やさしさ・正直・勇気の練習の話
小五の娘から「クラスのある男子に優しくしても損ばかりしている」という愚痴を聞き、情けは人の為ならずというのは本当かと聞かれたところから「それはいい質問だね!」と私が割と大事にしてる話を早口にしたまとめです
前提
私はあらゆるものは行動とそのための練習が必要だと考えて生きています。
例えば愛情や優しさのようなものも良くも悪くも単に行動であり、行動するには知識や練習が不可欠だという考え方です。優しい人というのは優しくする方法を知ってるし、優しくしてきた経験がある人なのです。
そして行動として何をいつすべきか知っていても、それを普段から練習できてなければ必要な時に実行できないということはよくあります。
愛していても「声をかけたかったがかけられなかった」「あの時一言謝ることができたら」というようなことです。これは結果として愛が存在してなかったのと同じになります。
愛というのは行動があってこの世に発生し、行動がなくなった時に消えるのです。「愛が冷めた」という表現がありますが行動しなくなったことをそのように表現しているのです。熱が冷めたりして勝手に消えるものではありません。
そいういうわけで、今回の娘の相談も前提としては娘の優しさというのはその男子には伝わっているし、周囲の誰かが見ていてくれて「情けは人の為ならず」は成立するだろうけど、そんなものがなくても自分の練習になってればいいじゃないかというのが私からの回答でした。
他にも行動とその練習が必要なものがあると私が意識しているものがいくつかあります。そのうちやさしさ、正直さ、勇気について紹介します。
やさしさの練習
やさしさの練習というのは大事です。特に練習していないと咄嗟の時に声がかけられません。
私も駅で困っている人がいたり、妻が体調不良で苦しんでる時になんと声をかけていいかわからず困ったことがありました。そこで普段から率先して練習するようにしています。
町で困っている人がいたら本当に困ってるかどうかわからなくても声をかける
車で走っていて故障車がいれば止まる
外国人が地図を見てうろうろしていたら声をかける
小銭をぶちまけるなどぶちまけるなど恥をかいている人がいたら率先して巻き込まれにいく
電車で席を譲る
優先エレベーターでベビーカーが乗れなくなってたら大きな声で他の人に降りてもらうようにお願いする
という感じです。この程度のことができないようでは本当に困ったことがあった時にすぐに口や体が動かないからです。
最近だと倒れた人が発生したので電話で救急隊員に頼まれて周囲の人を集めながら、私自身が心臓マッサージするという経験がありました。こんなことは生まれて初めてでしたが普段の練習ができていたからできたと思います。
正直さの練習
正直さの練習、つまり嘘をつかない練習も大事だと考えます。私は心がそんなに強くないので都合の悪いことがあると「なんとか誤魔化せないか」という選択肢が頭に浮かびます。
しかし、これも若い頃に嘘をついて人を傷つけてしまった経験から決心し、20代以降は基本的に小さいことでも嘘はつかないようにしています。練習するのは次のようなことです。
遅刻した理由を隠さない
何かを忘れていたことを隠さない
見栄を張ってしまったら「今見栄を張ってしまった」という
できないことはできないという
嫌なことは嫌だという
出席したくない飲み会には出席したことないという
サウナやゴルフにはいきたくないという
遅刻した理由で嘘をついてもバレないですし、サウナぐらい我慢すれば入れます。でもそういう小さい嘘や無理が、本当に困った時に「これも嘘をつけばいいか」と魔が刺したり、本当に嫌な選択肢を提示された時に「これも少し我慢すればいいか」とならないかと心配なのです。
また「この人は無理してる人だな」「本音を言ってるかわからないな」と見抜かれるのもデメリットしかありません。誠実な人だと感じてもらうには人がいいだけでなくNoと正直でいることも大事です。
勇気の練習
最後は勇気の練習です。勇気というのはその定義からして練習が必須のものです。困ったときに必要なものだからです。優しさとも似てますがこれは例えば
やりたいことがあるときに1秒以内に1番に手を上げる
好きなことを好きだという。お母さんが好きだという、あなたのことが好きだという
周囲の目を気にせずにやりたいことをやる
恥ずかしいというのを理由に何かを止めることをしない
というようなことです。何も知らないと「チャンスが来たら手を伸ばして掴めば良い」と考えがちですが、チャンスには「幸運の女神には後髪はない(後から掴もうとしても掴めない)」という格言があるように、気がついた時には手を伸ばす瞬発力が必要です。私もタイミングをぐずぐずしていて逃したチャンスというのは枚挙にいとまがありません。
ですので、手を上げる機会があったら周囲の目を気にせず率先して手を上げる、班長レベルのものであっても面白そうなら最初に手を上げる。そういった練習が必要です。先日は科学館の放電体験で私だけが即手を上げるということがありました。(子どもが手を挙げていれば譲るつもりでした)皆の前で髪の毛が逆立つという体験が出来ました。恥ずかしかったけど思い出になりました。
さいごに
これらのことは私が臆病であったり恥ずかしがり屋だからこそ意識することで、こんなこと気にしてない人も多いかとは思います。ただ、大事なのは愛や勇気や正直さというのも結局は行動や知識に分解でき、誰でも理解できるし一定レベルまでは身につけられるということ。そして一大事のことが起きた時にはその成果がはっきりとでるということです。
一言で言ってしまえば一時が万事ということかもしれません。自分の娘に何か伝わったかどうかわかりませんが、私自身が日々の練習を必要としており、こうして少しずつでも積み上げていきたいものだと思っています。
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