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あなたはyet?それともyet?

yetの捉え方はそれぞれ。

否定と疑問で意味が違うという左脳派の方は一旦置いときまして。

このyetには"もう"と"まだ"という逆説とも捉えられる意味が2つとも含まれている。

例えば、僕は今29歳で今までの人生を経て

"もう29歳"

と捉えるか、

"まだ29歳"

と捉えるかでこっからの人生の進め方は全然違うものになるとおもう。

前者であればネガティブ思考の元、成長は緩やかになっていき晴れて老害万歳な人生になりそうだが、

残念ながら僕の考えでは後者のようだ。

"まだ"と思えれば、いくつになっても知的好奇心をガソリンにいくつになってもバリバリ行けそうだ。

"もう"がついた瞬間に挑戦へ足が出なくなり、余生が始まってしまう。

となると僕の中ではこの後の人生(余生)が長すぎる。

30歳手前から挑戦を辞め、家族を作り、平々凡々な人生では僕は興奮しない。

正直そんな人生なら死んだ方がマシだ。

くれぐれもその人生も素晴らしいとは思う。

僕がその考えには至れないというだけの話だ。

だから、いくつになっても"まだ"と付き合っていき、1度の人生挑戦しまくりたいと思う。



それにしてもいやはやどうして、このyetを日本語に訳した人は文法上の使い分けや便宜上の問題はあるとはいえ、

"もう"と"まだ"という曖昧な2つの表現を同じ単語につけたのだろうか。

恐らく、訳した本人も"yet"の狭間に立たされている時に翻訳の話が来たんだろうな。


もしそうなのであれば、1度和訳した人と飲みに行きたい。

16時現在"もう"光っている赤提灯の暖簾の下で。

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