が立つようになってきた。
次女の身体が丈夫になってきた証なので、とても喜ばしい。

が、正直に言うと、楽しみな気持ちよりも不安な気持ちが勝っていた。
退院後は、付きっきりで呼吸がうまく出来ているかを誰かが診ておく必要が、少なくとも数年続く。その後の介護の度合いも正直予測できない。知能の遅れや発達の遅れも(例に漏れず程度はわからないが)あるだろうとのこと。

我が家の受け入れ準備は育休中の妻が主となって進めてくれた。
訪問看護の手配や必要機材の確保、各種申請などやらないといけないことは様々だった。
横から見ていただけなので妻には頭が上がらないのだが、案外行政のサポート手厚いんだなと思う部分もあれば、とはいえ当事者としてはきついよねと思うことも色々あった。
0歳の時も含め、例えばだとこんな感じ。

▼サポート手厚い!
・子どもの医療費0円
→入院費用や手術費用・薬代など。自己負担であれば月100万をはるかに超える額だったので3割負担でもエグかった。

週4日ほど / 1h~3hの訪問看護・リハビリの方が無償もしくは安価で来ていただける


▼少しきつい!
入院時のミルク代が月5万ほどかかる
→食事は自己負担 / 乳児は回数が多いためだ。(病院による違いはあるらしい)

補助金関連は世帯年収600~700万円ラインでだいたい弾かれる
→障害者手帳と合わせると、制度的にはMax月7万円くらいもらえるのだが、、世帯年収制限にひっかかり0円。頭では理解しつつも夫婦では働き方をコントロールする必要があり、ただでさえ世帯収入がほぼ半減しているので思うところが0ではない。

補助金の種類や手続きが不透明かつややこしい

↑この辺りは、また別枠でまとめようかな。

もう1つ課題だったのが、まだ3歳である長女のメンタル。
口ではずっと「早く帰ってこれると良いねぇ」と言っていたし、実際に本音でそう思っているだろうが、まだまだかまって欲しい年ごろ。

退院の日が近づくにつれて、「もうすぐ帰ってくるよ!」と説明をしていたが、赤ちゃん返りのシグナルが増えた。下の子が生まれると不安になるものなのに、コロナの影響で一度も妹に会ったことなかったのだから、なおさらだっただと思う。

長女は4月生まれで保育園でもお世話焼きキャラだ。周囲の兄弟を見て、2人で登園する姿に憧れていることも知っていた。
もちろんのように妹の誕生を楽しみにしていたけれど、途中でママがいなくなったり肝心の妹にはなかなか会えなかったりと、彼女は彼女なりに複雑で大変な1年間を過ごしていたし当然だ。
両親だけでなく長女もまた、受け入れ準備を懸命にしていた。

そして10月末、ついに次女が我が家に初めて帰ってきた。1週間と少ししかまだ一緒に過ごしていないが、きっといい家族になれる気がしている。

画像6

早速ごはんをあげてくれていて、非常に尊い。

人生観①|自身のエゴ

ここからは、自由人でちゃらんぽらんだった僕の考え方の変化について。

次女の病状が明らかになっていくにつれ第一に、絶対に負けたくないと思った。これまで僕は我慢をしたくない/やりたいことをずっとしていたいというモチベーションで生きてきた。
門限やルールに厳しかった幼き頃の家庭環境が影響したのか、自分の人生において制約を受けるということは大嫌いだった。

長女の時から子育てもその例外ではなくて、「自分は好き勝手にするから、家族のみんなも好き勝手してくれ。ぼくはみんなが好き勝手でいられる環境を作り選択肢を増やせるよう頑張るから」といったスタンスだった。

ところが今回次女の諸々があり、似た境遇の家庭を調べれば調べるほど、今後はそう上手くいかなそうだった。
子供のために〇〇を辞めた/××は諦めた/引っ越しもした/生活もガラッと変わった/でもなんとか幸せだ。のような話が多かった。

もちろん、病気は大きな因子だと思う。自分のことでもなくて申し訳ない気持ちもとてもある。でも、次女本人もそして家族全員が、自分を人生の主人公として生きられる家族でありたいというのは変わらなかった。

僕や妻、長女にできて次女に出来ないこともたくさんあるだろう。ただ、次女ができないからと言って他の家族がやりたいことを我慢する必要はないし、次女にとってベストな選択肢を用意できる自分でありたい。
そしてお互いを認められるような、そんな家族にしたい。

めちゃくちゃ素敵な文章を書く岸田奈美さんも、「障害がある兄弟がいる家族って、めちゃくちゃ仲いいかめちゃくちゃ仲悪いかのどっちかになることがすごく多いらしい」と話していた。それは、我慢を強いられたか否かだと。

我慢を強いない家族を作ることが僕の人生の大きな目標の1つ
になった。
せめて親は我慢のハードルを下げるというアプローチがもちろん有力なのだが、出来るところまでもがきたいねと妻と話して決めた。

何が正しいと言うわけではないスタンスの話で、我が家はこれでいくというだけなのだと思う。これから先「考えが甘すぎた」と自己否定するかもしれないけど、これまでもキレイゴトを信じてなんとかやってきたし、頑張りたいなと思う。

我慢をせずに済む大きな解決策の一つはお金だ。お金があると選択肢が生まれる。
例えばしんどい時にサポートを呼んだりリフレッシュしたりといったことが出来る。選択肢があると余裕が出来て家族にも優しく居続けられる。我々夫婦が、ファッションやグルメ・旅行にアートやインテリアなど、そこそこお金がかかるものが好きだったしこれまでの生きがいだったということも個別の理由として大きい。

元々共働きでのキャリアを前提に家のローンや支出計画を立てていたが、これからは物理的に今まで通りの働き方はできなくなる可能性が高い。仮にどちらかが会社を辞めなければならないことになるとすると一気に収入は半減する。現に今でも、いつどうなるかが読めない状態だったので妻には育休2年目に突入してもらっている。来年の7月までには復帰予定だが、果たして。

非常に厳しい状況だ。
冷静に見ると色々を諦めるべきなんだろうが、意地として絶対に負けたくないので、まずは僕がちゃんとお金を稼いでこれる体制をつくることを選んだ口では働きたくないといいつつ、妻がちゃんとキャリアをつくっておきたいことも知ってる。夫が仕事にコミットし妻が家庭の中心を担うというのは時代に逆行しているし、妻にこの布陣を強いてるかもしれない現実は正直めちゃくちゃ辛い。

が、現状の我が家の正解としては「経済的安定を見出す」だなと。僕が今いる環境を活かして、所属するYOUTRUSTを成長させる / 経営ロールとしての能力を磨くことで時間の制約を極力受けずに働けるようになる ことが最適解だとBETしていて家族にも応援してもらっている。もし実現すれば、分配を逆にして妻が仕事にフォーカスすることも可能。僕らの実現したい「我慢を強いない家族」に一歩近づく。

これまでよりも、明確に「家族」を意識するようになった。大きく変わったところだと思う。

画像6

退院間近の七五三。茶目っ気を損なうことなく長女にも育ってほしい


人生観②|芽生えた社会性

そしてもう一つの変化。僕たち家族の生き様は伝えていく意味がある / 発信したい と思うようになった。
ビジネスパーソンらしく、3つ理由をあげたい。

①社会課題がより身近になる

正直に言うと、僕は非常にエゴイスティックに生きてきており、環境問題や社会問題に対する関心が極めて低い人間だった
つくづく人は自分の見たいものしか見ないものだなと思ったのだが、そんな僕でもいざ当事者になってみると、これまで触れてこなかった/スルーしてきた情報に対するアンテナが少しばかり強くなったことが大きい。

例えば、ヤングケアラーやメンタルの問題に不妊に格差問題。
個人ではどうにもできないことが、意外と身の回りにもあったんだという気づき(これはこれで恥ずかしい)を得て自分にできることがあればしたいと思うようになった。
成り上がりの意識が強い地方公立進学校出身あるあるな気もするが、これまで能力主義/自己責任論的に生きてきた自分にとってポジティブな変化だと思う。別に周囲に対してサポートする活動をしてほしい/理解してほしいなどとは思っていないのだけれども、あくまで我が事化して考えられるきっかけが僕の発信で生まれるなら、世界がもっと優しくなることに貢献できる可能性があるなと感じる。


サンプルが少ない

まぁ気軽にアクセスできる情報が少ない。情報が少ないことによって、夢の限界を勝手に決めてしまうのはナンセンスだなと感じた。

今年6月に医療的ケア児支援法が成立するなど社会的な関心は高まっているものの、どうしても税金を使う対象としての是非は論点にあがる。
僕自身、反対派の言い分も理解できるし現段階で「これが正解だ」なんて大それたことは言えない。

が、一個人として次女含む家族は大切だし幸せでいられる権利は持っていてよくて、慎ましく生きることを強制される理由はないということは信じている。数々の制約から、自分らしく生きることにチャレンジすることすら後ろめたくなる人に対して「なんか楽しんでる奴らいるな」と認識してもらえればいいなと思っている。

個別の事情は様々だし、目指さないといけないわけでもない。僕らより厳しい家庭なんて病気以外の理由も含めていくらでもあると思う。
ただ、比較だけしてても何も生まれないのも事実。
サンプルが0か1かはだいぶ違う。制約があるけれども頑張りたい人に、僕ら家族のありのままを見せられればと。


僕たちなりの答えを見つけ共有したい

医療の発達とともに、救える命は広がり選別されうる命も広がった。人類は、これからかのような倫理的問題に大きく直面すると思う。
こんなにも周囲に支えられているので、当事者として何かしらの示唆を見出すことで少しでも恩返ししたいなと思う。少なくとも今は、「自分にとって、娘は大切だ」しか言えないのだけど、赤裸々な思いをこれからも社会に残していきたい。


理由を3つ挙げたものの、プライベートでセンシティブな話題を発信するメリットの薄さとデメリットのデカさはめちゃくちゃ感じている。
勉強不足な結果、他者を傷つけてしまうかもしれないし、この発信が将来子供や家族に与える影響などを考えると尻込みしてしまう。自分のためだけを考えると正直あまりやりたくない。
しかし、それを上回るほど自分がやり切る姿を見せていくことで社会に役立ちたいという思いが強くなった。自分目線で「なんかおもろいことしたい」ばっかり考えた僕の、一番の変化かもしれない。


そういえば、うちの社長がインタビューでこんなことを言っていた。

私みたいに、東京で起業して子育てもして、世の中を変えてやるぜという意思を持っている強そうな人間が、トップラインを力づくで押さないと、世界は変わっていかないと思うんです。これは1人では到底無理で、同じような強強(つよつよ)な人たちと一緒に、色んなあり方を見せながら、押しあげていきたい。もちろん成功や幸せの形は人それぞれ。その上で、何かを得るために何かを失う、というのではなく、自分の求めるものを“全部どり”しているように見える人が、この世代でウワっと生まれないとな、と思うんです

本当にそうだと思う。

良いモノに囲まれて生きていたいし、身の回りの人を大切にできる自分でありたいし、ミッションと誇りを大切にしたまま会社をでっかく上場させたいし、飲みにも行きたい。例え思うように時間が取れなくてもだ。

これまでの僕だったら、手に入りそうなものだけ頑張ってそこそこのところで満足してたはずなんだけど、全部どりしたような姿を見せることで僕らしく社会を押し上げていく。これをやってこうと思っている。
頑張らなきゃだなぁ

画像7

本当は、酸素ボンベ持って外でファンキーな写真が撮りたい


というわけで...

直近はもうしばらく介護休業が続くので、家族四人の絆を深めることに専念したい
今のところ下の子のお世話にも慣れてきて一安心。一緒にいればわかるが、健気でいいやつ。ぶっちゃけ、ちゃんと愛せるか心配だったのだがめちゃくちゃ愛でている。どちらかというと、上の子のほうが色々物事が理解できる分心配なので接点を増やしたい。

復帰後は相変わらず、仕事を頑張る
元々は「信頼される人が報われる転職市場に」という会社ミッションと、キャリアSNSの事業ポテンシャルに惚れ込み社員2人目のタイミングでjoinした会社。
僕にとっては会社も働く仲間も第二の家族みたいなものなので、事業を劇的に伸ばすという役割を果たしつつ、関わる仲間の人生が少しでもハッピーになることに僕なりにコミットしたい。最近は口うるさい役回りもキャラにも合わず頑張ってるが、これからも取り組む仕事は選ばずに、大義に向け必要なことを泥臭くやってければなと考えている。
偉そうに話しているけれど、今回の介護休業や病院対応などへの理解や配慮はもちろん、日頃から支えてもらっているYOUTRUSTのみんなには本当に感謝しています。

PR:YOUTRUSTは採用強化中です!
もしよろしければ採用ページをご覧 /SNSなどからご連絡ください!
「日本型キャリアのゲームチェンジ」を目指して、強くて優しいメンバーが在籍する(手前味噌ですが)とてもいい会社です。


散々イキったが、ここからが本番。がんばります。


P.S. 特に土日は長女を外に連れ出す必要もあり、よりアクティブに活動しようと思っています。久しぶりの方や初めましての方も、仲良くしてください。
======
YOUTRUST
twitter
instagram

読んでもらえただけで最高です!もしいただけた場合は、娘たちが喜ぶ何かに使わせてもらいます!